広島と長崎の平和式典案内を巡るこれまでの台湾への面妖な対応

去る5月23日、広島市は8月6日に平和記念公園で開く平和記念式典に、日本と外交関係がない台湾にも開催を伝える通知を23日付で送付したと明らかにしました。

長崎市の対応が注目されていましたが、長崎市の鈴木史朗市長は7月5日、8月9日に開く平和祈念式典への出席を望んでいた台湾に対して「出席いただける」と伝えたと報道陣に明かしたと報じられました。

台湾側はいずれも「喜ばしく思う」との声明を発表しています。

それにしても、広島市にしても長崎市にしても、不思議なというより、台湾にはこれまでなんとも面妖な対応をしてきたものだと驚きました。

広島市はこれまで、台湾とは「外交関係がないため市は当初、台湾は通知を送る対象に含めていなかった」そうです。

しかし、「被爆80年を迎える今年、人類の共存と繁栄を願う『ヒロシマの心』をより広く伝える必要があると判断した」(7月5日「NHKニュース」)と報じられています。

一方の長崎市は、広島市が平和記念式典に関する通知を台湾に送る方針を示したにもかかわらず、台湾は案内の対象にはならないと表明していました。

しかし、台湾は、招待状や案内状を送る在外公館を置くすべての国や地域、国連に代表部を置く北朝鮮など38か国に当てはまらなかったものの、台湾側から市に対して式典への参加を希望する意向が伝えられたことで、台湾の出席を受け入れることにしたそうです。

それにしても、この両市のこれまでの台湾への対応は面妖です。

腑に落ちません。

実は、広島と長崎で被爆した台湾人被爆者は18人いることを厚生労働省は明らかにしています。

加えて、在外被爆者への被爆者健康手帳を交付したのは台湾人女性が初めてのケースで、1963年10月のことだったそうです。

1996年に広島市が発行した『市原爆被爆者援護行政史』にも記載されているそうです(「中国新聞」2011年10月13日)。

すでに2012年3月には、台湾の被爆者たちの半生と被爆体験を記録する『台湾の被爆者たち』(長崎新聞社、A5判、232ページ)という本も出版されていました。

広島の平和記念式典も長崎の平和祈念式典も、これまで外交関係の有無が招待状や案内状を送る基準としてきたというのです。

国交のあるなしが基準でよかったのでしょうか。

これはどう考えてもおかしなことです。

どこぞの国への忖度でもあったのかと勘繰りたくもなるような台湾への冷たい対応でした。

これでは被爆して亡くなった台湾人は浮かばれません。

外交関係という後付けの基準で進めるべきではなく、被爆者の有無を基準とすべきでした。

被爆者健康手帳を持つ人々が住む国や地域を案内の対象とすべきだったと、いまさらながらに思います。

戦後80年の今年になってようやく是正され、台湾代表が広島と長崎の平和式典に初めて参列できるようになり、正常に復しました。

両市には、改めて被爆者健康手帳を持つ人々が住む国や地域を案内の対象とするよう進言します。


※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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