纂する国立天文台がともに台湾の玉山の標高表記を改め、国立天文台は玉山が「中国」で
はなく「台湾」の山と表記する台湾正名に応じたことをお伝えしました。
そのとき「本会会員の方からの指摘と依頼により」と、その発端を紹介しましたが、そ
の本会会員とは千葉県在住の上田真弓(うえだ・まゆみ)氏。東京書籍からも女生徒と間
違われたようだが、歴とした男性です。
昨日、その上田氏から「地図帳・理科年表の件ではありがとうございました。さて、き
ょう佐川急便が配達にきたので受け取ったら賞状を入れた筒なので、何かと思ったら中に
は『第三回今は亡きあの人へ伝えたい言葉』コンテスト金賞の賞状が入っていました。5月
に原稿を送りましたが、金賞はひとりだけの最優秀賞です。主催者のホームページを見た
ら、入賞者が発表されていました。普通は事前に連絡があるものなので驚きましたが、一
番良い賞が取れて非常に嬉しいです」というお便りをいただきました。
そのホームページを見ると、今年の3月1日から5月末まで、全国の葬儀社によって結成さ
れた実行委員会「第3回・今は亡きあの人へ伝えたい言葉プロジェクト」が実施した「今は
亡き“あの人”に伝えたい想いを募集します」という手紙募集の呼び掛けに上田氏が応
募、そうしたら思いもかけなかった金賞を受賞したという次第です。
上田氏が手紙を書いた相手は、2008年5月20日に焼身自決された高雄の許昭栄さんです。
下記にご紹介します。何よりのご供養かと思います。
なお、本誌掲載にあたり、読みやすくするため改行を施していることをお断りします。
また、主催者や入選発表の詳細は下記のホームページをご覧下さい。
◆今は亡きあの人へ伝えたい言葉:手紙募集サイト
http://www.tsutaetai.net/index.html
元日本兵の許昭栄さんへ─今は亡きあの人へ伝えたい言葉
上田 真弓(千葉県・会員)
許昭栄さん、あなたが亡くなったのは4年前のことでした。その半年前、私は知り合いの
紹介で初めてお会いし、貴重なお話を伺いました。
台湾が日本の領土だった昭和3年に生まれ、お父さんが「昭和の日本が栄えるように」と
願って、昭栄と名付けられたと教えてくれました。戦争中に志願して日本海軍の兵士にな
り、戦後は大陸からやってきた国民党の中国人によって元日本兵の台湾人は国民党の兵士
にされ、共産党との戦争に駆り出されて多くが戦死したと話してくれました。運よく台湾
に帰ってくることができたあなたは、大陸で亡くなった元日本兵台湾人のために、高雄市
に直談判して提供してもらった土地に私財を投じて慰霊碑を建てました。この地を「戦争
と平和記念公園」と名付け、私財をなげうって慰霊のための公園を造っている最中でし
た。
あなたは「戦争で亡くなった兵士たちの慰霊は、国がやることです。しかし日本の政府
も台湾の政府も、台湾人の元日本兵に対して無関心で、何もしてくれません」と言って嘆
いていました。一緒に慰霊碑の前で、亡くなった元日本兵の台湾人たちのご冥福をお祈り
したことが、今も忘れられません。
その半年後の2008年5月20日、あなたがその慰霊碑の前で、ガソリンをかぶって焼身自殺
したという衝撃的な知らせを受け、とても信じられませんでした。あなたの活動に反対す
る人たちに妨害され、公園の名前を変えろと強要されたり、国民党の中国人兵士も慰霊し
ろなどと無理な要求を突き付けられ、あなたが造りたい公園の建設が困難になり、自らの
命をなげうって抗議したそうですね。衝撃的すぎて、私は絶句しました。
あなたの死を伝えた日本のマスコミは、ほとんどありませんでした。日本を愛する元日
本兵の嘆きと叫びが日本に伝わってこない現実に、私は憤りと悔しさでやりきれない気持
ちでした。
それから1年経った2009年5月初旬、高雄市の市長から、あなたの命日の5月20日に「戦争
と平和記念公園」で行われる追悼会への招待状が届きました。あなたの追悼会を、高雄市
が主催することになったのです。
私はどうしても都合がつかずに行けませんでしたが、出席した知り合いに写真を見せて
もらいました。きれいな公園が完成し、あなたが建てた慰霊碑を中心に、あなたの記念碑
や、元日本兵の悲劇を説明する立派な展示館が建っていました。許昭栄さん、あなたの声
は届きましたよ。あなたの願いは叶いましたよ。