【反響】台湾の言語の現状と理想

【反響】台湾の言語の現状と理想

多田恵(台湾語講師)2017年11月26日

加藤秀彦氏がメールマガジン「台湾の声」で、台湾における「華語」学習者のデータを挙げ、台湾人と交流する日本人に対し、「中国語や台湾語を使おう」と呼びかけた。

「意思疎通を日本語世代の台湾人に頼りきっていた」というが、日本語世代ではない、台湾の若い世代の日本語の使い手のお世話になったことがなかったかどうか思い返して欲しい。日本語世代でなくても、日本語が出来る人々は、かなり多い。「台湾歌壇」のメンバーにも若い世代が参加しているほどである。

たしかに、台湾人と、日本語や英語だけではなく、台湾の言語で日本人が交流できれば、対等な双方向の関係になる。これが加藤氏の言う「真の友好」の姿であろう。

しかしながら、中国語を主とし、台湾語を従とするかのような言い振りについては、疑問の余地がある。

全体としては、台湾の若者の台湾語能力が落ちてきているのは事実であろう。

ハッカ語や原住民諸民族語については、台湾民主化の結果、ハッカ(客家)委員会、原住民委員会という官庁が設けられ、ハッカ・テレビ、原住民テレビが設置され、言語の復興運動が行われている。

しかし、台湾語(ホーロー語)については、専門の官庁も、専門のテレビ局もない。このことについて、さまざまな解釈が立てられる:

(1)台湾を代表するホーロー語を制度化することは、台湾独立とみなされ、旧勢力および中国からの抵抗があるために、「中華民国」政府で、あるいは、中国との関係に配慮する政治家も参加している立法院で、進められない。

(2)ホーロー語は勢力が比較的大きいので、国家による保護が不要である。

(3)ホーロー語の弱体化に対し、ホーロー人たちが危機意識を持っていない。

実際には、現在、まさに台湾語テレビ局の公設を求める運動が行われているところである。

3月に東京で行われた、「2020東京五輪台湾正名推進協議会設立記念大会」では台湾から留学中の葉品妤(よう・ひんよ、ヤップ・ピンイ)さんが、ひまわり運動世代の政治団体「民主維新」を代表して演説した。彼女は日本語でのスピーチの後、突然、台湾語に切り替えて、台湾語の問題についても語った。

その内容は、「台湾人の大人たちが、子供に対し、中国語と台湾語をチャンポンで話すのではなく、台湾語を伝えて欲しい」というような主張であった。

[当日の動画集へのリンク] http://taiwannokoe.com/ml/lists/lt.php?tid=9j2yhZyTQ5W6AnRAQLQqSUAOr7Iu9NjtkmYZ9S4NP6TRhX6i/pMyNI5qjVXnRVCv

その会は、東京オリンピックでの台湾チームの呼称を、チャイニーズ・タイペイではなく「台湾」に是正せよ、という主旨の会である。なぜ彼女は言語の話をしたのだろうか。

推測するに、彼女は、それまでに、台湾の「大人」たちが、相手が若者と見るや、自分たちの母語ではなく、中国語で話しかけることを、経験したのであろう。

それらの大人たちのやり方では、中国国民党に押し付けられた文化や価値観を肯定すると同時に、みずからの文化を滅ぼすことに加担していることになるという危機感を彼女は持ち、やむにやまれず、そう語ったのであろう。

会の主旨が、台湾を中国のものとしてみるのではなく、台湾として見て欲しいということであるならば、台湾人が、台湾が台湾らしくあることを守り、主張すべきという指摘であろう。

後から聞いたところでは、彼女は、台湾語を使っていないというイメージがもたれている台北の出身だという。

実は、ひまわり運動を生み出した環境は、台湾語に新たな命を吹き込んだ。一般的には若い世代の台湾語使用の衰退が心配な状況ではあるが、「台湾は中国の一部ではない」、「中国国民党が持ち込んだ誤った体制を打破すべき」だと気付いた若者たちが、台湾語でアピールを行うようになってきたのである。

たとえば基進党のメンバーらは台湾語で議論をする訓練も受けているようだ。もちろん彼らは、先覚者であり、必ずしも社会の大勢が、今そう考えているわけではない。

論理的に考えれば、中国語は、中国国民党が「中華民国」の「国語」として、台湾人に押し付けたものであるから、台湾人のアイデンティティーの核心としては十分ではない。

台湾は、日本統治時代の建物をリノベーションして、再利用するという潮流があるが、だからと言って、彼らのアイデンティティーの核心に日本や日本語があるというのは難しいだろう。彼らのアイデンティティーの一部になっているということはできるかもしれない。いずれにせよ、台湾人はやはり台湾人の視点から日本人を見、戦後の中国人を見たのである。

台湾の現実は多言語社会である。もし現状の言語使用を考慮するのであれば、中国語だけでは足りない。

台湾へ留学していたある日本人は、卒業して現地で就職し、台湾各地に出張するようになった。学生時代は中国語で事足りていたが、とくに彼の仕事の出張先では、通訳してもらわなければ、仕事の相手が何を話しているか分からず、台湾語の重要性を実感したという。

