れているのが事務局長の黄教子(こう・のりこ)さんこと三宅教子さんだ。歌壇では三宅
教子さんで発表されている。
三宅さんが初めての歌集『光を恋ひて』を出版されたことは、同人の「新高山百合」さ
んのブログを紹介する形で本誌でも紹介した。
「台湾歌壇」の歌会は毎月第4日曜日に開いている。産経新聞の吉村剛史(よしむら・た
けし)台北支局長が本日の「台湾有情」(下記に紹介)で、三宅さんの歌集『光を恋ひ
て』を紹介する中に「参加者が、今や平均50人以上、会員数も100人以上に増えた」と書い
ているように、参加者は増えている。1月は42人、2月は50人、3月は47人、4月は55人だっ
たというから盛況だ。
この「台湾歌壇」の盛況ぶりは、蔡焜燦代表の人柄や三宅さんの細やかな対応によると
ころが大きいように見受けられるが、年1回、同人が1年間に発表した歌や最近作などを掲
載した歌集を発行し、三宅さんが歌集『光を恋ひて』を出版したように、同人の蘇楠榮さ
んも三宅さんの前に『南島に息吹く─蘇南瀛歌集』という歌集を出版するなど、同人たち
の旺盛な作歌活動の影響も大きいようだ。毎月、詠草を解説される顧問の北島徹(きたじ
ま・とおる)氏の存在もまた大きい。
それを新高山百合さんがブログ「台湾魂と日本精神」につづっている。かなり長い文章
だが一気にご紹介したい。歌会の様子や蔡代表や三宅教子さんの歌会や同人に対する応対
ぶりが詳しく紹介されている。若い台湾人や台湾在住の若い日本人が同人になる「台湾歌
壇」の勢いの源が見えてくる。
ブログでは関係写真もたくさん掲載している。ぜひブログもご覧ください。
◆三宅教子さんの歌集『光を恋ひて』の出版! 新高山百合(台湾歌壇同人)[2012/5/6] http://melma.com/backnumber_100557_5555044/
あの日のバイクと紋白蝶、そして私と短歌との出逢い… 新高山 百合
【ブログ「台湾魂と日本精神」:2012年5月17日】
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/blog-category-2.html
台湾を紹介する日本の番組で、必ず出てくるのが「信号が緑になると数十台のバイクが
走り出す」場面で、きっと日本人には驚くべきシーンなのでしょう。その場面を見る度に
私はちょっと恥ずかしいようなまた嬉しいような気持ちになります。というのは私も台湾
の百五十万台あまりの「バイク族」の一員なのですから!
スクーター歴20年を越える私は、台北市の自動車の犇く中で自在にその合い間をかいく
ぐり進んでいますが、バイクは停車に便利で交通費の節約になる仕事の上でのグッドパー
トナーです。
バイク族にとって、傍へ突進してくるバス、タクシーは最大の脅威です。排気ガス、風
や日に晒され雨に濡れることは身体への試練でもあります。唯一の癒しは四季の変化や風
景を身近に感じられることでしょうか。台湾歌壇に短歌を投稿するようになってから、バ
イクを走らせている時に目にする空の雲の移り行く様や、遠くに見える山山、花や草木、
様々な人々の群れなどが全て歌への霊感を与えてくれるものとなり、信号待ちの時などは
それを三十一文字にまとめたりします。
毎年3月から5月は紋白蝶の活動する季節で、その昔「胡蝶の王国」と呼ばれた台湾には
四百種類以上の蝶の品種がいて、中でも紋白蝶は一番数の多い品種の一つです。台北のよ
うな大都市の通りや巷にも飛び交う可愛い姿が見られます。
バイクで走るとき遠くに白い蝶の姿を見ると、まるで空中で雪の花が舞っているようで
す。また赤信号のときにバイクを止めて道の辺の草花の中で戯れる蝶を見るのは最高の安
らぎの時です。当然蝶にとっても危険な車の群れに紛れ込みやすいことになります。
