何故秘書長林志昇と縁を切ったか
石戸谷慎吉
平成23年12月21日 皇紀2671年 (西暦2011年)当時の台湾民政府が靖国神社で慰霊祭を催行するという。祭文の原稿を当時の曽根憲昭台湾民政府に頼まれた。最終原稿を湯沢貞第8代靖国神社宮司に見ていただいた。
台湾出身者の神社の合祀数は二万七千八百六十四柱である。これを秘書長の林志昇は勝手に3万8千余柱と直し流布した。問い合わせたが無しの礫だ。戦没者が全て合祀されているとは限らない。毎年合祀手続きが未だに続いている。
息を吐くように嘘を付く林志昇は勝手に合祀した人数の根拠を結局示せなかった。
これが嘘つき林志昇と縁を切った原因の一つである。
[2014-06-28 06:29:26]2014.7.5 09:00 再編集を加えて転載