日本李登輝友の会台北事務所ブログ
2014年 03月 21日付けの記事
今週18日火曜日夜から、学生たちが立法院を占拠しているが、奇しくも24年前のちょうど同じ時期、立法院から徒歩でも10分ほどの中正紀念堂に、やはり大学生たちが集まり、座り込みやハンストを展開した。
この運動は「三月学運」や「野百合学運」とも呼ばれ、台湾民主化が本格化する端緒となった学生運動として知られている。野百合は、台湾固有種であり、春にその白い花を咲かせ、純血や生命力の強さなどを象徴することからその名が付けられた。
この学生運動は、1990年3月16日、万年国会に抗議する大学生数名が、当時デモや集会の禁止地域に含まれていた中正紀念堂で座り込みを始めたもの。
この抗議行動が報道されると、翌日から支援者が数百人規模で増え続け、最終的には6,000人近い大学生が参加したといわれている。李登輝総統は万年国会解消のため、高額の退職金や年金と引き換えに国民代表らの引退を促していたが、学生たちの当初の抗議目的は、国民代表らの傲慢な態度に対してであった。
当時、戒厳令はすでに解除されていたものの、国民大会は「万年国会」と呼ばれ、その根拠となる動員戡乱時期臨時条款は未だ撤廃されていなかった。
18日には、学生たちは正式に民主化に関する「四大要求」を提出し、ときの李登輝総統に対し、憲法改正や国是会議の招集、民主改革のタイムテーブルの提示などを求めたのである。
当時、総統の座にあったとはいえ、李登輝総統は1988年1月に急死した蒋経国総統の後を継ぎ、憲法上、総統に昇格したに過ぎない名目上のみのロボット総統であったともいえる。
さらに、このころ党内では主流派と非主流派の争いが熾烈を極めており、李登輝総統はその板挟みに遭いながら困難な政権運営を強いられていた。李登輝総統が李元簇副総統候補とともに国民大会の支持をとりつけ、選挙を勝ち抜いて名実ともに総統の座を手に入れるのは三月学運の直後のことである。
李登輝総統はまだ肌寒く、夜には冷え込む3月、学生たちが寒さに震えながら座り込みやハンストをしていることを知ると、自ら中正紀念堂に赴いて学生たちと対話することを望んだが、国家安全局による「万全の警備ができず、総統の身の安全を保証できない」という強い建議により、夜間に車両で中正紀念堂の周囲を走り、学生たちの様子を観察するに留めたという。
20日、総統府はプレスリリースを発表し、学生たちの要望を受け入れ、国是会議を開催することなどを決定。総統府秘書長を現場に派遣し、学生代表と直接会って対話することを伝えた。
翌21日、総統府内へ入った学生代表53名を前に、李登輝総統はその要求に耳を傾けるとともに「皆さんの要求はよくわかりましたから、中正紀念堂に集まった学生たちを早く学校に戻らせ、授業を受けるようにしなさい。外は寒いから早く家に帰って食事をしなさい」と言葉をかけている。
余談だが、李登輝総統は寒空の下で座り込みをする学生たちを案じ、孫震・台湾大学校長へ電話を掛け、中正紀念堂へ行って学生たちに声を掛けてまわるよう依頼したが、結局孫震は耳を貸さなかったという。
孫震は台大経済系出身で、李登輝総統の台大での教え子。その関係もあって李登輝総統は孫震に電話をして学生たちをいたわるように頼んだわけだが、たとえ恩師の頼みより、党の顔色を伺ったということか。後に孫震は国防部長(国防大臣)に就いている。
そして現在の国民党で行政院スポークスマンを務めているのが息子の孫立群だというのは時代のめぐり合わせである。
李登輝総統と面会した当夜、学生代表団は協議し、中正紀念堂における占拠を翌22日早朝に終了し解散することを決定。22日早朝に正式に解散を宣言して撤退を開始した。
その後、李登輝総統は学生との約束通り、民主化へのタイムテーブルを発表。万年国会を解散させるとともに、6月には国是会議を開いて民間から広く識者を招聘して民主化への意見を求めた。
当時の台湾社会における機運は、学生運動を中心とする民主化の要求と、政府側のトップである李登輝総統自身の民主化への意欲という双方のエネルギーがうまく噛み合って進められたと言ってよい。つまり、民間の要求と体制側の意欲が合致していたのだ。
現在に目を向けると、「台中サービス貿易協定撤回」の要求を掲げて立法院を占拠する学生運動は、24年前の野百合学運を彷彿とさせる。事実、今回の学生運動は「太陽花学運(太陽花は中国語でひまわりの意)」と名付けられた。しかし24年との決定的な違いは、政府側のトップがまるで学生たちの声に耳を傾ける気のないことだ。
事実、現時点で馬総統は立法院を占拠する学生たちに対しメディアを通じて声をかけることもなければ、誰かを派遣することもなく、学生たちの要求に対して何の反応も見せていない。
21日夜、晩餐会へ出席した李登輝元総統はメディアの質問に対し「学生たちには学生たちの意見がある。彼らだって国家のためを思って行動している。馬総統は彼らの話を聞いて、早く学校や家に帰す努力をするべきだ」と馬総統の対応を非難している。
「ただただ国民のためになるように政治をやってきた」と回想する李登輝元総統と、国家や国民という考えもなく、中国の顔色を伺い、党のことしか頭のなかにない馬英九ではもはや役者が違い、比べるべくもない。
2014.3.25 8:00