【西村眞悟の時事通信】台湾のこと

【西村眞悟の時事通信】台湾のこと

                          
             西村眞悟

 二月二十八日が過ぎた頃より台湾のことを書きたいと思っていたところ、先日、産経新聞が、台湾政府が、尖閣諸島に関して中共と対日共同行動をとらないこと表明した旨報道していた。
 そこで、台湾の、二月二十八日に関することと、尖閣に関すること、そして山岳民族である高砂族に関して簡潔に述べておきたい。

 我が国が戦争に敗北して連合国に降伏して「終戦」となったのは、昭和二十年九月二日だ。
 ここから、我が国の歴史教科書は、きっと「言論統制」を受けているのだろう、足並みをそろえて、嘘を子供たちに教え始める。
 「すなわち、日本の敗北によって、世界に平和が訪れた」、と。

 これは嘘だ。
 日本の敗北と日本軍の武装解除によって、アジアが動乱のルツボとなった。
 それを為したのは、ソビエト、コミンテルン、中国共産党、中国国民党、イギリス、フランス、オランダである。
 まず北から、
 平和な満州は暴力と無秩序に支配され、それをもたらしたソビエト軍と共産パルチザンという匪賊の集団は朝鮮半島に雪崩れ込んできた。
 次に、万里の長城以南では、日本軍によって守られていた秩序が崩壊し、中国共産党と中国国民党の内乱が始まった。さらに、中国国民党は、台湾に進駐して恐怖と暴力によって支配を始め、台湾の豊かな物資を大陸の内戦に投入して台湾を疲弊させる。
 イギリスは、ビルマとシンガポールを回復してアジアへの武力支配を開始し、さらにオランダとともにインドネシア独立運動を弾圧し、数年にわたる独立戦争がインドネシアで始まる。フランスも、仏領インドシナの支配を開始するがベトナムなどで独立戦争が勃発する。
 以上の通り、日本軍の武装解除によって、中国大陸では内戦が勃発し、結局共産党が支配権を握り、以後、総数八千万人ともいわれる人民が共産党に殺され粛正される大惨害が始まる。
 朝鮮半島では、共産主義者とアメリカを中心とする連合軍の確執が始まり、後の凄惨な朝鮮戦争の原因が作られる。
 東南アジアいまのアセアン地域では、イギリス、フランス、オランダの植民地支配を回復しようとする軍隊に対する独立戦争が勃発する。

 そして、台湾では。
 進駐した国民党軍による強権的支配のなかで、民衆の不満が爆発する昭和二十二年二月二十八日を迎える。
 きっかけは、街頭でたばこを売っている婦人を国民党の警官が拳銃で殴ったことであったが、台湾人の不満が爆発した。
 これに対して、蒋介石は殺戮を以て応える。
 以後、蒋介石は、戒厳令を布告して日本時代の指導的地位にあった者や、教師、医師などのインテリ層を中心に「粛正」を進め、総数不明ながら三万人以上の台湾人を殺戮する。
 これを「白色テロ」という。
 台湾の戒厳令は、これから四十年間も続けられることになるが、「白色テロ」はこの間続けられていた。
 そして、このきっかけとなった昭和二十二年二月二十八日の日付けをとって、ここから始まった「白色テロ」を2・28事件と呼んでいる。

 さて、では、この2・28事件で国民党に殺された数万の台湾の学生、青年、知識人そして善良な人々は、どこの国の人だったのか。彼らの国籍はどこだったのか。
 結論・・・彼らは日本人だった。

 このことを踏まえて、私は二年前に、台湾の高雄で人々と会食して話をした。高雄中学(旧制)の同窓会の皆さんが集まってくれた。すべての人が、「白色テロ」によって複数の肉親を殺されていた。
 「尖閣の漁場は、日本人が開拓した日本の漁場だ。
 そして、その日本人の中に、
 台湾の日本人も含まれていることを、日本人は決して忘れない」
 と私は言った。
 皆、シーンとなって聞いてくれた。

 この度、台湾政府から「尖閣に関して中共と共同行動をとらない」という方針が示されたが、日本政府こそ、日本と台湾の歴史的絆を基に、尖閣周辺の漁場を日本人と日本人であった台湾人とで譲り合うという方針を率先して示すべきであったと思う。

 台湾の山岳地帯に、数万年前から各部族に分かれて住んでいた人々のことを総称して高砂族という。
 この人々は、今でも日本人だと思っている。

 この人々は、日本が大東亜戦争を戦うにあたり、高砂義勇軍としてニューギニア戦線やフィリピン戦線で勇戦奮闘した。
 このとき数万年にわたって部族に分かれていた彼らが初めて日本人として一つになった。
 ニューギニア戦線は、「地獄のビルマ、天国のジャワ、生きて帰れぬニューギニア」といわれた過酷な戦場だった。
 このときの、彼らの戦いぶりに遭遇して、アメリカ軍は彼らが山岳地帯に立てこもる台湾に侵攻するのを諦めたのではないかと私は思っている。

 そこで、現在、
 日本と台湾との歴史の絆を回復するために、再び重要な要(かなめ)の存在となるのが高砂族だ。
 昨年私は、二度にわたって台湾の山に高砂族を訪ねた。
 今年百歳になられる元関東軍特務機関員である門脇朝秀さんに同行して訪ねたのだ。
 今年、私は、未だ台湾を訪ねていないが、
 門脇さんは、二月二十七日から、台湾の山に高砂族の頭目を訪ね、今日あたり、日本にいるより「気が休まる」という南の潮州に着かれたころだと思う。
 尖閣に共に上陸した記録担当の稲川和男さんは、潮州には行かず、明日あたり東京に戻るだろう。


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