日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載
日本李登輝友の会 事務局長 柚原正敬
今朝の産経新聞「土・日曜に書く」欄に掲載された河崎真澄・上海支局長の「米、台湾
選挙『介入』の理由」は、本誌でも指摘したアメリカの在台協会(米国駐台湾大使館に相
当)の代表をつとめたダグラス・パール(Douglas H. Paal)の投票日直前の発言を取り上
げて論じ、河崎氏は台湾の「住民投票法の成立」にアメリカも日本も反対した、と述べて
いた。2003年のことだという。
いやいや、ちょっと待てよ、日米が反対したのは、住民(国民)投票法の成立ではなく、
確か住民投票による新憲法制定だったはずではなかったかと思い、調べてみた。
台湾行政院が2007年12月26日に発表した「台湾の国民投票について」よれば、「民主主
義改革の潮流の下、2003年11月27日に『公民(国民)投票法』の立法化が成立、同年12月
31日に公布施行」とあった。このときは、アメリカも日本も反対などしていない。どうや
ら河崎氏の事実誤認のようだ。
では、住民投票法をめぐって日米が「反対」したのはいつだったのか─それは翌2004年
の総統選挙と同時に行われた「住民投票」に対してだった。当時の経過をあらあら振り返
ってみたい。
河崎氏が指摘したように、当時の陳水扁総統は2003年9月28日、民進党の結成17周年大会
で、結党20周年の2006年に新憲法を制定、2008年5月に施行する方針を初めて表明した。
これに対して米国務省は同年12月1日、「米国は、台湾の地位を変更し、独立をめざすい
かなる住民投票にも反対する」と表明。12月9日にはブッシュ大統領が、米国訪問の温家
宝・中国首相に対して「中国、台湾のいずれであれ、現状を変えるような一方的な決定に
反対する。台湾指導者の言動は、現状を一方的に変える可能性を示しており、反対だ」と
述べるとともに、中国にも台湾周辺における軍事行動の自制を要求している。
12月29日には、当時の内田勝久・交流協会台北事務所長が邱義仁・総統府秘書長(官房
長官)に対し、住民投票の実施や新憲法制定は「中台関係を徒に緊張させる」として、慎
重な対処を求める日本政府の意向を準公式に伝達している。台湾内政への申し入れは異例
であったが、翌30日には中国政府が日本政府の立場を称讃していた。しかし、台湾は総統
選挙と同時に住民投票を実施する。
林建良氏が今朝のメールマガジン「台湾の声」でこの経過も含めて詳細に触れている。
下記にご紹介したい。
行政院の報告では、そのときに行われた「住民投票」について、下記のように記してい
る。
≪台湾での「国民投票法」の実施以来、2004年には総統・副総統選挙と共に、「ミサイル
反撃装備購入により台湾の自国防衛能力を強化」および「両岸の相互連動メカニズムの構
築」に対し賛否を問う2つの全国的な国民投票が実施されたが、同2案はいずれも投票者数
が有効規定者数に達しなかったために否決された。≫
台湾の住民投票法の規定によれば、法案が通過するのは「投票者数が有権者総数の二分
の一以上であり、尚且つ過半数の賛成者があった場合に通過となる」とかなり厳しい。投
票者数が全有権者の半分以上、つまり今回の総統選挙でいえば全有権者1809万人の半分、
905万人以上が投票し、賛成票が453万票以上なければならないと通過しない。
2004年のときは中国国民党が投票ボイコットに出たため、行政院の報告にもあるように
規定の投票数に達せず否決されている。
河崎氏がパール氏に近い職員の声として、「中国大陸との統一」を住民投票で選択して
しまった場合、「米国は西太平洋で安全保障のカギを握る台湾を失うことになる」と真顔
で答えたそうだが、その可能性は排除できないとしても、台湾の住民投票で法案が通過す
るのは、規定が厳しすぎることでなかなか厳しいのが現実だ。
ましてや、馬英九氏が選挙中に中国との和平協定締結を持ち出した途端に支持率が急落
したことを想起すれば、台湾人の求める「現状維持」が奈辺をイメージしているか朧気な
がら見えてくるのではないだろうか。
◆台湾の国民投票について
http://www.taiwanembassy.org/JP/fp.asp?xItem=48818&ctNode=1448&mp=202