名越二荒之助氏を偲ぶ会と2つの遺作

『史実が語る日本の魂』と『これだけは伝えたい武士道のこころ』

 かねてご案内のように、日本李登輝友の会の設立以来、理事として活躍した名越二荒
之助(なごし ふたらのすけ)氏が4月11日に逝去され、一昨日の7月26日に「名越二荒
之助氏を偲ぶ会」が東京千代田区内の九段会館において開かれた。

 会場は文字通り立錐の余地もなく400名もの人々が参列。屋山太郎、高山正之、花田紀
凱、山際澄夫といったジャーナリストをはじめ、教育関係者や日台・日韓交流関係者な
どが遠く北海道や九州、韓国などから駆けつけて故人の人柄や業績を偲んだ。

 偲ぶ会の発起人は、小田村四郎(前拓殖大学総長)、板垣正(元参議院議員)、渡部
昇一(上智大学名誉教授)、田久保忠衛(杏林大学客員教授)、水島総(日本文化チャ
ンネル桜社長)の5名。渡部氏は所要のため欠席されたものの、会場正面に生花が飾られ
た。

 また、実行委員長は日台交流教育会専務理事の草開省三氏(本会理事)がつとめ、事
務局長は名越氏晩年の仕事をお手伝いした陸軍史家の奈良保男氏がつとめた。

 午後5時から打越和子氏の司会で始まり、主催者を代表して小田村氏が挨拶、ご遺族は
長男の名越健郎氏(時事通信社外信部長)が挨拶された。懇談に移ってからは山本卓眞
氏や湯澤貞氏、清水馨八郎氏などが次々と追悼の辞を述べられた。

 最後に、戦艦大和の号砲を聞き、皆で「海行かば」を斉唱、水島氏の声涙下る閉会の
辞をもって盛会裡に終えた。

 日本李登輝友の会関係者としては、小田村会長、田久保副会長、伊藤哲夫・柚原正敬
常務理事、水島・草開・井上和彦・佐藤健二・澤英武・中村粲・服部朋秋・林慎平・半
本茂・松岡篤志・宗像隆幸の各理事が出席。台湾研究フォーラムからは古市利雄事務局
長が出席した。

 名越氏は台湾関係では『台湾と日本・交流秘話』の編著者として著名であるが、そも
そもは『大東亜戦争を見直そう』(昭和43年)で世に出、晩年は『昭和の戦争記念館』
という全5巻の大作に象徴されるように、ほとんどの人が気づかないか取り上げるのに躊
躇する「美談」を好んで紹介された。日本に誇りを持ち、日本人としての矜持を持つこ
とを教えた。日本人ばかりではない。韓国人にも台湾人にも、自国に誇りを持つことを
歴史の事実をもって示した。

 追悼出版として『史実が語る日本の魂』と『これだけは伝えたい武士道のこころ』が
出されたので、台湾関係の著書ではないが、ここではこの2著を紹介したい。

 『史実が語る日本の魂』は、モラロジー研究所から出されている月刊誌「れいろう」
に連載された「語り継ごう日本の心」を単行本化したもの。オールカラーで数多くの写
真を駆使しつつ、24のテーマから世界に類を見ない日本の特質を明らかにしている。80
ページほどなので、日本を知りたい台湾留学生にはボリュームも内容も最適だろう。渡
部昇一氏が推薦している。

■書名 史実が語る日本の魂
■著者 名越二荒之助
■発行 (財)モラロジー研究所
■発売 学校法人廣池学園事業部
■定価 1,470円(税込)

 一方の『これだけは伝えたい武士道のこころ』は名越二荒之助氏と作家の拳骨拓史(げ
んこつ たくふみ)氏の共著。しかし、病床にあった名越氏は執筆叶わず、拳骨氏に執
筆を託した。本会理事でもある南丘喜八郎氏が編集・発行人の「月刊日本」8月号に、拳
骨氏が「遺作『これだけは伝えたい武士道のこころ』に託された名越二荒之助先生の思
い」と題して出版の経緯や内容を記している。下記にその全文を掲載するのでご参照願
いたい。

 ただ、本書は拳骨氏の方針で「支那事変」「大東亜戦争」という呼称を使わず「日中
戦争」「太平洋戦争」を用いている。それをしも受け止める度量を示すのは名越氏であ
ったが、『大東亜戦争を見直そう』で名越氏が世に打って出たことや、すでに教科書で
も大東亜戦争が使われていることなどを思えば、やはり残念である。推薦は櫻井よしこ
氏。

■書名 これだけは伝えたい武士道のこころ
■著者 名越二荒之助/拳骨拓史(共著)
■発行 (財)防衛弘済会 http://www.bk.dfma.or.jp/~sec/shohin.htm
■定価 1000円(税込)


遺作『これだけは伝えたい武士道のこころ』に託された名越二荒之助先生の思い

                         拳骨拓史(げんこつ・たくふみ)

