【阿彰の台湾写真紀行】台北の朝食店Part-1 豆漿店(中華式朝食店)

「台湾の声」【阿彰の台湾写真紀行】No.
21 台北の朝食店Part-1 豆漿店(中華式朝食店)

 台北の朝食店の形態として目立つのは一般的に豆漿店(トウチァンティエン=華語)と呼ばれる中華式朝食店だ。(24時間営業で夜中も開いている店もある)

 この形態の店は燒餅(sio-piáⁿ:シィオピア=中華パイ)や油炸粿(iû-chia̍h-kóe:イウチィアクエ=細長くてサクサクの中華揚げパン/油條)、饅頭(bán-thô:バントー=マントウ)や豆奶(tāu-leng:タウリイェン=豆乳/豆漿)、米奶(bí-leng:ビィリイェン=米やピーナツなどを粉砕、攪拌して液状にした甘い飲み物/米漿)といった飲み物、主に第二次大戦後、つまり1949年以降に台湾へ渡って来た外省人(当時の中国人)によって伝えられた食品(油炸粿や豆奶など、戦前にすでに中国から伝わっていた物もある)を提供している。

 特に中国山東省の食品の影響を受けたような物が目立つが、上海系の点心や広東系の甘い焼き菓子など、中国の他地域の食品や西洋系のハンバーガーやサンドイッチまで売っている店もある。

 山東系の食品が目立つので、第二次大戦後に台湾へ移民してきた山東人やその子孫の店が多いのではと思われがちだが、実は台北市内の豆漿店の多くは客家系台湾人経営の店が多い。実際、筆者自身も豆漿店の経営者がお客さんと客家語で話している光景を何回も見たことがあるし、客家系の友人からも豆漿店で働く人は客家訛りのある華語を話す人が多いと聞いたこともある。

 また、台北市や新北市の豆漿店で特に目立つのが「四海」や「永和」という二文字が店名に使われている店だ。全く同じ店名や似たような店名が非常に多い。しかも今やこれらの店名の豆漿店は台湾全土だけでなく、中国の都市やアメリカ、カナダのチャイナタウンでも展開されている。

 なぜ同名や類似店名がこんなにも多いのか。そしてなぜ客家人の店主が多いのか。それは台北市と新北市を結ぶ中正橋(新店溪という川にかかる橋)のたもと(新北市永和地区側)で開店して成功した豆漿店と、その店で修行した台湾中部の苗栗縣西湖郷出身の邱豐彩さんと多いに関係がある。

 1960年の苗栗縣西湖郷は元々貧しかった上に、度重なる自然災害の影響で、多くの人々が生活に苦しんでいた。当時20歳だった邱豐彩さんは台北縣(現在の新北市)永和へ移った。永和には遠い親戚のおばさんが住んでいたからだ。おばさんのご主人は中国国民党政府と共に台湾へ渡ってきた山東系外省人であった。このご主人から邱豐彩さんは、永和側の中正橋のたもとにあった「東海豆漿店」で修行しながら働く道を紹介してもらった。「東海豆漿店」の大株主はこのご主人と同郷の人だったからだ。

 邱豐彩さんは修行期間が二ヶ月も経たない頃、「東海豆漿店」の大株主の推薦と援助もあって、「東海豆漿店」の株主の一人になった。この「東海豆漿店」が大成功してから、株主同士の揉め事が原因で、「東海豆漿店」は「四海豆漿店」、「世界豆漿店」という二店に別れてしまった。

 1960年代の苗栗縣での生活は苦しくて、若者に仕事の機会はあまりなかった。当時、豆漿店の商売はとても儲かり、公務員や教師の給料の10倍も20倍も稼げたそうだ。そして豆漿店では常に人手不足であった。そこで邱豐彩さんは自分の兄弟や親戚たちに技術を伝授しただけでなく、故郷の若者たちに声をかけて、自分の店で修行させながら働かせた。邱豐彩さん自身も違う分野の料理職人や業者から様々な点心や焼き菓子などを学び、自身の店で売る商品の種類を増やしていった。

 邱豐彩さんの教え子たちも次々に自分の店を持つようになっていった。彼の直接の弟子だけでも1,000人近くいて、孫弟子まで含めると2,000人から3,000人くらいいるそうだ。弟子や孫弟子達は邱豐彩さんの故郷である西湖郷出身の客家人たちだけでなく、近隣地区の客家人たち、さらに新竹や桃園の客家人たちや、一部ホーロー人もいるそうだ。

 邱豐彩さんは1967年に政府の経済部に「四海」という店名で商標登録しているけど、弟子や孫弟子たちが豆漿店を出店する時に「四海」の名を使っても権利金を徴収していない。また、邱豐彩さんのお兄さんが率いる弟子たちは「永和」の名を好んで使うそうだ。中には「四海」も「永和」も両方店名に使う人たちもいる。こういうことであちこちに同名店、類似名店があるのだ。

 今や多くの豆漿店では中華系の食べ物、飲物だけでなく、台湾系の食べ物や西洋系の食べ物や飲み物まで販売している。その種類の多さに選ぶ時にとても迷う。軽く何十種類もの朝食の組み合わせが選べる。また、客の注文によって、燒餅(sio-piáⁿ:シィオピア=中華パイ)に、油炸粿(iû-chia̍h-kóe:イウチィアクエ=中華揚げパン/油條)や卵焼きや肉、生野菜などを加えるとか、飲み物も二種類以上をミックスしたり、甘さを抑えたり、砂糖を抜いてもらったり、飲み物の温度(冷たい、ぬるい、熱い)を調整してもらったりなどのアレンジもしてもらえる。

 筆者は豆奶(tāu-leng:タウリイェン=豆乳/豆漿)と米奶(bí-leng:ビィリイェン=米やピーナツなどを粉砕、攪拌して液状にした甘い飲み物/米漿)と紅茶のミックスや、飯丸(pn̄g-oân:プンオワン=餅米で作る中華式おにぎり。中に切り干し大根や中華揚げパンが入っている)に卵焼きを巻いてもらった物や、おにぎりの中に砂糖が入っている甘い飯丸(pn̄g-oân:プンオワン=中華式おにぎり)が好みだ。

 台湾の朝食店はこの豆漿店という形態の店だけではなく、他にも様々な形態、様々な料理の朝食店が存在する。そして、基本的にすべての店のすべての物がテイクアウトもできる。またの機会に違う形態の台北の朝食店を紹介したいと思う。

編集部より:「阿彰の台湾写真紀行」では、台湾在住のデザイナー、『台北美味しい物語』著者である内海彰氏が撮影した写真とエッセイをお届けします。写真は末尾のリンクから取得することができます。


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写真 1:豆漿店

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2:飯丸加卵(飯團加蛋)=中華おにぎりに卵焼きを巻いた物

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3:豆奶加油炸粿=豆乳に中華揚げパンを加えた物

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4:米奶加油炸粿=ビィリイェン(米やピーナツなどを粉砕、攪拌して液状にした甘い飲み物)に中華揚げパンを加えた物

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5:燒餅加卵佮油炸粿=中華パイに卵焼きと中華揚げパンを挟んだ物

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6:饅頭加卵(饅頭加蛋)=マントウに卵焼きを挟んだ物

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7:鹹豆奶(鹹豆漿)=豆乳に酢と中華揚げパンを加えた物

写真 8:甜餅=甘い焼き菓子

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9:蛋餅=卵と中華クレープを一緒に焼いて丸めた物

写真10:菜頭粿(蘿蔔糕)=大根もち

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