http://sankei.jp.msn.com/world/news/120316/chn12031611130003-n1.htm
3月6日、千葉・幕張で開かれた2012年国際食品展(FOODEX JAPAN)に、台湾南部の農業
県、高雄、雲林と嘉義の知事3人が、自ら産品促進販売のため日本へ出かけました。台湾区
画には97の企業が参加し、日焼けした農漁民たちは、自信に満ちた笑顔を見せ、特産の
パパイヤ、有機栽培鴨間稲、うなぎ、ハマグリ、からすみなどを出品しました。
2009年の大型台風で大きな被害を受けた旗山村は、出品したバナナやパイナップル、100
万円相当のお見舞いを、宮城県など東日本大震災の被災地に送りました。あのとき日本か
らの救助隊に涙した人びとの思いがこめられていたと思います。ですからことしのFOO
DEX台湾館のスローガンは「台湾・日本一緒にがんばろう」でした。このお見舞いプラ
ンは、5月にライチ、8月にはマンゴーと続きます。
■やさしい検疫官
わたしがまだ留学生だったある夏休み、帰省した後、お土産にパイナップルをひとつ持
って日本に戻りました。トランクからもれて出る甘い香りに気づいたのでしょう、羽田の
検疫官に「トランクを開けなさい」と言われました。日用品と洋服の真ん中にだいじに置
かれていたパイナップルを見て、果物は持って入ってはいけないことになっていると、宣
告されたのですが、寮の友達へのお土産に持ってきたのだと話すと、「今回限り」という
ことで許してくれました。夏休み明けで寮へ戻ってきていた寮生たちは、わたしが固い皮
を深くそぎ、薄塩の水に浸した後の、べっ甲色に透き通った、少しすっぱみの混ざった甘
さのパイナップルに、歓声を上げてくれました。みんなでやさしかった検疫官にお茶で乾
杯したのを覚えています。1950年代ののどかな時代でした。
バナナは形が弓なりになっているので、台湾語で弓蕉(キンチョー)、香りが良いの
で、中国語で香蕉(シャンチャウ)と呼ばれています。地理的に近いこともあって、以前
日本には、台湾バナナだけが売られていました。「男はつらいよ」の寅さんが夜店でバナ
ナを売る口上は、「生まれは台湾台中の阿里山麓の片田舎」から始まります。阪田寛夫さ
ん作詞の童謡『サッちゃん』を歌うたびに、サッちゃんが大好きなバナナ、小さいから半
分しか食べられないバナナは、海を越えてわたしのふるさとから来たのですよと、ちょっ
ぴり誇らしさと懐かしさを感じたものです。
家の庭に父が植えたマンゴーの木がありますが、私たちが帰ってきた翌年、200ぐらい実
をつけました。長年廃屋になっていた家でしたが、わたしたちの帰国を喜んでくれたので
しょうか。友人たちを招いて心ゆくまで食べました。小ぶりの本土種ですが、香りがよく
甘みがあります。木の上で熟れたのを、一つや二つではなく一人で10個ぐらい、庭で繊維
の多いマンゴーを、皮をむきながら頂くのです。
今では、リンゴのような赤い色のアップルマンゴーが主流ですが、それはアメリカ生ま
れのマンゴーを優れた農業技術で改良し、台湾を代表する果物にしあげた品種です。
■豊かな自然の恵み
主人が駐日代表を務めていたころ、台南県の蘇煥智知事はアップルマンゴーの対日輸出
に力を入れ、毎年販売促進活動を行っていました。知事は、成田についたその足で、東京
都内の高級フルーツ店へ出かけ、下調べで高級品の宮崎マンゴー「太陽の子」が1個8000円
で売られているのを見て、「一籠の値段ではなくて?」と、驚いていたのを覚えていま
す。翌日、帝国ホテルでの試食会場では、「色も、形も、味も日本の高級品に負けませ
ん。それに、値段が格段に安いのです。1個500円です」と、胸を張って話していました。
台湾にはこのほか、グアバ、竜眼、レンブー(蓮霧)などのおいしいトロピカルフルー
ツがありますが、十分すぎる太陽熱、豊かな雨水、肥沃(ひよく)な土壌、勤勉な農民、
高いバイオテクノロジーの知識が合わさって実ったものです。
南極越冬隊長を2度も務め、28回も南極観測へ出かけた鳥居鉄也さんが、自らその超人的
な体力は「台湾で生まれ、新鮮な果物をたくさん食べて育ったからだ」と強調しています
(平野久美子『水の奇跡を呼んだ男』産経新聞出版)。友人の藤見尚子さんは「台湾の果
物を食べるたびに、この国に嫁いできて本当に幸せだ!と思っています!」と、「!」を2
つもつけた感想文を書いてきてくれました。
盧千恵(ろ・ちえ) 許世楷・前台北駐日経済文化代表処代表夫人。1936年、台中生まれ。
60年、国際基督教大学人文科学科卒業後、国際基督教大助手。61年、許世楷氏と結婚。夫
とともに台湾の独立・民主化運動にかかわったことからブラックリストに載り帰国できな
かった。台湾の民主化が進んだ92年に帰国し、2004年〜08年、夫の駐日代表就任に伴って
再び日本に滞在。夫との共著に『台湾という新しい国』(まどか出版)がある。