中国が悪用する「チンギスハン」

中国が悪用する「チンギスハン」 
2020.10.20産経新聞

           文化人類学者静岡大学教授・楊海英

 チンギスハンに関する展示を延期する、とフランス西部のナント歴史博物館が12日に発表した。来春に開幕予定だった展示について中国の政治的検閲が次第に度を越してきたのが理由だと伝えられている。国際社会の文化活動に粗暴に干渉した中国のあしき実例がまたもや増えたことになる。

 ≪仏の歴史博物館に干渉≫

 同館は中国・内モンゴル自治区博物館と交流し、チンギスハンとモンゴル帝国の歴史文化について展示する計画を進めてきた。ところが中国側は展示において「チンギスハン」「モンゴル帝国」「モンゴル文字」といった文言の削除を要求してきたという。理不尽な政治的クレームであるにもかかわらず、実現を優先した博物館は一旦は譲歩し展示名を「天空と草原の子-チンギスハンとモンゴル帝国の誕生」に変更したものの、中国側は更に大幅な変更を求める。

 中国が思い描く物語に応じればモンゴルの歴史文化が完全に抹消されてしまう結果になると判断した博物館は「人類や科学、倫理的価値観を守るため」に、計画の見直しと延期を決定したという。

 実は似たような前例は日本にもあった。

 1995年冬に茨城県立歴史館が内モンゴル自治区博物館から文物を一部借りて、「チンギス・ハーンとその末裔(まつえい)たち」という展示を実施しようとした際に、同様な政治問題が発生していた。展示の手伝いを拝命した私が書いた、カタログ掲載予定の解説文に中国側は文句を付けてきたからである。

 私は、モンゴル帝国はそれまでの騎馬遊牧民である匈奴(きょうど)と突厥(とっけつ)、それに契丹(きったん)といった先駆者たちの足跡を追うようにしてモンゴル高原から出現して東西を跨(また)ぐユーラシア帝国を建立した、と書いた。ところが検閲を担当した中国側から「匈奴も突厥も、契丹も蒙古も我が国の古代の少数民族だ」とか、「匈奴政権もモンゴル帝国も我が国の古代の地方政権だ」などのように改竄(かいざん)されて戻ってきた。

 ≪筆者も経験した改竄≫

 そもそも自分の文を中国側に検閲させたことに対し不満はあったが、それも仕方ない、と私も最初は甘く見ていた。しかしその改竄には到底納得できなかったので、カタログから文を撤回せざるを得なかった。匈奴は漢王朝よりも長く存続しただけでなく、その一部は西へ移動してフン族に変身して東ローマ帝国の崩壊を促す役を演じたので、どこが「中国古代の地方政権」なのかと反論した。

 残念ながら、当時の日本側にフランス同様の人類の倫理観を守り抜こうという堅牢(けんろう)な意思もなかったようで、宗教のように語られていた「日中友好」が優先されて展示は実現したが、禍根は残ったままである。結局、日本がいくら中国に譲歩しても、「友好」どころか、先端技術は窃取され続け、今日では領土まで狙われるようになってきたのではないか。

 中国が、チンギスハンを禁句にするのには理由がある。周知の通り、今夏に爆発した全世界のモンゴル人による抗議活動の再来が怖いからだ。自治区のモンゴル語を禁止して、中国語による教育を強制し、モンゴル人を同化しようとした文化的ジェノサイド政策が登場すると、自治区内外から抗議の声は上がった。モンゴル文字とチンギスハンは最もモンゴル人のナショナリズムを鼓舞する要素であるので、中国は禁止するしかなかった。フランスにまで干渉の手をさし伸ばしたのは、常軌を逸しているとしか言いようがない。

 ≪政治利用で「称賛」「禁止」≫

 その中国はチンギスハンを大々的に称賛して政治的に悪用した前例もある。1962年はチンギスハン生誕800周年にあたる節目の年だった。当時はモンゴル人民共和国も社会主義制度下で小規模な記念行事を用意していたが、ソ連の圧力で中止に。チンギスハンはロシアを侵略した張本人と批判されたからだ。

 時は中ソ対立の真っ最中だったため、中国はこれぞチャンスだと見て「チンギスハンは中華民族の英雄だ」とか、「ヨーロッパまで遠征した唯一人の中国人だ」と歴史を歪曲(わいきょく)して見せた。史実は、チンギスハンはアラル海以西まで行っていなかったので、ヨーロッパまで遠征するという中国人の夢を彼も実現していなかった。それでも中国はモンゴル人からその偉大な民族の開祖を誘拐し、「中華の英雄」に仕立て上げたのである。

 中国人は、「元朝期は我が国の最も偉かった時代」と夢想する。それに対し文豪魯迅は喝破した。「一番偉かったと思い込んでいる時代は、実際は我々シナ人がモンゴル人の奴隷だった時代」、と25歳の時に日本語の学術書を読んで分かった心情を吐露している。

 時の政治に有利な場合、中国はチンギスハンを称賛するし、逆の時はまた禁止する。チベットや新疆、台湾と尖閣等を自国領と弁じる際もチンギスハンにすがるしかないので、今後もまたモンゴル民族の開祖は中国によって国際舞台に「連行」されるだろう。そして、中国の行為は必ずや墓穴を掘ることにつながるに違いない。(よう かいえい)


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