西村眞悟の時事通信より転載
西村眞悟
9月3日日のTVニュースで、習近平国家主席が、北京近郊の廬溝橋付近で「抗日戦勝利
記念式典」を開いている映像が流れた。
例の、もっともらしい顔をしていた。そして「重要講話」を行って、日中関係改善
に意欲を示した、という。つまり、「中国共産党、中国政府、中国中央軍事委員会は
中日関係の長期の安定的で健全な発展を望んでいる」と言ったという。
しかし同時に、言ったのは、「日本側は、歴史、人民、未来に対し責任ある態度で、
中日友好、アジア地域の安定という大局から歴史問題に善処すべきだ」ということ
だ。
これらの発言を総合して、習近平が「中日関係改善」に意欲を示したとは、いつも
の中国担当記者のパターン化した報道の仕方だ。
この報道は間違っている。実態に即しておらず、受け手に誤解を与える。こういう
報道をするから、日本外交は、相手が微塵も宥和する気持ちがないのに、「歩み寄れ
る」と誤って判断し、中共に翻弄されてきたのだ。
もし、路上強盗が、凶器をちらつかせて、「仲良くしよう。地域の安定のために騒
ぐな。その為に、財布の中身をみんな出して俺に渡せ」と言えば、それを取材した記
者は、強盗が「関係改善の意欲を示した」と報道するのか、馬鹿馬鹿しい。
さて、中共における昨日の九月三日の「抗日戦争勝利記念日」そして本年十二月十
三日の「南京大虐殺犠牲者追悼の日」は、本年になって習近平主席が決定した「記念
日」である。
習近平の本年は、出だしから、韓国の朴橦恵大統領と「反日」で意気投合し、ハルピ
ンに我が国の元勲伊藤博文を暗殺したテロリストの記念館を開設し、ドイツのベルリ
ンで「反日演説」をし、自ら制定した年末の「南京犠牲者追悼」を行って「反日」で
終わる。そして、
習近平の来年は、「抗日戦争と反ファシズム戦争勝利70年」を大々的に祝い、世
界に日本を打倒した中共の「存在感」を誇示して中共主導で世界に「反日包囲網」を
作る所存であろう。
そこで、まず言っておく。
我が国が、東京湾に入ってきたアメリカ戦艦ミズーリ号の甲板で連合国との降伏文
書に調印したのは、昭和二十年(一九四五年)九月二日である。
しかし、習近平の制定した「抗日戦勝記念日」は、何故、その九月二日ではなく九
月三日なのか。
その訳は、九月二日のミズーリ号甲板上の勝利した連合国の中に、中国共産党のか
けらもないし、中華人民共和国もないからである。当たり前といえば、当たり前だ
が。
ミズーリ号に、かろうじて、名前があったのは、中華民国である。つまり、中華人
民共和国は、その時存在せず、中国共産党も日本と戦う主体ではなかった。
中国共産党は、日本軍から見れば、暴行を繰り返して治安を不安定にするだけの、
現在のイラク北部のイスラム過激派よりも存在感のない「共産匪」に過ぎなかった。
では、中国共産党ではなく、国家の実態はあったのかどうか疑わしいのだが、とも
かく「中国」と彼らが呼ぶ単位においては戦争の主体があったのか。
それについては、私が言うより、しっかりした研究者の説明を紹介しておきたい
(別宮暖朗著「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」文春新書)。
「現在の中国の指導者の習近平は、『第二次大戦』の枠組みと称して、自国が大国
であると触れ回り、各国の失笑を買っている。
中国は二回の世界戦争で大きな役割を果たさなかった。習近平の原動力は、日本へ
の嫉妬である。
中国は第一次大戦には事実上参戦できず、第二次大戦においては、蒋介石が中国本
土のみで退嬰的な戦闘を間歇的に実施しただけである。」
つまり、その時、中国大陸には、内戦で国民党に痛めつけられて戦闘単位にならな
い靴も履いていない「共産匪」と、各地の何処と敵対しているのか分からない軍閥
(強盗団)と、反日の姿勢を示しておれば、米英から膨大な物資がただでもらえて女
房(浙江財閥)も喜ぶという旨味が忘れられずに重慶に立て籠もっている蒋介石がい
ただけである(対日戦という商売をしていた)。
次に、昨日の「記念日」を制定したときに、習近平は、「日本の指導者が侵略の歴
史に正面から向き合い、歴史や国民、未来に対して責任ある態度を表明し、過ちを修
正することを望む」と言った。
まず、この言葉は、習近平が、中国共産党に対して言うべき言葉であると指摘した
い。
中国共産党は、共産革命のための内戦で人民を何人殺戮したのか。
共産革命の成功の後に、粛正、大躍進、文化大革命などの「闘争」で何人の人民を殺
したのか。その内戦と内戦後で、合計何人が死んだのか。八千万人か一億人か。
習近平よ、特に貴君が体験した文化大革命で何人が殺された。「歴史に正面から向
き合い、責任ある態度を表明し、過ちを修正することを望む」
それから、またぞろ、来年の「抗日戦争勝利70年」に向けて朝から晩まで繰り返
しよる「日本の侵略の歴史」について、この際申しておく。
大切なことは、国際的に明確な「侵略の定義」から結論を言うことだ。支那事変に
おいて、侵略者は、日本ではなく中国である。これが結論である。
「侵略」とは、英語で、「aggression」、つまり、先に手を出す、即
ち、第一撃を放つことである。
昭和十二年(一九三七年)七月、廬溝橋において、第一撃を放ったのは、明らかに
中国である。すぐに廬溝橋現地で停戦がなったその直後、通州で無防備な無辜の民間
の日本人婦女子数百人を、無惨に残忍な方法でなぶり殺したのは中国である。
さらに日中両者の間で和平協定が成立した翌八月、上海において、四千名の日本の
海軍陸戦隊を、数十万の正規軍で突如攻撃したのは中国(蒋介石)である。
よって、国際的定義に基づく結論は、「侵略戦争、aggressin war、
を始めたのは中国である」。日本外交は、来年に向けて、世界に対し、国際的定義に
基づいて、この結論を正々堂々と主張するべきである。
以後、蒋介石は、重慶に立て籠もり援助物資をもらいながら、退嬰的な戦闘を間歇
的に行い、
共産党も、内戦から戦争へ戦争から革命へのコミンテルンの指令通りの方針を堅持す
る。
即ち、退嬰的な戦闘、ゲリラ戦を終わらせないことが、中国国民党(蒋介石)と中
国共産党(毛沢東)の双方の戦略であった。そして、この戦闘で我が国は負けなかっ
た。
しかし、我が国は、対米戦争において敗北し、九月二日のミズーリ号に全権が趨い
て降伏文書に調印するが、その場には、物資をもらうことが戦争だった国民党が端っ
こにおったが、共産党の影はなかったのだ。
以上の通り、習近平と朴槿恵のもっともらしい顔を見れば、言いたくなる、言わね
ばならないことを述べた次第。
事実が最も強く、この事実を以て、中韓の仕掛ける、歴史戦、心理戦、宣伝戦に断
じて負けず勝利しなければならないからである。