台湾では、毎年4月から5月に百万単位のムラサキマダラが北上しながら繁殖することが
よく知られています。ハイウェイの彰化県林内のあたりはムラサキマダラが北上する時通
る「蝶の道」になっており、その季節には一分間に万を越えるムラサキマダラが飛んでゆ
き、スピードを出して進む自動車にぶつかってたくさんの蝶たちがよく死にますので、蝶
の安全を守るために、台湾高速公路局では毎年「周期的に外側の車道を封鎖して、紫外線
の灯で誘導して道に予防ネットを設置する」などの措置を採り、蝶の季節ごとの移動に道
を与えています。当時の宣伝文句に「ムラサキマダラに道を譲れば、ムラサキマダラは毎
年ひらひらと舞いながらお礼をしてくれる」というのがありましたが、心打たれる美しい
話です。
でも都会で単独に飛んでいる紋白蝶はそんなに良い待遇はなくて、スピードを出して突
進してくる車が巻き起こす風に吹き飛ばされたり、ぶつかりそうになる時には、その身の
安全を思って冷や汗が出ます。
このように春にはいつも目にするものですが、4月14日に、バイクで信号待ちしていたと
き、バイクの群れの中に風に乗ってひらひらと紋白蝶が漂ってきて、私のバイクのハンド
ルにふわっと止まりました。春風がつれてきたこの客に私は驚喜しました。頭を上げてみ
ると、あと数秒で信号は緑になります。でもエンジンをかければ蝶は驚いて飛び去ります
し、どうしたらいいかと……。それから蝶が飛び去るのを見送りながら、車に巻き込まれ
ないで無事に飛んでいって欲しいと願いました。
この蝶との出逢いで、三宅教子さんが短歌の指導のときに言われる「短歌は日常生活の
中にあります」という言葉を思い出し、帰ってからあの時の感動を短歌にしてみたいと、
限りある私の日本語の語彙で一晩考えて、やっと一首にしました。でも言葉の順序をどう
したらよいか迷い、三宅さんに次の歌の添削指導をお願いしました。
ハンドルにしんと佇む春風の贈りもの白蝶(ちょう)よ発車躊躇ふ
春風の贈りもの白蝶(ちょう)よハンドルにしんと佇む発車躊躇ふ
三宅さんからこのような返事がありました。
「あなたの短歌、素敵な一瞬を捉えましたね。ちょっと、直してみました。
○春風に乗りて白蝶ハンドルにふはり止まれば発車躊躇ふ
春風の『贈り物』という表現もいいのですが、状態を詠んだほうがいいと思います。ま
た、しんと「佇む」というのは何となく、人間が立っているような感じですので、『ふは
り止まれば』にしてはどうでしょうか。とてもいいお歌です。」
うわあ! 三宅さんのお褒めの言葉に心の中で思わず「やった!」と叫びました。彼女
の説明を通じて短歌表現の方式と、「しんと佇む」の意味を学びましたし、「ふはり止れ
ば」に変えたら歌全体が軽やかに漂う感じで、実に不思議です。いつも三宅さんの添削を
受けた後は、私の歌が素敵な歌に変身しますが、今度もまったく私の心にぴったりするも
のになったので、この短歌を4月の詠草として投稿しました。
台湾歌壇の詠草は投稿規程が毎月の例会(毎月の第4日曜日)の1週間前までで、ハガキ
やファックス、またはEメールで三宅さんに送ります。彼女がプリントに整理してコピー
し、歌会で配ります。月例歌会で選ぶ歌は、2枚の紙が配られて、出席した人は詠草プリン
トの中から2首を選んでその紙に番号と同鳴と添削などを書き込み、時間になるとそれを各
自が順番に発表します。
それから北島徹顧問が短歌指導のお話をなさり、その後を三宅さんが作者の名前を発表
し、その月で最高得点の出席者に、日本から送られてきた短歌結社の歌壇誌や関連発行物
を賞品として渡します。例会が終ると各自が選んだ歌評を出席して居る人に手渡し、或い
は三宅さんに渡して、欠席者に送ってもらいます。
4月22日の月例歌会では思いもかけずに私の歌が5人の先輩達の共鳴を得ました!私の歌
