三田裕次氏の逝去を悼む【王明理】

三田裕次氏の逝去を悼む
              王 明理

台湾史研究者で台湾関連書籍収蔵家、三田裕次さんが11月に逝去された。まだ65歳の若さでいらした。三田さんは日本と台湾の台湾関係の研究者の間では、知らない人のない特別の存在であった。最近でこそ、台湾研究をする人たちが増えてきたが、三田さんはまだ日本人がほとんど台湾に関心をもっていない時代の、パイオニアであった。

大学時代に台湾に旅行に行ったことをきっかけに、台湾に深い関心を持つようになった三田さんは、やがて、台湾が言論統制下にあって、台湾人は自分たちの歴史も学べない状況にあることを憂えるようになった。そして、台湾の友人たちが来日した時に、台湾についての本を読めるようにと、私費をはたいて台湾関係の書籍を集めるようになった。生涯を通じて集めた書籍は数千冊にものぼる。

大学卒業後、大手商社丸紅に就職した三田さんは、1981年から6年半の間、台湾に赴任することになった。その間、ますます台湾についての知識を深め、会社が休みの土曜日に、大学で日本語を教えた。帰国後、その時の教え子や留学生たちが三田さんを慕って訪ねてくるようになり、ついに1991年から、自宅を開放して月に一回勉強会を開くようになった。王育徳の『台湾―苦悶するその歴史』もテキストとして使われたことで、我が家とは御縁ができた。日本の会社員が台湾人に「台湾史」を教える私塾として、日経新聞にも紹介されたことがある。(1994年7月27日文化面)奥様も献身的に三田さんに協力され、勉強会のあとは、留学生たちに手料理をふるまわれた。

三田さんは、長い台湾研究のキャリアを持ちながら、常に探究心旺盛で、間違いを指摘することに躊躇しなかった姿勢も、立派であったと思う。

私のことは「文学“元”少女」と言って応援して下さり、お元気な時には、毎日のよう
にメールを下さった。「この本を読んでおきなさい」とか「この文章のここは間違っているから、鵜呑みにしないように」と。最近では特に、広島の原爆ドームや台北の228紀念館の前で、ピースサインをしながら写真に納まる人に憤慨されていた。皆が見過ごすことにもきちんと向き合う純粋な人であった。もっともっと色々教えて頂きたかったのに、本当にもったいなく残念に思う。

今年の10月に亡くなられた張炎憲氏と三田さんは若い頃から親交があったが、奇しくも日本と台湾で、同時に、重要な研究者を失ったことになる。

数千冊にのぼる台湾関係の書籍は、三田さん自身の手で、「里子に出すような思い」で、この数年間にほぼ寄贈を終えている。所蔵先は政治大学台湾史研究所、淡江大学図書館、広島大学などである。

三田さんは、真摯に台湾に向かいあって下さった台湾の恩人である。心から御冥福をお祈り申し上げます。

掲載日時 2014.12.19 11:00


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