(転載自由)
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以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。
「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)
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第2章 台湾から見た日本および日本人
争いを避けたがる日本人に平和は守れない
1、日本人は中国のペットになりたいのか?
●ライオンとシマウマが抱き合うコマーシャルを見て感動?
二〇〇五(平成一七)年八月ころから、あるテレビコマーシャルが放映された。確かパチンコメーカーの広告だったと思うが、まさにアフリカの大地に夕日が沈んでいこうとするとき、今まで食うか食われるかという立場にあったライオンとシマウマが、友情を確かめ合いながら抱き合っているシーンが登場し、BGMにはエディット・ピアフの「愛の賛歌」が流れ、二頭のまわりを象やダチョウ、アフリカ人が涙を流しながら取り囲んでいるというコマーシャルだ。
想像力を駆使しながらこのようなシーン作るのがコマーシャルかもしれないし、背景のシーンも美しく、作品としてはなかなかいい線をいっているのではないかと思った。多くの日本人がこのコマーシャルを見て感動したということで話題になった。今まで敵対関係にあったライオンとシマウマが恩讐を超えて友だちになったことに感動したのだという。
もしそれが本当であれば、まさに滑稽としか言いようがない。なぜなら、ライオンとシマウマがこれから長く平和共存していくなら、ライオンの結末は想像するまでもない。飢えて死ぬ以外にない。ライオンとシマウマが抱き合って友だちになるなどということはあり得ないように神様は作っている。ライオンが草食動物にならない限り、この平和共存はあり得ないのである。
もちろん、コマーシャルだから荒唐無稽であってもいいのだが、このようなコマーシャルが発想され、それを見て感動した日本人が少なくないと知り、ここにまさに戦後の日本人の国民性が現れているのではないかと思わされた。
戦後の日本は「平和」と「友好」を最高の価値としてきていて、たとえ宿敵であっても天敵であっても、平和でなければいけない、友好でなければいけないと考えているようで、このコマーシャルへの反応が戦後日本の歪んだ思想や精神を反映していると思われたのである。
日本人の中国に対する考え方は、まさに「平和」と「友好」が原則となっている。それは、台湾人の私からすれば、このコマーシャルと同様、まさに滑稽としか言いようがない。
●日本人はペットになりたいのか?
二〇〇五年一二月八日、民主党の前原誠司代表(当時)はワシントンの戦略国際問題研究所で講演し、中国の軍備増強は日本にとっても脅威だと述べた。その後、一二月一二日に北京で講演したときも、講演後の質問に「(中国軍の)能力が飛躍的に向上していることに、私は率直に脅威を感じている」と答えた。その結果、予定されていた胡錦濤国家主席との会談がキャンセルされた。その中国の動きに合わせたかのように、身内である民主党内部から前原批判が浴びせられた。
中国の軍備増強が脅威であると言及すること自体が日中友好を損なうことであって、言ってはいけないという調子で、中国も民主党も前原氏を攻撃した。前原氏は中国の軍備増強の脅威を指摘しただけであったが、まるで傷口に塩でもすり込まれたかのような大袈裟な反応だった。
テレビコマーシャルへの反応と、この前原氏への反応を合わせて考えてみると、どれほど強大な相手でも、たとえ自分を呑みこもうとしている相手であっても友好でなければならない、仲良くしなければならないという理屈になる。これだと、警察は強盗とも仲良くしなければならないという理屈も成り立つ。ここには正義も大義も道徳もない。最高の価値は「友好」だけということになる。
国を守ろうとする人間が評価されず、評価されないどころか、厳しく批判される今の日本では、体を張ってでも国を守ろうとする考えを持つ者は「右翼」のレッテルを貼られる。逆に、日本を弱体化させようと考えている者は評価され、良心的だとされている。
一台湾人から見れば、日本人はペットになりたいと思っているのではないかと、疑わざるを得ない。ペットは、安全に暮らせて食うに困らず、ご主人様に喜んでもらうことを最高の価値としているからである。
●日本の国防力を低下させている最大の要因とは
現実に、少なくない日本人が「今の日本の平和があるのは、平和憲法によって守られているからだ」という錯覚をしている。しかし、これはまったくナンセンスなことで、日本の平和は日米安全保障条約によって守られているのである。アメリカの軍事力、軍隊、そして核兵器によって守られているのが実相だ。しかし、本当に日本を守っている力に対して、マスコミは歓迎していないようだ。在日米軍の存在に対して、日本のマスコミはきわめて冷たい。冷たいどころか、敵愾心さえ抱いているように私には見える。
最近、在日米軍の再編成、トランスフォメーションの一環として、ワシントン州にある陸軍第1軍団司令部を、神奈川県の座間と相模原にまたがる米軍基地の「キャンプ座間」に移転する計画がある。二〇〇六年二月中旬、この計画の中間発表が伝えられると、市民派といわれる人々は早速、「キャンプ座間」を取り囲んで、「侵略戦争の司令部なんていらない! 米第1軍団の座間移転反対!」というスローガンを掲げてデモをおこなった。マスコミはこのデモを大々的に報道して、司令部移転に反対する彼らこそ良心的日本人であるかのように取り上げるのである。
自衛隊についても、日本のマスコミの報道には否定的ニュアンスが必ず伴う。ある自衛隊員から「今でも制服を着て町へ出ると、白い眼で見られる。そのとき、ある種のコンプレックスさえ感じてしまう」と、直接聞いたことがある。
命を懸けて国を守ろうとする軍人に対するこのような冷たい視線がどうして生まれるのかというと、国を守ろうとする姿勢と、仲良くしようとする姿勢は相反すると少なくない日本人が考えているからである。
実は、自国の軍事力を軽視し、自国を命懸けで守ろうとする軍人を軽視することが、日本の国防力を低下させている最大の要因だと言って過言ではないのである。
●「無防備地域宣言」という名の奴隷化宣言
日本人の「善意をもって付き合えば、相手も善意でもって応えてくれる」という錯覚の極めつけがある。それが「無防備地域宣言」である。いったいどういう宣言かというと、いざ戦争となった場合、自治体がすぐに手を上げ、抵抗しないという宣言をしようというものである。
それどころか、自国の防衛施設や軍隊、軍人の存在もいっさい排除して、敵の占領に加担しようとする宣言である。
これは、どこからどう考えても、売国行為としか考えられない。もし日本に反乱罪があれば、それで罰してもいい活動である。すでに二〇〇四年三月から関西を中心に、マスコミでは朝日新聞と毎日新聞を中心に推し進めてきた運動で、自治体に「無防備条例」を制定させ、この宣言をさせるための署名運動を展開している。
しかし、これは自分さえ無抵抗であれば命を保障されるという考えを基にしたエゴイスティックな運動であり、また、日本という国家が発動する戦争にはいっさい協力しないが、敵の占領には協力するという反国家運動である。その点では、個を国家から切り離そうとする国家解体運動と言った方が正確かもしれない。
これでは、日本人はペットどころか、奴隷になろうとしているとしか、台湾人の私には考えられないのである。まさに「無防備地域宣言」とは奴隷化宣言の別名でしかない。
参考
「中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版