2010.12.16 産経新聞
中国総局長・伊藤正
ノーベル平和賞授賞式前日の9日、北京で行われた「孔子平和賞」の授賞式にはあきれた。当日のドタバタぶりは本紙(10日付朝刊)も報道したが、同賞選考委員会の「公告」を読んで愕然(がくぜん)とした。中国の代表的な大学の教授らが選考委員に名を連ねているとは信じ難い幼稚な内容だったからだ。
公告はまず「中国は平和の象徴であると同時に平和擁護の絶対的力だ」とし、人口十数億の中国は世界平和に関しより大きな発言権を持つべきだとする。そしてノルウェーのような地球の片隅にある国土狭く人口も極少の国は、自由と民主の概念において少数派であり、そうした国のノーベル平和賞の選考は、偏向と誤りが避けられず、大多数の人に受け入れられない、というのだ。
さすがに中国の主要メディアは無視し、外国メディアは悪いジョークと笑い飛ばした。私は笑えなかった。ウェブサイト上では、支持の声も少なくなかったし、平和賞授賞式を「茶番」とする中国当局の論理と授賞式妨害の行動も五十歩百歩と感じていたからだ。
そこに見えるのは、驚異的な経済成長を遂げた「中国モデル」への自信であり、それをバックにした独善性と排他性である。
元人民日報評論員の馬立誠氏によると、北京市内で買った財布に「中国が世界を仕切るべきだ」「世界は中国語を話さねばならない」と印字されていたという。それは北京五輪や上海万博の開催によって生まれた国粋主義的ムードを反映している。
中国モデルは、別名「中国の特色ある社会主義」だ。国際社会の批判を受けている人権や民主化の抑圧も「中国の国情」を盾に排撃し、悪名高いコピー商品も同じ理由で規制に消極的だ。その最大の特色は、国家主義的強権力を使った政策決定の速さと効率性にあり、世界金融危機をいち早く克服した後、欧米から注目され、中国脅威論を生んだ。
しかし、中国国内では、中国モデルへの批判が絶えなくなった。国家や国有企業の繁栄の陰で、労働者は貧しく、民営企業は不振に陥る現象を指す「国富民窮」「国進民退」といった言葉がメディアに頻出するようになった。官が絶大な権力と富を手にし、不正や不公平が社会に蔓延(まんえん)しているからだ。
友人の知識人によると、ノーベル平和賞を受賞した民主活動家、劉暁波氏のように、中国モデルに正面から異議を申し立てる人はごく少数で、大半は体制に従順だという。体制内にいる限り、知識階級は優遇され、高収入が保障されているからだ。
しばらく前、党の政策を批判する言動で知られる党長老を訪問する機会があった。彼は現役引退後も、高級幹部用のアパートに住み、運転手付きの車を与えられ、秘書もいる。年金を含め「閣僚級の待遇」を受けていることについて、長老は「私も既得権層です」と言い、「共産党は身内の面倒見がいい」と付け加えた。
そのときも、長老は党を厳しく批判し、劉暁波氏に共感を示したが、劉氏の罪状になった「08憲章」には署名しなかった。体制内にとどまったのである。彼はむろん違うが、共産党の知識人懐柔策に乗り、党のお先棒を担ぐ知識人も少なくない。世界の物笑いのタネになった「孔子平和賞」も、知識人の知的退廃が生んだといえる。