昨年の12月25日付の本誌第430号でお伝えしたように、台南市市長だった羽鳥又男(はと
り またお)の胸像が、生まれ故郷である群馬県富士見村にある羽鳥家の菩提寺、珊瑚(
さんご)寺に建立される。開眼法要は4月に行われるという。
羽鳥又男は、孔子廟を復活させるなど台湾の文化を守った日本統治時代の最後の台南市
長「末代市長」として、今でも台南の人々から尊敬されている。
胸像を製作して寄贈されたのは奇美実業(台南市)の許文龍氏。氏はこれまで、鄭南榕
(てい なんよう)、李登輝前総統、後藤新平、浜野弥四郎(はまの よしろう 台湾の
上下水道を開発整備した千葉県出身の技術者)などの胸像を製作して顕彰している。
地元紙の「上毛新聞」がそれを伝えていることを、本会会員でもあるご子息の羽鳥直之
氏より知らせていただいたので、ここにご紹介したい。
なお、本誌では記事冒頭にある「太平洋戦争」なる呼称は使わない。本誌では、日本政
府が命名し、台湾出身戦歿者を含む先人がその名の下で戦った「大東亜戦争」の呼称を使
用していることを敢えて記しておきたい。
また、羽鳥又男については10年前に出版された『台湾と日本・交流秘話』(平成8年、展
転社)が写真入りで詳しく紹介している。恐らくこの本が日本で羽鳥又男を紹介した嚆矢
だろう。その全文は下記。
■http://homepage2.nifty.com/hatori/seitann100.htm
(メルマガ「日台共栄」編集長 柚原正敬)
元台南市長 故羽鳥又男(富士見出身)胸像故郷に建立
台湾の実業家寄贈 功績顕彰し今春公開
【1月22日付 上毛新聞】
太平洋戦争末期、台湾の台南市長を務めた富士見村出身の羽鳥又男(一八九二−一九七
五年)の功績を記念し、台湾の実業家から寄贈された胸像が、生まれ故郷の珊瑚寺(同村
石井)に建立される。羽鳥は台湾発展に尽力した日本人として現地では有名な偉人。だが
、日本では県内はおろか同村内でさえ名前や功績はあまり知られていない。同寺では今春
、胸像の開眼法要と一般公開を行い、多くの人々に本県と台湾のきずなを知ってもらいた
い考えだ。
羽鳥は明治時代中期、富士見村の第二代村長を務めた多三(たぞう)の四男として生ま
れた。十代のころ家業が傾き苦学したが、検定試験を受けて地元の石井小に教員として就
職。二十四歳の時、親せきを頼って台湾へ移住した。
台湾総督府に勤めた羽鳥は温厚な人柄で信頼を集め、戦時中の一九四二年、台南市長に
就任。同市は“台湾の京都”とも呼ばれる古都だが、多くの文化財が放置されていること
を知り、文化財保護の重要性を訴えた。
孔子廟(びょう)や赤嵌楼(せきかんろう)と呼ばれる清朝時代からの居館跡などを寄
付を募って修復。古刹(こさつ)の釣り鐘を軍部の供出から守った。軍部からは強い弾圧
を受けたが、地元市民の心情を理解した活動により、荒れていた史跡はよみがえり、その
姿を今に伝えている。
終戦後に帰国。国際基督教大学の事務局長として活躍したが、台南市民は功績を忘れず
、赤嵌楼に胸像を建立。一九九二年には生誕百年祭、五年前には生誕百十年祭を行うなど
、台湾で活躍した日本人として、現在でも多くの市民に愛されている。
羽鳥の名は県内ではほとんど知られていないが、台南の実業家、許文龍さんが赤嵌楼に
建立した胸像のレプリカ寄贈を持ち掛けた。おいの羽鳥忠男さん(78)が窓口となり、地
元での設置場所を検討。一族の菩提寺でもある珊瑚寺への建立が決まった。
胸像は等身大のブロンズ製で、台座部分も含めて高さ約一・五メートル。台座には日本
語のほか中国語と英語で解説文が添えられている。
昨年末、同寺に搬入され、開眼法要は四月に行う予定。キリスト教徒だった羽鳥の銅像
を境内に建立することは議論もあったというが、浜田堯勝住職(73)は「信仰に厚く宗教
観を持った人と聞いているので、こだわっていない。この村にこんな偉人がいたことを多
くの人に知ってもらうべきだと思い快諾した」と話し、胸像が本県と台湾の新たな友好の
懸け橋となることに期待している。