鈴木上方人(すずき かみほうじん)中国問題研究家
●衣食足りても栄辱を知らない中国人
近代中国人による「中国人論」の代表作と言えば、林語堂が英語で書いた「My Country and My People」(我国土我国民)と柏楊の「醜い中国人」であろう。二冊とも中国人を理解するための必読書であり、前者は歴史地理の風土関係から中国人の人格形成に重点を置き、後者は写実的な手法で中国人の様式を直接的に描写している。
ただし、彼らの描いた中国人は貧しい時代の中国人であり、これを読んだ人はいずれ中国も豊かになり、中国人も「衣食足りて栄辱を知る」ような人間になると考えるだろう。実際、80年代までは中国問題の根源は貧困にあるという説が多かった。さて、時代は移り変わり、豊かになった中国人の性格は変わったのだろうか。アメリカで亡命生活を送っている民主運動家・陳破空氏の著書「品性下劣な中国人」がその疑問に答えてくれる。
●「中国通」はほとんどが「中国不通」
「品性下劣な中国人」の帯には「時として、私は中国人であることを恥ずかしく思う」との一言があった。その一言から彼の中国人としての苦悩が分かるのではないだろうか。陳氏は冒頭に「外国の中国通とはほとんどが中国不通である」と海外の中国専門家の中国人への理解の無さを嘆いている。また、陳氏は「彼らは中国人の民族性を理解していない」と断言し、海外の中国通の盲点を指摘している。
中国の暗い一面を避けながら観察をしがちな日本の中国通だけでなく、時折辛辣に中国を批判する欧米の中国通にも同様の盲点がある。彼らは、マクロの観点から中国を分析することができてもミクロの部分である中国人や中国人社会への理解が乏しい。だから中国通と言われる専門家も中国の事実を把握できず、中国のことを過大評価してみたかと思えば過小評価するのだ。
●中国人の信仰とは
では、中国人の民族性はどのように形成されたのか。陳氏は民族性を育む必要不可欠な要素は信仰だと指摘する。例えば、ウイグル人の勇猛な民族性やチベット人の善良な民族性は、まさに彼らの敬虔な信仰から生まれたにほかないであろう。ところが、中国人には絶対的善の存在を信じるような信仰は存在しない。中国人の信じる対象とは金であり、モノである。死後の世界の審判や形而上の善を信じない中国人の、金や物質に対する執着心は外国の人間が想像できないほど強いと陳氏は言う。
陳氏は、中国人にとって金は流通するための通貨ではなく信仰の対象であり、ゆえに中国人は誰もが守銭奴になると言うのだ。金のためならばどのような犯罪でも躊躇なくやってしまう中国人の根底にあるのは確かに金銭を至高の価値としている心理からであろう。こうした中国人の金に対する概念は、外国人にはなかなか理解できないものだ。
拝金主義だからというべきなのか、中国人は異様なほど死を忌み嫌い、他人はどうでもよく、自分の延命に対する執念が他の民族と比べて想像以上に強い。中国生まれの宗教と言えば、仙人思想で不死不老を追求している道教であり、死後の世界よりも現世利益を重視している。言い換えれば、中国では宗教でさえも現世に執着しており、日本人の宗教の概念とは全く別のものなのだ。
●権力と権勢に媚びへつらう国民性
中国人はこのような文化で数千年にわたって染められ、必然的に保身的、自己中心的、拝金的になり、現世を中心として享楽主義になった。その結果、中国の富裕層は例外なく弱者救済となる社会福祉や慈善活動には消極的且つ無関心であり、その一方では自分と自分の一族の生活において想像を絶するほどの浪費をしている。
中国には勢利心という言葉がある。それは権力と権勢に媚びへつらう心理を表す言葉であり、その勢利心は中国人の普遍的心理だと言える。このような心理を持つがゆえに、彼らは正義感を持ちえないのだ。中国人の勢利心は権力者にとって実に都合のいい心理だ。中国の統治者は例外なくこの心理を操りながら、中国人を統治している。何より勢利心の塊である孔子が「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」(民に命令に従わせて、その道理を知らせてはいけない)と民に奴隷根性を植え付ける術を権力者たちに伝授している。これこそが中国の愚民政策の始まりなのである。
このような国民性と政治の仕組みによって中国の歴史では正義が悪に勝つことはなく、最後はいつも悪が正義に勝ち、腹黒さが忠義に勝るのである。統治者と被統治者の間は一種の恐怖の均衡によって維持され、中国の統治者は必然として高圧的で暴力的手段を用いて、あらゆる残酷な手段を持って民を押さえつけた。
●統一思想は諸悪の根源
中国人は何故こうなってしまったのか。陳氏は著書の中でその理由に「統一思想」をあげている。彼は、中国人はかつて信義の篤い民族だったと言っている。その証拠として、春秋戦国時代以前の中国には忠節、信義、武勇を物語るエピソードが豊富にある事としているのだが、中国人は歴史ねつ造の名人であるので、歴史の中の美談はどれほど信頼できるかは甚だ疑問だが、中国人の品性の劣化の理由に統一思想をあげていることは頷ける。
この統一思想は独裁統治の双生児であると陳氏は喝破する。なるほど、中国ほどのマンモス国家を治めるためにはどうしても独裁的恐怖政治に頼らざるを得ない、ということであろう。秦の始皇帝の焚書坑儒はまさにその国家統一に必要な愚民政策と恐怖政治の一端である。統治者への恐怖心を植え付けられた中国人は必然的に保身的になり、正義感など持つはずもない。勿論、暴力を使って民を押さえつけることは中国に限った話ではない。では一体何故別の国の民が中国人ほど保身的自利的にならないかと言うと、それはやはり信仰の有無に関係するのであろう。
●中国を分裂させるべき
中国人の品性は本来中国人自身の問題でしかなかったが、ボーダレスになった現在、中国人問題はすでに地球レベルの問題になっている。中国人の悪行が統一思想に由来するものならば、その統一思想と統一された中国を打ち破らない限り、中国問題の解決はできないのだ。
13億の人口を有する中国は己の大きさを支えきれなくなっている。その大きな図体こそ、実は中国人を苦しめる最大の病因にもなっているのである。中国人は統一思想を捨て、諸外国と力を合わせて中国をヨーロッパのように数十か国に分裂させ、互いに競い合うように大改造をしなければ、永遠に幸せにはならないだろう。