「終に行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」

 靖国神社にサクラが花開いた3日後の3月23日。病床で横たわる名越二荒之助先生は
私の手を握り告げた。

 「後のことは任せた…しっかり頼むぞ」と。この数週間後、4月11日。先生はガンに
よる呼吸不全のため逝去される。享年84歳。

 名越先生との最後の会話は40分程であり、ご家族以外で最後にお会いしたのは私だけ
であった。

 その席上、先生は言葉を噛みしめるように、ゆっくりと私に語りかけた。

 「私にはやり残した仕事がある。その一つが防衛弘済会から依頼を受けていた『武士
道』本。これはメモ書き程度の目次で終わっている。この仕事を引き継いでほしい」

 私はあふれる涙をぬぐうこともできず、ただ…うなずくだけだった。

 名越先生のご遺志を継いだこの遺作は、『これだけは伝えたい武士道のこころ』とし
て2ケ月で脱稿した。

 先生はこの作品の概要を次のように話していた。

「最近は新渡戸稲造に代表されるように、空前の武士道ブームだ。だが新渡戸『武士
道』は、主に江戸時代の武士道について書かれていて、日清戦争や日露戦争、大東亜戦
争にいたる日本の武士道は書かれていない。武士道の魂は、この時代にこそ多くが花開
いた。この事実を伝えられないのは残念なことだ。いまの人々に『これだけは伝えた
い』」

 名越先生は自らの著書にサインを頼まれたとき、好んで揮毫した言葉がある。

「祈日本真姿顕現」

 …日本が真の姿を現すことを祈る…これは5年におよぶシベリア抑留を経て、大正・
昭和・平成という激動の時代を駆けぬけた先生の思いを、如実にあらわしている言葉だ
といえるだろう。

 先生は日本に左翼勢力がはびこる昭和40年代、日本の歴史教科書に「侵略」を刻めと
迫る家永三郎と戦うため、国側の弁護人となった。

「火中の栗を拾うことなかれ……」

 誰もが難役から逃げる中、先生は自らの命を引き換えにしてでも、日本の誇りと、尊
厳と、未来のために尽力しようと志されたのである。「敵がたとえ『千万人といえども
吾往かん』」先生のご心境にこれほど相応しい言葉はない。

 そして昭和56年の国会の席上、先生は参考人として教科書問題を提起した。

 じつはこの当日の朝、先生は極度の緊張のためか、声が発せられなくなっていた。

 「肝心なときに…」先生はあせった。国会に向かう時間は刻一刻と迫っている。先生
はこころを沈め、天を仰ぎ、静かに祈ること数時間。

 もう駄目か…そう思われた瞬間、先生に声がもどった。まさに奇跡だった。私はこの
事実を聞いたとき、日本の神々が名越先生を導いたのだと信じてやまない。

 こうして後年「時を止めた一戦」といわれる戦いは火蓋を切って落とされたのである。

 不死鳥の如くその声が甦った先生は、その舌鋒を如何なく発揮した。威風周囲を圧し、
整然と並びたてられる理論は完全無欠。これに反する人々は感情論でしか、批判するこ
とができなかった。だれが聞いても先生の言が正しいことは明らかだった。大東亜戦争
にわが子を送った方々は、みな涙をながして喜んだ。

 これを契機とし、日本の歴史教科書が偏向していることは広く多方面に知れ渡ること
になる。先生の至誠は、まさに天地を動かし、日本の歴史を回天させたのである!!

 本書『これだけは伝えたい武士道のこころ』は、名越先生の我々への遺書である。先
生によって命を吹き込まれたこの書は、21世紀を生きる若者たちへの熱い思いが託され
ている。

 むろん、浅学不才な私の筆によって、先生の思いすべてを描きつくせたとは思わない。
だが生前、先生のご薫陶を受けてきたこの身なればこそ、ご霊前に恥じぬものができた
と自負する次第である。

 ここまで文面を書いて病中の先生のお姿を思い出し、ポタリ…ポタリ…と紙面に落ち
ては滲んでゆく涙を禁じることができない。男子の涙するは恥ではあるが、逝去3ケ月
を経た今でもあふれる血涙をとどめることができないことが、先生の徳望をしめしてい
る。

 私の涙は単に師弟の関係ゆえではない。日本人としての涙である。不世出の逸材、名
越二荒之助という英傑を惜しんでの涙である。

 だが古人は言う。

 「意気精神、摩滅すべからず」と。

 名越二荒之助は世を去った。だがその意気は滅んではいない。名越二荒之助は他界し
た。だがその精神は「ライシング・サン」の如く、燦然と今もなお光り輝いているので
ある。

 名越二荒之助先生と旧交ある人、また拙稿を読んで名越先生を知った人、一度この書
を手にとって見ていただきたい。先生が最期に伝えようとした日本に対する思いとは何
であったのか。「これだけは伝えたい」思いとは何であったのか…すべてはここに書か
れているのである。
                             【「月刊日本」8月号】


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