日本の言語状況は単純である。今のところ、日本語で全てのことが出来ると言ってもよいくらいだ。そのような日本人が、台湾で中国語を学び始めた場合、自分が中国語の学習途上だと考えると、台湾語を無視してしまうのではないか。実は、中国語が出来ないと、台湾人が台湾語で話していても、中国語だと誤認してしまい、自分の周りでは台湾語は使われていないと思ってしまうのである。

中国語が出来るようになっても、台湾語を挟んだジョークや悪態がわからないということでは、台湾人と共感することが出来ない。「台湾語が分からない日本人がいるから中国語で話しましょう」などと言われるとすれば、それは、台湾が台湾化へと進むことのお荷物になってしまうのではないか。

もし自分は日本人だから中立な立場をとりたいというのであれば、台湾語を使わないかわりに、中国語も使わないということになるだろう。中国語だけ使うというのでは、中国国民党が行った殖民統治に賛成票を入れることになるのではないか。

台湾を少し知っている日本人の中に、台湾の物や地名・人名を中国語で読んで、通ぶっている人がいる。もし、台湾独立を支持するのであれば、相当な根拠があって中国語で読むのであればかまわないが、そうでなければ、台湾の言語か、日本語で読まないと、自らの信念と矛盾することになるのではないか。

台湾独立の定義は、中華民国体制からの脱却である。そうでないのであれば、要は「中華民国」が、中華人民共和国とは別に国際的に認められさえすれば良いということだ。つまり、中国が分裂し、2つの国になったという扱いになる。しかし国際社会が認めるのは「中華民国」ではない。「台湾」のはずである。

もちろん、たまたま共通に話せる言語が中国語だということであれば、それが最良の選択かもしれない。しかし今回は、台湾人と交流したいという人に薦める言語として中国語が適任か、という問題である。

台湾人にとって、台湾語は自然に身につけた言葉で、中国語は学校その他で教わった言葉だ。だから、日本人が台湾語を学ぶのは工夫が必要だ。なぜなら、多くの台湾人は、中国語なら、自分が教わった方法で人にも教えられるが、台湾語をどうやって教えるのか考えたこともないという人も多い。しかし、気持ちが若い人は柔軟である。もし、台湾語を学びたいという日本人がいれば、自分で少し勉強してでも教えてやろうという人も出てくるものだ。

本当は、台湾に行ってまで学ぶ価値のあるのは台湾語をはじめとする、台湾の言語である。中国語なんて、世界中どこでも学べるのではないか。

先週、在日台湾同郷会では、「世代越えよう」と題した座談会を行った。第二回のテーマは「国語」であった。それぞれの民族がそれぞれの言語を話し、隣人の言語を学び、必要なら通訳を介せばいいという新しい考えについて、難色を示すのは「大人」世代である。日本統治、中国国民党による統治を経て、「国語」は一つであるべきという、古い考え方から脱却できないようだ。

もし国語は一つであるべきと考えつつ、台湾語の地位回復を目指すのであれば、中国語を打倒しなければならないが、それは社会にとってコストのかかることになるのではないかというのが、大人世代の台湾人にある考えだ。

「大人」たちは、中国語の既得権益者にもなってしまっている。台湾語を残す必要があると認めるのであれば、次の世代のために既得権益の一部を差し出すことぐらいしてもいいのではないか。

陳水扁政権時代に政府によって、起草された言語平等法案に見られるように、台湾の言語運動家は、中国語を打倒するとは言わず、台湾の諸言語の地位回復を目指してきた。台湾は今、中国語を相対化する努力のただなかにあると見ることも出来る。

台湾を支持する日本人には、台湾における言語問題をどう扱うのか、どう見るのか、その中で、これまで押し付けられてきた側面のある中国語を台湾人とのコミュニケーションの媒介言語として選ぶのかどうか、考えてみて欲しい。

台湾人の大人たちには、台湾の問題に取り組む際に、これまで外から押し付けられた観念のみに頼って考えるのではなく、世界の智慧を学んで、台湾に生かして欲しい。

台湾では年上の人を敬うが、だからと言って、年上の人が学んできたことが現在でもすべて正しいということにはならない。若者たちが反論しなかったとしても、それは納得したからではなくて、上の世代の人の面子を配慮してのことかもしれない。

外来政権によってもたらされ、台湾人がその一部を覆(くつがえ)して手にした「現状」の問題を変えるつもりがないのであれば、「中華民国体制」を是認することに他ならない。

コストがかかるからと言って、理想への一歩を踏み出さないのであれば、それは単なる評論家であり、台湾人に新しい理想を示すリーダーにはなれない。もし調整型の政治家であれば、そのようなことを言うかもしれない。しかし、あなたは政治家として民意の付託によって官職を得ているのか。そうでないならば、自らの理想を磨いて、それを訴え続けるべきである。人々が聞きたいのは、リーダーが示す夢、台湾人の声である。

台湾独立建国を目指す人々、支持する人々、少なくとも邪魔したくないと考える人々に、この機会に、もういちど考えてもらいたい。

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