【産経台湾有情】日台つなぐ慰霊祭

【産経台湾有情】日台つなぐ慰霊祭

2013.10.2 産経新聞

 「責任は隊長が持つ。台湾で家族が待つお前たちは行けるところまで行け」

 第二次大戦中、日本軍の軍属としてフィリピンで海軍巡査隊に所属していた劉維添さんは、大隊長、広枝音右衛門警部の最後の言葉をこう語っていた。

 1945年、ルソン島に上陸した連合軍は2月初めマニラに迫り、守備する日本軍との間で1カ月に及ぶ凄惨(せいさん)な市街戦を展開。台湾の志願軍属約500人を率いる広枝警部は2月23日、司令部の突撃命令を破棄して拳銃で自決した。

 捕虜を経て台湾北部・苗栗(びょうりつ)に帰郷した劉さんは、生活が安定した76年9月、「生還できたのは隊長のおかげ」と、地元寺院に警部の位牌(いはい)を奉納。元隊員らと毎年9月に慰霊祭を行うようになった。

 2007年、最後の元隊員となった劉さんは1人で慰霊祭を挙行したが、台北で会社経営する在留邦人、渡辺崇之さん(40)がこれを知り、08年以降は日台の有志が協力してきた。

 今年の慰霊祭は9月21日。有志約40人がバスで苗栗を訪れたが、出迎えの劉さんの姿がない。寺院参道で劉さんの家族から渡辺さんに連絡が入った。

 「今朝他界しました」

 91歳。渡辺さんは「来年は劉さんの位牌も並べ、慰霊祭を続ける」と決心している。(吉村剛史)


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