「核の傘」とは言葉だけの存在であって、実態のないものである
日本の核武装について全面的に賛成です。以下は日本戦略研究フォーラム季報 第48号、2011年4月 p32-33の論文ですが、是非ご参照ください・
読者 渡邉 巌
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
著者紹介:渡邉 巌(わたなべ いわお)、1938(昭和13)年、東京生まれ。
東京大学農学部卒、農学博士。農水省技官として、日本の農業研究所と国際
熱帯農業研究所(在ナイジェリア)、食糧・肥料技術中心(在台湾)などの
国際機関において発展途上国のための研究支援と技術情報の普及活動を行う。
日本熱帯農業学会賞受賞、著書に「要約のときー半世紀を振り返るー」文芸社
2009年がある。
日本の核武装について
渡邉 巌
これまで日本では核についての議論はタブーとされてきた。このためもあって今回の原発事故にあたって、政府の対策が後手後手にまわるなど、政治家を含む国民の原子力に対する無知がさらけだされた。それでも以前にくらべると問題意識が開放的になってきたように思える。
例えば、2月15日付け産経のアンケート調査では国民の87%は核につき少なくとも議論をすべきだという意見であった。半歩前進といえる。アンケートの結論は、「核を自らが保有しなくても、日米安保体制を堅持すれば大丈夫だ」という意見のようだ。アメリカの核の傘が有効だと思っているらしい。
「核の傘」とは言葉だけの存在であって、実態のないものであることに気がついていないのが私たち日本人の大部分である。この文章で私が提示したいのは、「日本が真の意味での独立を達成するためには、外国からの核の恫喝を受けない国であるべきであり、そのためには核武装をすることが必須である」という主張である。
私も大好きな日本ではあるけれども、外交の弱々しさだけは耐えられない。尖閣問題、北方四島の問題、竹島問題、拉致被害者の問題、シー・シェパードの問題などなどである。外交力を支えるものは決して軍事力だけではないが、軍事力がその太宗を占めることは否定し難い。
1.外交における二つの考え方
外交には二つの考え方がある。一つは理想を求めて祈る平和主義であり、いま一つは勢力の均衡により平和を達成しようとする行動派・現実派の平和主義である。前者は理想主義であったアメリカのウイルソン大統領にちなんでウイルソン主義ともいう。理想を求める姿勢は人間として好感が持たれ、リベラル派がこの主義を信奉する場合が多い。
具体的には国際法の強化を図るなど、国際機関の働きに期待するところが大きい。現在の国際連合も次第に強化されてきてはいるが、安全保障理事会のメンバー国が拒否権をもち、国益を主張し続けるために効果的な行動がとれないでいる。ポルポトによるカンボジア人大虐殺、中国によるチベット人虐殺、イスラエルによるパレスチナ・レバノン人虐殺、アフリカ民族間紛争など、国連は世界の不正に対して殆ど無力であった。現在軍備拡張を続ける中国に対して、国際協調と国際法遵守を叫んでも無駄である。
要するに祈る平和主義には期待が持てない。毎年広島と長崎で行われる原爆記念日に祈りを捧げることに、核廃絶促進効果があるとも思えない。
2.核廃絶運動
2009年4月、オバマ大統領はチェコのプラハで核廃絶運動を提唱した。世界の人々が大喜びをしたお陰で、大統領はノーベル平和賞を受賞した。しかし、プラハでの演説の内容を見ると核廃絶への夢を述べたにすぎず、廃絶は多分自分が生きている間には達成できず、しかも核兵器が存在する限りこれの使用を抑止するために自分達は核を維持し続けるという決意も述べている。
この演説の主な目的は「核廃絶」ではなくて、「核拡散防止」であることがわかる。廃絶への言及はわずか数行であり具体性が無いのに対し、拡散防止については長々と述べ、話に具体性もある。イランやテロリストが核兵器を手にしたら(アメリカにとって)大変なことになるという話が中心であった。