が選ばれて歌評を聞くときに顔がカッカと熱くなり、恥ずかしくて隠れたい気持になっ
て、先輩方が評をなさる内容をきちんと聞けませんでした。以下はいただいた歌評のメモ
です。
まずは麗しい陳瑞卿先輩の歌評です。
「58番を選ばせていただきました。春風に乗りて白蝶ハンドルにふはり止まれば発車躊躇
ふ 同鳴点は古(いにしへ)から恋物語には蝶々が付き物でロマンチック…。さて、ハン
ドルに止まりて作者に何かのメッセージかも…」
北島徹顧問の奥様、やさしい北嶋和子先輩の歌評は次の通りです。
「最近公園等で色とりどりの花に白い小蝶がひらひら飛びかう姿がよく見られます。その
度に何とかわいいのだろうを思っておりました。そんな白い蝶がハンドルにとまったら、
私でも発車できず、みとれてしまうだろうと同感しました。」
歌壇の元老、いつも優雅な感性をもつ言葉で歌評なさる林聿修先輩の歌評。
「春風の中を颯爽とマイカーを駆る作者を慕いて舞い込んだ白蝶にあら!と一瞬戸惑いを
覚え乍ら、胸もときめいたでしょう。まるで『少しお話しましょう』とでも言いたそうな
白蝶に…、つくづく発車を躊躇われた作者のおやさしさと笑顔が思い浮ばれ、すがすがし
く微笑ましい思いで読ませていただきました。」
18歳の時の勇敢な経歴(228事件の時の)を歌集で知って、心から敬愛する蘇楠榮先
輩の歌評です。
「心ある人に共通のためらひです。いい瞬間をとらへて歌にしましたね。」
このところ視力がどんどん悪化されている蘇先輩は、歌を選ぶのにとても時間がかかる
そうで、そのため三宅さんは蘇先輩のために前もって詠草プリントを送ってあげていま
す。蘇先輩が選歌なさるときの真面目な姿には心うたれます。
最後は私の歌の先生でもある三宅教子先輩の歌評です。
「心地よいみどりの春風に乗って漂ってきた白蝶がスクーターのハンドルにふはりと止っ
たのですね。発車させれば白蝶は逃げてしまいます、せっかくハンドルに休んでいるの
に、発車をためらっている作者の心やさしさ、うららかな春日の中で、一瞬の詩をとらえ
ていて、その情景と作者の嬉しい驚き、とまどいがまるで見えてくるようです。」
皆さんの歌評に私は感謝感激しながらも、短い三十一文字でもって、当時感じた事を完
全に伝えることができたことは実に驚くことであり、短歌が持つ力にまたまた畏敬の念を
覚えました。
選歌が終ると、北島徹顧問が4月の詠草について素晴らしいお話をしてくれました。北島
先生のお話は、三宅さんがまとめて「四月の通知」の中に載せてくれます。それは次のよ
うなお話でした。
「先月は『プラス志向の歌を』ということをお話いたしました。今日のお歌にはプラス志
向の歌が多い気がします。66番の【台湾と日本の『光』ひた求め台湾に生くるわが妹よ】
の歌で、『光』が出てきます。光とは何なのかと思う事がありました。十数年前でしたか
日本人学校の小学生の詩で『自分は今台湾の光を身体いっぱいに浴びている。どうしてこ
んなに明るいのか、それは台湾の人の笑顔を反射しているから』というような内容でした
が、台湾の人の笑顔は実に素晴らしい。
今日の歌の中にも『笑う』『笑む』が出てきます。1番の【英雄に杖は似合はぬわよと
笑む瞳の奥に滾る慕情の】、6番の【暁暗の散歩の小径擦れ違ふ笑顔の会釈心明るむ】、
65番の【休日に店を手伝ふ子の笑顔心なごみても一つ買ひぬ】このような笑顔に接すると
こちらの心が明るくなります。歌にはつらい事、悲しいことを何でも詠って心が晴れる、
慰められる作用はあります。それでももう一つ積極的に前向きに歩こうとしている姿は美
しいものです。
日本の『咲く』という字はもともと『笑う』という意味で、私の娘は『咲榮』と書い
て、『さきえ』です。その意は『花がいっぱい咲いているような笑顔をふりこぼす』で、
