【論説】岡田外相の歴史発言

【論説】岡田外相の歴史発言

                時局心話會 代表 山本善心

 10月7日、日本外国人特派員協会で講演した岡田克也外相は、平成7年
の村山談話について「言葉よりも行動だ」と述べている。また「将来、日中韓
の歴史教科書は共通の内容にすべきである」「過去の戦争による日本軍の
侵略で被害を受けたアジアの人たちの傷跡は簡単に解決できるものではな
い」などと発言した。

 岡田氏は「言葉よりも行動」と言うが、具体的にどのような行動を取るのか
説明がなされていない。人間の言葉とは思考した結果を表現する道具であ
る。歴史に対する知識と根拠を持たず、言葉だけをもてあそぶなら健全な
歴史問題を語る資格はない。評論家のY氏は「岡田氏が言っている歴史観
は三重県日教組の歴史観と同じだ」と言うが、日教組教育の弊害が外務大
臣にまで及んでいたというなら、事態は深刻と言わざるを得ない。

 岡田氏がいう歴史共同研究会は、これまで日中韓の専門家の間で議論さ
れてきた。しかし中国や韓国の歴史教科書が国定であり、政治的な意図で
捏造されているのは周知のとおりである。これでは共通の教科書づくりは永
遠に不可能、との結論に達しよう。想像と創作による歴史観で統一見解や
統一教科書を作るというのは、ど
だい無理な話ではなかろうか。

中韓の歴史解釈は政策

 2005年6月には「日韓歴史共同研究会」がスタートしたが、3年間にわた
る議論の結果、歴史観の共有は至難であるとの結論に達した。学者の姜
尚中氏は数年前、ある雑誌で以下の通り述べている。

「残念ながら、この歴史共同研究の試みは、むしろ双方の歴史認識、その
国民(民族)の歴史の違いを鮮明に際立たせる結果に終わっている」「歴史
とは国民の歴史であり、それぞれが国家や国民の『側』に立ってその主張
をぶつけ合う印象を拭えない。つまりそこに垣間見えるのは『歴史外交』と
でも呼べるような、歴史学者や歴史研究者達の間の、それぞれのナショナル
ヒストリーを振りかざした『外交的』なつばぜり合いの場であった」

 先述のY氏も歴史問題は「こちらにこちらの理屈があり、あちらにはあちら
の理屈があることを再確認するだけ」と語る。共同研究が展開すればする
ほど、その過程で数々の見解の相違があってしかるべきだ。歴史とは共有
するものではなく「事実と根拠」を確認するものだが、中国や韓国の反日歴
史観は政治的意図によるもので、検証や議論の対象にはなり得ない。

外務大臣の日本罪悪論

 中国の友人は「日本の政治家は自ら自虐史観をもてあそんでいるようだ」
「中国の政治家に、自分の国が悪かった、反省するなどという政治家はいな
い」「外交とは開戦前の交渉である」という。開戦前から「すべてわが国が悪
かった」と、外務大臣が痛切な反省と心からのお詫びを宣言するなら、外交
交渉は初めから敗北というわけだ。

 岡田氏は米国に先制核の不使用を求めているが、中国の軍拡に全く触れ
ていない。鳩山首相も、昨年12月19日の講演で「私は中国が脅威だとは
思っていない」
と述べている。先述の中国人は「岡田氏は自ら進んで命乞いし媚を売ってい
るのと同じで、外交史上前例のないことだ」「鳩山首相は宗教家か童話作家
に向いている」とからかった。

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(村山談話)

 さて、問題の村山談話とは、戦後50年目に際して自社さ政権時代に村山
富市首相(当時)が発表したものだ。以下にその全文を掲載する。

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらた
めて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せると
き、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平
和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために
注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意
の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々
から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。
また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のよう
な友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、
有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すこ
とのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりませ
ん。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の
平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深
い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府
は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関
係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるた
めに、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在
取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼
関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方
を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への
道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民
を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけア
々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめん
とするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあ
らためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたしま
す。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧
げます。 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、
独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を
促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければ
なりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核
兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積
極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐない
となり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じており
ます。

 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時
に当
たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といた
します。

 さて、これを読んで、皆様はどう思われるであろうか。国を代表する総理
大臣が「自国が悪かった」などと発言すれば公式表明になるから、この村山
談話によって歴代総理は永遠に謝罪と反省を継承することになる。

歴史を鑑として誇りを持て

 何でも「反省と謝罪をせよ」と強調し、中韓の反日勢力に同調する日本人
は多い。民族は歴史を鑑として、誇りや自信を持つものである。歴史とは「事
実と根拠」に基づいたフィルムのコマのようなものだ。連続性の中の一コマだ
けを取り上げて、一方的に「悪」だと誇張する国がどこにあろうか。

 かつての歴史を現在の倫理や常識、価値基準で判断すればどうなるか。
戦前の売春は合法であり、男性も女性も合意の上で性行為の売買が行われ
ていた。戦地の兵士に慰安婦があてがわれたのは、当時としては自然な行
為とされている。慰安婦も好きこのんでなったわけではないが、そうせざるを
得ない時代背景があったからである。

 こうした戦争と貧困という厳しい時代を生き抜いてきた戦前の歴史には、
光と陰の部分がある。それはどこの国も同じことがいえよう。陰の部分ばか
りを強調する組織や団体は旧社会党をみるように着実に消滅しよう。

歴史は事実の記録

 彼らの主張はわが国の誇りや自信、未来が欠けている。戦争に負けれ
ば、戦勝国の一方的な裁きで「非道な国」の烙印を押されるのは当たり前
であるが、それに同調する日本人はもっとおかしい。

 かつての戦争時代は群雄割拠の時代であった。「わが国は植民地支配と
侵略によって、多くの人々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害
と苦痛を与えた」とは、当時の戦争状況を全く無視した一方的な歴史観に
他ならない。

 厳粛な事実としての歴史に対する岡田氏の認識は、三重県日教組教育に
よる後遺症だとする意見に説得力がある。GHQの最高司令官であるマッカ
ーサーも「日本が戦争を始めたのは、主として安全保障上の必要に迫られ
てのことだった」と認めた。今や「事実の記録」に基づく歴史の真実が見直
されつつある。どんな会合でも岡田発言はおかしいとの意見でもちきりだ。


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