核を持つ国が核不拡散を主張するのは、自分達の相対的有利性が低下するのは困ると言っているわけで、この立派な主張は実は極めて冷酷・身勝手・不道徳な主張に思える。安保理の超大国がこぞって核兵器を持ち、核放棄の可能性はない。国際政治の論理の倫理性は常にこの程度のものであり全く頼りにならない。少なくとも核の廃絶は不可能であることをしっかりと認識して初めて正しい議論のスタートに立つことが出来る。
3.核兵器の特殊性
核兵器の特殊性は中国が核兵器開発に踏み切った動機を振り返るとよくわかる。それらは
1)現在の国際社会で自主的な核抑止力を持たない国は真の独立国ではあり得ない。
2)核の傘という概念は不道徳な欺瞞である。他国のために自国の国民を犠牲にできるはずはない。ソ連が中国に核の傘を提供するというのは覇権主義が使うトリックである。
3)その効果を考えると核兵器は安価であり、100億ドルの投資で米ソからの先制攻撃を防止できる。
4)国際社会で真に発言権を持つのは核武装国だけである。
このような中国の論理は決して中国に特異的な論理ではなく、例えばイギリスのサッチャー首相は核抑止力の合理性を次のように要約している。
1)1947−91年の間の冷戦期に米ソ間で軍事衝突が無かったのは桁違いに大きい核兵器の戦争抑止力による。
2)戦争抑止力が最大の兵器は核兵器である。経費と効果の比較においても核兵器より優れるものはない。イギリスの軍事予算は中型国家であり、核兵器に依存するのが最も合理的である。
3)イギリスが常に最新型の核抑止力を持たなければ、国際社会で独立した発言力を失う。
4.他国を守るための「核の傘」は、言葉だけが存在して実体は存在しない。
米国は日本に「核の傘」を提供するから、日本自らが核を持つ必要はないと言うが、日本を核恫喝しようとする国は、他国のために自国の国民を核の危険にさらすことを了解する国は実際にはあり得ないということを良く知っている。このため、自主的な核抑止力を持たない国が、集団的自衛権の取り決めにより他国が守ってくれるはずだと思うのは楽観的な気休めにすぎない。これは核兵器の特殊性に由るものであり、この点では欧米の軍事学者と国際政治学者の間で意見が一致している。
アメリカの外交専門誌「フォーリン・ポリシー」編集長のビル・メインズが公言するように、日本に自主的な核抑止力を持たせないこと、すなわち国家として自立出来ない状態にしておくことがアメリカの戦後から今に至る対日政策の基本中の基本であることを日本ははっきりと自覚する必要がある。
5.ミサイル防御システム(MD)は無効である
核弾頭を搭載して侵入するミサイルを、着弾前に全てを確実に撃ち落とすことができるミサイル防御システム(MD)があれば、核兵器を持つ必要はない。実際アメリカ連邦下院・外交委員会のファレオ・マバエガ氏は「日本はアメリカの核の傘とMDシステムで守られているから心配はない」という。
しかし、この説明くらい欺瞞に満ちた発言はない。複数の弾道ミサイルや巡航ミサイルを同時に使用すれば全てを迎撃することは不可能である。まして中国が既に開発済みの多弾頭ミサイルにおいては、一つのミサイルが目的地近くで10発程度に分散するため、迎撃は益々不可能になる。あるいは迎撃対象を増やす目的で核を持たないおとり(Decoy)を混ぜることもできる。さらには1発目の核弾頭を相手近くの上空で故意に爆発させれば磁界は混乱してMDによる追跡が不能になる。
6.日米安保の重要性とその限界
この文章では、アメリカに頼りきると足をすくわれる可能性があることを何度か指摘してきた。アメリカに限らず、いづれの国も先ず自国最優先の方針をとるのは自明の理であるからだ。例えば、アメリカが中国との関係を最優先するようになることもあり得る。日米安保も日本にとり限りなく重要ではあるが頼りにしてはいけない。この真理は親日的なアメリカ人が私たちのためにたびたび言及してくれていることであり、肝に銘じておきたい。自分の国は自分で守る。憲法の諸言の第一行目に置きたい言葉である。