【第19回武士道精神の実践】第六潜水艇長・佐久間大尉の遺書

【第19回武士道精神の実践】第六潜水艇長・佐久間大尉の遺書

家村和幸

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

このたび新刊を出すことになりました。
『兵法の天才 楠木正成を読む (河陽兵庫之記・現代語訳) 』
⇒ http://okigunnji.com/picks/lc/ie1.html

新刊を予約くださったKさんから、ご質問をいただきました。

お問い合わせの内容
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一族の命運を賭けた楠木正成の尊皇精神はどのようにして生まれたのでしょうか?
神皇正統記の北畠親房は天皇の側近という立場であり、尊皇であるのは理解できますが、楠木正成はいわば田舎侍で、天皇家との距離感があったのではと思います。彼自身だけではなく一族挙げて命を賭けるほどの尊皇精神の由来が、現代に生きる凡人である私には理解でき兼ねています。
なにかヒントがあれば教えて欲しいと思いますが・・。
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 まずは、新刊本のご予約をいただきましたことにお礼申し上げます。

 純日本の兵法書『闘戦経』を生んだ大江家の四十一代・大江時親は、金剛山麓に館を構えて土地の豪族に兵法を伝授していました。この一族が、後に鎌倉幕府を倒して建武の中興を成し遂げる中核の戦力となり、さらには足利らの賊軍を相手に滅亡するまで戦い続けた楠公こと楠木正成や、その子、正行らでした。

 幼少の時から時親に「孫子」と『闘戦経』を習っていた楠木正成は、「孫子」だけを学んだ他の武人以上に「日本とは何か、日本人とは何か」が解かっていました。言い換えれば、(足利のように)シナ風に染まっていなかったということです。

 それゆえ、正成とその子孫には、公に尽くすという心だけがあって、「私」というものが一切ありませんでした。まさに武士道精神そのものの生き方でした。そして、日本において尽すべき究極の「公」が、万世一系の 天皇陛下をおいて他にないということは、日本が日本であるかぎり、今も昔も、これからも変わらないと私は思います。

前号をご覧になった、たかさんからは、

<私は、海外にて仕事をする機会が多々あります。日本人としてどうあるべきかというのはあまり考えないですが、国籍問わず手本とする人はどうあったかということを考えるととても良き手本がこのメルマガを通じて教えられています。私自身では、なかなかそのような手本を見つけることは難しいのでとても感謝しております。>

とのコメントをいただきました。力になります。ありがとうございます。

 さて今回は「武士道精神の実践」の第五話といたしまして、明治43年に訓練中に遭難した第六号潜水艇の佐久間勉艇長について紹介します。

 艇長以下14名全員が配置に就いたまま殉職していたことは、日本中の人々に深い感動を与え、その「なすべきことを成し遂げる責任感」が小学校の修身科教科書を通じて子供たちにも教えられていました。

さあ、きょうも【武士道精神入門】をお楽しみください。

 海底の 水の明りにしたためし

    永き別れの ますら男(お)の文

             与謝野晶子

▽ 花は散りてぞ香を残し、人は死してぞ名を遺す

 明治43年4月15日、我が国で最初の試作型潜水艇「第六号潜水艇」は、潜航演習のため山口県新湊沖へ出た。午前9時30分に母艇である暦山丸を離れ、午前10時前にガソリン潜航を開始した。

 ガソリン潜航とは、現代のスノーケル潜航のようなもので、海面上にパイプを出し、空気を取り入れながらガソリンエンジンにより航行するという、当時としては斬新な発想であり、第六号潜水艇はこれを試験中であった。しかし、間もなく艇に故障が発生して海水が入り込み、艇は14名の乗員を閉じ込めたまま、海底へと沈んでいった。

 艇長の海軍大尉・佐久間勉は、すぐに部下に命じて、海水が入るのを防がせ、排水作業を行わせた。しかし、電灯は消えて艇内は暗く、動力も止まったために手押し式のポンプを頼りに必死の復旧作業を続けた。

 母艇が見つけて救助に来るかもしれない、というかすかな望みも海上との連絡がとれず、あてにできなかった。艇内には悪性のガスが溜まって息が次第に苦しくなり、乗員が一人二人と斃(たお)れていく。最早これまでと覚悟した佐久間大尉は、司令塔の「のそき孔(あな)」からわずかに漏れてくる光を頼りに、鉛筆で手帳に艇内の様子を書き始めた。・・・

 第六号潜水艇は再び浮上することなく、乗員全員が殉職した。

 当時、世界中で潜水艇が開発され、このような事故は日本だけではなかった。引き揚げた艇内は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の状況を呈していたのが諸外国の例に見られたが、第六号潜水艇の場合は、総員整然と持ち場に就いたままの姿で発見された。そのため世界的に大きな反響を呼び、各国の潜水学校では、現在も尊敬すべき潜水艦乗りの姿として教育されている。

