とを知り愕然としました。御遺族の皆様にはどのようなお慰めのお言葉を申し上げてよい
か分かりません。茲に謹んで哀悼の意を表します。
黄昭堂先生はその生涯を懸け、台湾の真の独立建国のため、台湾の民主化のため、持て
る力を存分に尽くされました。その御功労は計り知れません。
黄昭堂先生のこれまでの御尽力に深い感謝の意を表します。
黄昭堂先生は、今も、これからも、きっと「千の風」になって、台湾を見守ってくれて
いると信じております。改めて茲にご冥福をお祈り申し上げます。
二〇一一年十二月二十日
台湾元総統 李 登輝
「ボス」、斯う言って貴方をお呼びすると、「とんでもない、そう呼ばないで呉れ」と
貴方は何時も断っておりましたね。約廿年前からの事です。
時を経る毎に私がこの呼び方を変えない為、諦められたのか、「ボス」とお呼びする度
に何時も元気なお声で「ハイ」と答えておられましたね。そして月日を重ねる毎に、私の
「ボス」に対する尊敬の念は高まるばかりでした。
その私の尊敬する「ボス」がお別れの言葉を一言も言わずに逝かれた事、残念でなりま
せん。
憶えばあなたが天に召される二日前、十一月十五日夜、台北の国家音楽堂で行われた「あ
りがとう台湾」のバイオリンコンサートで、日本の名バイオリニスト久保陽子氏と台湾大
学交響楽団の力のこもった演奏に貴方は非常に感動し、隣席におった私にしきりに話しか
けて来ましたね。
「すばらしい!」「最高だ!」「どうだ! 学生達は皆、私の可愛い後輩だ!」貴方は興奮気味に言っておられましたね。
「ボスもバイオリンをやっていましたね」
「そうだ。コンクールに出た事もあったよ」
「ホウ!」
「三位だったよ」
「ホウ!」
「まあ、参加者は三人だけだったがね……」
「……」
今でもこの会話が私の脳裏にこびりついています。流石! 我がボス!! 当日は十一時
頃に御自宅までお送りしましたよね。
十六日夜、私に日本の愛媛からおいでの客があり、当夜の宴会に自由時報会長呉阿明氏
と「ボス」に助人を頼みましたね。十七日朝、軽いオペがあるにもかかわらず「ボス」は
心良く参加して呉れましたね。席上、松山のお客さんからこんな質問がありましたね。
「蔡さん、来年一月の選挙はどうですか?」
「ハイ、勝ちます。しかし、勝つからと言って油断はなりません。緊褌一番闘わねばなり
ません」
酒を一口ガブッと飲んでニヤッと笑った我がボスのお顔が見えました。あとで考えると、
「ボス」に対する最後の小さなプレゼントになったのではないかとも思います。
あの日も御自宅にお送りして、「お大事に」「ハイヨー お休み!」が我々二人の別離
の言葉になったのですね。
一片の私心もなく、生涯を祖国台湾のため活動されてきた「ボス」。その「ボス」と苦
楽を共にして来られた同志の方々、唯々頭が下がるばかりです。
何卒安らかにおねむり下さい。
わが友よ君にこやかに旅立ちて残されし我ひねもす悲し
二〇一一年十二月二十日
李登輝民主協会 理事長 蔡 焜燦
心より尊敬する黄昭堂先生、謹んでお別れのごあいさつをいたします。
今日は、先生の教え子たちが多く集まっているかと思います。私自身は、先生の教え子
ではありませんが、先生からは大いにご指導を受けておりました。
黄昭堂先生は、若きより異国の日本で多くの先輩方と台湾の独立運動に関わっておられ
ました。日本は自由な国とはいえ、それは自分とご家族を犠牲することに留まらず、時に
は命懸けとなる危険な活動なのであります。三十四年に及ぶ自国の政治迫害から自由の身
になれたのは一九九二年のことでした。先生の経験されたことは、われわれの想像を上回
るものだろうと今でも思います。
愛する故郷のため恐れを知らず、勇敢な戦いぶりを想像させられる黄昭堂先生ですが、
接していれば本当は懐が深く、心が優しく、包容力がある方だと先生とお話しするたびに
思います。ずっと後進の私のために、これまで、時には静かに支えてくださったり、時に
は、先頭に立って声をあげて応援してくださいました。
ついこの間、先生とお会いしご意見をお伺いしたことが今でもはっきりと目に浮かびま
す。訃報を受けたときは、驚きと悲しみで、ただぼう然と立ち尽くすばかりでありました。
今後もご指導にあずかりたいと願っておりましたのに、痛惜の念に堪えません。正澄様、
正憲様、正嘉様、あなた達をお慰めする言葉も今は見つかりません。一生を台湾独立運動
に捧げられたお父様へ改めて御礼を申し上げます。
悲しみに浸るばかりでなく、先生の志を継ぎ、全力を尽くすことを誓うしだいでありま
す。黄昭堂先生、安らかにお眠りください。そして、本当にありがとうございました。
二〇一一年十二月二十日
民主進歩党 主席 蔡 英文
黄昭堂先生のご逝去は、台湾にとっても日本にとっても大なる損失であります。心から
ご冥福をお祈り致します。
平成二十三年十二月二十日
上智大学名誉教授 渡部 昇一
黄昭堂先生の偉大な魂に心からの敬意を表します。
日本に留学され三十四年間、日本を拠点に、愛する祖国台湾のために闘い続け、帰国な
さってからも台湾独立への闘いを続けられた黄昭堂先生。強い祖国愛と強靱な精神ゆえに、
苦しい闘いの日々においても、先生は終始穏やかな笑みを絶やされませんでした。
その奥深い微笑みに接する度に、黄昭堂先生の台湾独立にかける想いを、私は、そして
日本人はどこまで共有し得ているかと、自省し、心をひきしめたものです。
間もなく台湾の命運を決する選挙となります。台湾の人々は、必ず、台湾が台湾人の国
であることを証明して下さると思います。台湾の人々の正しい決断がなされるよう、天に
おられる黄昭堂先生が守って下さるのを信じています。
苦難の道を斯くも長きにわたって歩まれながら、斯くも穏やかで寛容なお人柄を貫きと
おした偉大なる黄昭堂先生の御魂の安かれと、心から祈り、これからもずっと台湾の誠実
な友人であり続けたいと切望いたします。
二〇一一年十二月二十日
櫻井 よしこ