原冨士男(はら・ふじお)氏が亡くなられた。本会の小田村四郎会長などとも親しく、何
度か「日台共栄の夕べ」などにもご出席いただいたことがある。
原氏の訃報を本会からの連絡で知った李登輝元総統は心のこもった懇篤な弔辞を寄せら
れた。同氏の出身地である青森県の地元紙「東奥日報」が伝えている。その記事を下記に
ご紹介し、また訃報を伝える記事も併せてご紹介したい。
なお、ご遺族によれば葬儀は近親者のみで行い、後日、偲ぶ会を開催する予定だとい
う。日程が分かり次第、本誌でもお伝えしたい。
李登輝氏「訃報は残念」
【東奥日報:2012年3月3日】
亡くなった原冨士男さんが交流協会在職中から親交を深めていた台湾元総統の李登輝氏
(89)が2日、本誌の取材に応じ、「日本李登輝友の会」(事務局・東京)を通じてファッ
クスで弔辞を寄せた。
◇
先ほど、1983年から1990年まで財団法人交流協会台北事務所の所長を務められた原冨士
男さんがお亡くなりになったことを知らされました。私が副総統だったころから7年間、公
私ともどもお付き合いさせていただきました。1999年4月には、私の金婚式に出席いただき
ました。また2007年5月の訪日の折には東京の芭蕉記念館にご夫婦でお出迎えいただきまし
た。
大変お元気そうだっただけに、この突然の訃報は残念で成りません。
台北の空の下、謹んでお悔やみ申し上げます。
台湾元総統 李登輝
原冨士男さん死去 八戸出身、元駐ポーランド大使 91歳
【東奥日報:2012年3月3日】
駐ポーランド特命全権大使などを務めた八戸市出身の元外交官、原冨士男(はら・ふじ
お)氏が2日午前3時5分、病気療養中の東京都内の病院で死去した。91歳。自宅は東京都三
鷹市。通夜、葬儀の日程は未定で、近親者で執り行う。喪主は長男の泉(いずみ)氏。
旧制八戸中学、東京外国語学校、東北帝大法文学部卒後、1944年、外務省入省。中国課
長、台北公使、パキスタン・カラチ総領事、香港総領事、グアテマラ特命全権大使などを
歴任。退官後は日本の対台湾窓口機関・交流協会台北事務所長、同協会理事長などを務
め、外交活動は50年余に及ぶ。台湾総統を務めた李登輝氏らとも親交を結んだ。
2000年には本紙に回顧録「回想 外交五十年」を連載し、東奥日報社から01年に出版。
中国大陸の戦地での自身の体験、任国で直面した戦争や内戦などの痛ましい経験から「地
球上からの戦争の追放」「貧富の差をなくすこと」の必要性を強く訴えた。
93年、外交功労で勲二等瑞宝章を受章。90年に県褒賞、96年に八戸市の市民栄誉賞を受
賞。