そのとおりの娘になりました。花が咲いているのに接すると心が明るくなりますが、『咲
く』というのは心に笑いかけてくれると受け取るのです。花が咲くのを詠った歌も多く
て、これも私たちの心を明るくしてくれます。14番の【朝摘みて胸に飾りしペンダント香
りも高き玉蘭の花】これも玉蘭のペンダントによってどんなに自分の心が楽しくなった
か。
私たちの心を明るくしてくれるものを詠うと、読んだ人にも伝わって連鎖して拡がって
ゆきます。55番は【夢の国なりこの台湾は】と詠って、歌に力が籠っています。最高点の
37番こんな前向きの歌はありませんね。大いに夢を見ましょう。」
作者を発表後に、三宅さんは今月の最高得点は、8点入った呉炎根先輩の歌ですと発表さ
れました。その歌は、
○ 我も欲しやおいらくの恋夕やけのやうに美しくやさしい恋を
「8人もの人がこの歌を選ばれたということで、皆様が心に願っている事が分かりますね」
と三宅さんが言ったので、みんな爆笑しました。また「呉炎根さんは台南にお住まいです
が、お電話をかけたときに息子さんが出られて、お母さんを呼んでくださったのですが、
随分時間がかかりました。『ごめんなさいね、歩くのが難しくて』とおっしゃっていまし
たが、車椅子でお嫁さんやご子息が付き添われて病院通いもなさっているようです。で
も、このようなロマンチックな夢を追う短歌ができます。身体は老いていっても心はとて
もお若いですね。私たちも精神を若く保って短歌を詠んでゆきたいですね」とも言われま
した。
次に高得点だったのは5点入った林燧生先輩の歌です。
○ 曉暗(あけぐれ)の散歩の小径擦れ違ふ笑顔の会釈に心明るむ
林先輩は台南の人で、短歌のほかにもエッセイを書いて、日本語の「エッセイ集」を何
冊も自費出版しておられるようです。散歩の小道で知らない人同士でもすれ違うときに笑
顔で会釈する和やかな風景を歌に詠まれて、読む人の心まで明るくしてくれるようです。
まさしく北島先生のおっしゃる「プラス志向の歌」です。
高得点のお2人が台南の方で、欠席なので、次に同じく5点入っていた私の名前が呼ばれ
ました。賞品の歌集を受け取りに前へ出て行くとき、皆が「おめでとう!」と言ってくだ
さって、とても嬉しかったです。みなさんの笑顔は実に素敵です!特に三宅さんから賞品
を受け取ったときの感激は言葉ではうまく表現できないほどで……。
3年半前に入会した時に、初めは短歌がわからず、1冊づつの歌集の一首一首を模索して
きて、次第にその意味が分かるようになって来ましたが、やはり短歌を作る心境には自信
がなくていましたが、その原因は「思いが多すぎる事」で、三十一文字にはとてもこの思
いをはめ込められないので、自分の言いたい事が多すぎる事に気づきました。
三宅さんは「難しいことを詠む必要はなく、その時時に心の底から感じたことや感動し
た事、喜怒哀楽を素直に表現してゆけばいい。一首に納められない思いは連作にして何首
にも詠めばいいのです」と言ってくださり、常に励ましてくれたし、また私が紹介した友
人が入会するようになっても、自分が短歌を作っていないのは恥ずかしく思い、ついに昨
年の8月に、台湾の政局への憤懣が噴出した気持を詠んだのが私の初出詠でした。
この国の選挙はまるで敵の罠不正な賭博に運命委ねて
この一首は三宅さんが添削して完成したとき、自分の言いたい事が短歌にまとまったの
で嬉しくて三宅さんに電話で涙声になってお礼を言いました。それで堰を切ったように一
息に4首の歌ができました。
日本語の未熟さもどかし入会し三年経っても道は遥かに
詠いたいこと多いはずという君の期待に早くわれ応えたき (三宅教子事務局長)
作歌して送ってくれれば見てあげる先輩たちの励まし嬉しい
