台湾李登輝学校研修団もはや第15回を迎えられました。誠におめでとうございます。小
生も第1回、5回、8回、9回と参加させていただきました。特に第1回目のあの緊張感と喜び
は今も忘れることはありません。
この名誉ある機会を与えていただいた李登輝先生をはじめとする台湾側のスタッフの皆
様、日本李登輝友の会の事務局の皆様には心より御礼申し上げます。また、卒業後も校友
会として旧知を暖めあった同窓の皆様がたにも感謝申し上げます。
第15回の成功と、皆様が健康で大きな成果を上げられて帰国されることを心よりお祈り申
し上げます。
ところで、5月1日の産経新聞に載った台湾の記事「歴史に消えた唱歌(5)ペタコ」につ
いては、翌日のメールマガジン「日台共栄」にこの記事とともに小生の投稿を掲載してい
ただきましたが、ここに李登輝先生のお話しになった「ペタコ」の内容を補足の意味で記
しました。重複する記述がありますが、できましたら蔡徳本先生の『台湾のいもっこ』は
一度読んでいただければと思います。改めて白色テロの事実、悲惨さがお解かりになるこ
とと思います。
■李登輝先生講話の「ペタコ」
2008年5月26日、第9回「李登輝学校研修団」最終日の李登輝先生の特別講義のときでし
た。李登輝先生と馬英九総統との総統選挙前後の話題や、1992年香港コンセンサスの話題
の中でした。蒋介石親子による戒厳令下における白色テロの恐怖のお話になりました。
<李登輝先生>
「共産党の話や、国民党批判の話を少しでもしたことが発覚すると、白い鉄兜をかぶった
国民党の憲兵がすぐやってくる。その憲兵をペタコと呼んだ。鳥の中に頭の白い<ペタコ>
という鳥がいるが、日本語では何というかな?」
そのとき、日本から同行した台湾人スタッフが「メジロです」と答え、李登輝先生も「そ
うそう、メジロだ」と返されたものですから、私は違いますと言えませんでした。メジロ
は目の周りが白く、決して頭は白くありません。しかし、ペタコの日本名は知らなかった
ので私は否定もできませんでした。
もっとも日本本土には生息しない鳥ですから、日本語の学名はあっても私も含めてほと
んどの日本人はそれを知る由もありませんでした。メグロでサンマが取れないのと一緒で
しょうか。
<李登輝先生>
「国民党の憲兵は白い鉄兜をかぶって、ペタコに似ているから、そう呼んだ。あれに捕ま
るともうダメ、ペタコが来たら死刑・終身刑・緑島行きだ。思想犯としていつ何処で捕ま
るかわからない。夜もゆっくり寝たこともない。最後には私も捕まった。だから台湾人は
正直なことも、意見も言えなかった。今は勝手なことを言えるが、まだそのときの思いが
残っている」
李登輝先生は捕まって尋問は受けましたけれど、すぐ無罪放免で釈放されました。
そのときもし罪に問われていたら、今の台湾はもっと悲惨な情況に追い込まれていたと
思うとぞっとします。
しかし、歴史には「たら、れば」はありません。現状をいかに明るい未来にしていくか
が大切なことですね。
■ドキュメント小説『台湾のいもっこ』の「ペタコ」
蔡徳本著『台湾のいもっこ』(1994年、集英社発行)
蔡徳本著『新版台湾のいもっこ』(2007年、角川学芸出版発行、228事件60周年記念出版)
これは台湾で吹き荒れる「白色テロ」のなか、密告により投獄され、九死に一生を得て
生還した著者の体験ドキュメンタリー小説です。
2007年版の冒頭に、産経新聞の「歴史に消えた唱歌」で取り上げられた唱歌「ペタコ」
の歌詞が掲載されています。「ペタコ」という漢字名は、産経新聞では「白頭烏」となっ
ていますが、蔡徳本さんのこの本では「白頭殻」となっています。
本編の65章に「ペタコが来たぞ」があります。やはりこの「ペタコ」は白い鉄兜をかぶ
った国民党の憲兵をさしています。無実の罪を着せられ投獄された台湾人を憲兵が処刑の
ために連れ出しに、朝牢獄の扉を開けにやってきます。そのとき、囚われている台湾人が
仲間に「ペタコが来たぞ」と口々に伝えます。読む人自身が刑場に引かれていくような錯
覚にとらわれるほどの恐怖心を描いています。
かわいらしい小鳥「ペタコ」が子供を育む唱歌になったり、台湾人を弾圧する憲兵(為
政者)のあだ名にされたり、「ペタコ」はなんと思っていることでしょうか。
また、作詞された野口雨情さん、作曲された中山晋平さんは草葉の陰でなんと思ってい
るのでしょうか。あだ名をつけた台湾人に責任はありません。つけられた方がその責任を
負うべきなのは言うまでもありません。(5月5日)