大阪の根屋氏が紹介されていました「ペンの森」という私塾の田村氏の活動は現代の日本人に忘れがちな日台関係の歴史を啓蒙する素晴らしい事だと思います。
私が台湾に在住していた87年初秋のある夕方、台湾大学校内を大学前の公館で夕食を済まし歩いていました。
やっと夏が終わり涼しく成りだし散歩にいいころでした。
私の数メールトル前を三人ずれが歩いていて彼らの話しが聞こえてきます。中国語は有気音が多くそれだけ大声になります。発音からして彼らが台湾人でなく外省人(中国人)あることはすぐ判りました。二人は中年男性残る一人若い20代の女性で男性の娘のようでした。
声が大きいので良く聞こえてきました。父娘は米国からの帰郷訪問で他の一人が台湾在住、而も二人の男性は学友で共に台湾大学のOBの様でした。娘は台湾初めての訪問で台湾の風物に感想を話し、中年二人は学生時代の話しが弾んでいました。話しは台湾大学に及び椰子の並木通りの美しさ、元は台北帝大で日本が設立したこと、図書館の蔵書に台湾北帝大の刻印が押して有った事等日本はよくもこれだけの大学を設立したものだと感心して又日本は台湾に学校、病院、鉄道、道路、上下水道、放送、通信網等膨大なインフラ投資をし僅か50年で台湾を近代化したと、しかし、それも敗戦で全部パー(完蛋了)。全く損な事をしたもんだ、など話していました。これを聞いて一言、言ってやりたくなった思い出が有ります。
中国人(外省人)も良く知っているのですが公には絶対言いません只日本が侵略したのみ大言します。台湾人はきちんと過去の貢献も不満も言います。東海岸の花蓮港の郊外に吉野村と言う農村が有り地元の人から聞いたですが、ここは和歌山県の吉野からの入植者たちが害虫毒蛇を駆除し荒れ地を開き素晴らしい水田農作地にしたが、敗戦で全て残して引き上げて行ったと。 かわいそうだったと日本語で高砂族(山地人系)の初老の人が説明してくれました。
霧社という山中の高砂族の集落が有ります霧社事件で有名ですが、そこの神社が後に紅い朱塗りの廟に変わり霧社事件の慰霊碑が国民党により建てられ日本の侵略を非難する文言有りました。日本語を話す人が多くあれは中国人が作った物だと言いました。日本語を習っていない子供たちも家で祖父母が日本語を話すので片言ながらきれいな発音の日本語を話しました。高砂族間では言葉が通じないので日本語な共通語になり、戦後世代では中国語がそれに代わりました。特に若い女性たちは巻舌音の有る北京語を話し台湾国語(台湾式中国語)でないのに驚き、聞いてみると小中学校の教師に徹底的に北京語教育を受けた者を配属していると。
高金素梅が北京語を話すのと同じで多分彼女は台湾語はあまり話せないのでは…
当時台湾国内を旅行しているとあちこちで突然きれいな日本語で話しかけられ驚きまた嬉しいなり多々親切にしてもらいました。田舎へ行く程日本語を懐かしく話しかけて来る人が多く食事や酒をふるまわれました。
日本時代の事特に小学校の先生方に可愛がられ楽しかった事等 この様な過去の事実が客観的に見られず一面的侵略史観のみが強調され又それに同調宣伝する日本人がいることにやりきれない思いがします。
多くの日本人に公平客観的事実認識が出来る様より多くの啓蒙活動を期待します。中国式の白でも黒でも言い張って押さえ込んだ奴が勝ち、勝てば全て正義だ、ではない世界が必要です。
一親台湾日本人より