この私も短歌の作れた嬉しさに涙を流して万歳叫ぶ
それからは毎月投詠するようになり、自分も台湾歌壇の一員であるという実感がし始め
ました。しかし台湾歌壇の先輩達はみなさん素晴らしい秀作ばかりで、私が賞品をいただ
ける日がこようとは思っても見ませんでした。三宅さんが添削してくださった御蔭で、先
輩方の共鳴を得ることができたのです。
蔡焜燦代表も励ましてくださって、あなたの今月の歌は有名な俳句に似通うところがあ
るよとおっしゃって、「朝顔につるべ取られて貰ひ水 加賀千代女」の俳句を教えてくれ
ました。この俳句の意味を知った後、とても私の歌は及ばないと思いました。
その後、蔡先生は日本人をご招待なさっての宴会で、いつもの蔡先生らしいユーモアで
私のことを紹介してくださるときに、「この子、怖いよ。今月の歌会で、彼女の歌は5点も
獲った! 代表の私や三宅事務局長でも2点ぐらいなのに」と言ったのでみんな笑いまし
た。実は私の短歌が進歩すれば、蔡代表は喜んでくださいます。というのは蔡代表は台湾
の若い人たちが、日本の短詩型文学で力を発揮して、呉建堂師が創立した台湾歌壇を永続
することを非常に望んでおられるからです。
今月の台湾歌壇の二人の若い方の歌をご紹介しましょう。
○ 台湾をきっと守ると襟正し百合に抱かるる遺影を見つむ 舘量子
私が感動した一首です。舘量子さんの作と知ったときに、彼女に感謝感激の心が湧きま
した。彼女が白色恐怖時代に迫害された人の告別式に参列したときの心情だそうで、故人
もきっと彼女の歌を受け取ってくださったことでしょう。
○ 生まれ来て遣り甲斐ある事遣りたしよ夢の国なりこの台湾は 何朝棟
弁護士の何朝棟さんと私は独立派であり愛日派の同志です。この歌は、彼の初出詠なの
ですよ! 3月に月例歌会にお客様として参加されて、帰ってからすぐ歌を作り、入会した
というスピーディな鮮やかな挙動に私は吃驚しました。私は入会して3年間も無声で過ごし
てやっと短歌ができたというのに。そこで何さんに冗談紛れの抗議をしました。「あなた
は短歌に対して畏敬の念がちっともないんですね!」と。
台湾歌壇にまた若い人が加入してくださってとても喜ばれた三宅さんは、何さんの歌を
選んで、「この世に生まれきたからには遣り甲斐のあることを遣りたいと願う作者には
若々しい理想が漲っています。大切なもののために生命を燃やしている作者にとって、こ
の台湾は『夢の国』だと言うのです。ほんとうに嬉しいです。『台湾の悲哀』と言われ、
『将来は強国に呑み込まれる』とか悲観的なムードの広がる中で、力強く遣り甲斐のある
ことを遣ろうとしている作者は『夢の国台湾』を実現してゆく大きな力になる人だと思い
ます。」という歌評をなさいました。
歌会が終って、先輩達が私の歌にくださった歌評の紙の裏のメモにまたまた私の胸は熱
くなりました。
陳瑞卿先輩は「敏慧さん、お目出度う」
林聿修先輩は「敏ちゃん!」
三宅教子先輩は「黄敏慧さま とてもすてきな一瞬を歌にしましたね」
蘇楠榮先輩は「黄敏慧様」
視力の弱られた蘇楠榮先輩が、一筆、一筆苦労なさって書かれた字の跡を見ると、言葉
がでなくなりました……。
この5枚の歌評と賞品の短歌誌「あすなろ」は全部私の宝物です!
悠久の歴史の中で育まれた素晴らしい短詩型文学のある日本に感謝します!
私に短歌を学ぶ機会を与えてくれた台湾歌壇に感謝します!
ずっと私を激励してくださった歌壇の先輩方と日本の歌友方に感謝します!
私と一緒に11年間も奮闘してくれたバイクと風に乗ってやってきた紋白蝶に感謝します!
「短歌は日常の生活の中にあります」という三宅さんのこの言葉を忘れないように、三
十一文字で台湾の日常の風物への感動を表したいと思います。
次の目標は「バイク族の心の声」として12首詠に挑戦する事です! 頑張ろう!