▽ 国民に与えた深い感銘

 佐久間大尉が書残した記録は、まず冒頭で艇長として事故を起こしたことをわび、そして事故の原因と乗員の行動を記し、最後に「公遺言」として、謹んで天皇陛下に部下たちの遺族の救済をお願い申し上げていた。死の苦しみと闘いながら文字は乱れ、それでも文章はきわめて沈着冷静に書かれていた。

 この「佐久間艇長の遺書」は、すぐに新聞で報道され、写真で公開された。佐久間大尉の福井県立小浜中学校時代の恩師であった成田鋼太郎氏は、この新聞を読み、次のように日記に書いている。

 ・・・これを読みて、予は感極まりて泣けり。今泣くものは、その死を悲めるにあらざるなり。その最後の立派なりしに泣けるなり・・・

 佐久間大尉は、このように危険な職務である「潜水艇長」を命じられたときから、常に死を覚悟していた。そのため、個人としての「遺言状」もこっそりと書いておいた。

 この事故があった前年に妻・次子は長女を産んだ直後に亡くなっていた。わずか一年の短い結婚生活だった。彼は「遺言状」の中で、遺される父親や長女への遺産相続などに触れたあと、「我れ死せば遺骨は郷里に於て、亡妻のものと同一の棺に入れ混葬さすべし」と書いていた。

▽ 皆ヨクソノ職ヲ守り沈着ニ事ヲ処セリ

 第六潜水艇長・佐久間大尉は、自らの命に代えて、これから先の日本海軍の潜水艇開発のために、文字どおり「必死」で詳細な記録を書き残そうとしたのであった。

 以下に、佐久間大尉が艇内において死の直前まで書き続けた遺書の全文を掲げる。全文カタカナ書きで、専門用語など難解な部分もあるが、難しい漢字の読み方を半角文字( )で補足する以外は、全て原文のままで紹介する。

 佐久間艇長遺言

 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死二至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守り 沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ 職ニ斃レシト雖(いえど)モ 唯々(ただただ)遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤り 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希(ねがわ)クハ諸君益々勉励以てテ此(こ)ノ誤解ナク 将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等(ら)一(ひとつ)モ遺憾トスル所ナシ

 沈没原因

 瓦素林(ガソリン)潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦(し)メントセシモ 途中「チエン」キレ 依(よ)ッテ手ニテ之(これ)シメタルモ後(おく)レ 後部ニ満水 約廿五(25)度ノ傾斜ニテ沈降セリ

 沈降後ノ状況

 一、傾斜約仰角十三度位

 一、配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯(ガス)ヲ発生 呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 十四日午前十時頃沈没ス 此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力(つと)ム

 一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水終レルモノト認ム 電流ハ全ク使用スル能ハズ 電液ハ溢(あふる)ルモ少々海水ハ入ラズ 「クロリン」ガス発生セズ 残気ハ五〇〇磅(ひょう=ポンド)位ナリ 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ 「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六〇〇(モーターノトキハ二〇〇位)トセリ (右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)

 溢入(いつにゅう)ノ水ニ溢(いっ)サレ 乗員大部衣湿(うる)フ 寒冷ヲ感ズ 余ハ常二潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮(いしゅく)セザラン事ヲ戒メタリ 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或(あるい)ハ嘲笑スルモノアラン サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス

 一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ 十二時迄ハ底止シテ動カズ 此ノ辺(あたり)深度ハ八十尋(ヤード)位ナレバ正シキモノナラン

 一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス カカルトキニ困ル故(ゆえ) 幸(さいわい)ニ本艇員ハ皆ヨク其(その)職ヲ尽セリ 満足ニ思フ

 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但(これただし)私事ニ関スル事言フ必要ナシ 田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)

 公遺言

 謹ンデ陛下ニ白(もう)ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無(な)カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸(かか)ルモノ之(こ)レアルノミ

 左ノ諸君ニ宜敷(よろしく)(順序不順)

 一、斎藤大臣  一、島村中将  一、藤井中将  一、名和中将  一、山下少将  一、成田少将 一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)一、小栗大佐  一、井手大佐  一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(龍) 一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ) 一、船越大佐  一、成田綱太郎先生  一、生田小金次先生

 十二時三十分 呼吸非常ニクルシイ

 瓦素林ヲブローアウトセシ積(つも)リナレドモ ガソリンニヨウタ

 一、中野大佐

 十二時四十分ナリ

(「第六潜水艇長・佐久間大尉の遺書」終り)

(いえむら・かずゆき)

新刊が出ることになりました。
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