Dr. コトー診療所のモデルになったのではないかと思われるような史実が台湾にはありました。台湾本島の離島に澎湖諸島があります。日本が日清戦争に勝利する前にすでに、占領していた島です。そのまた離島に望安島があります。そこに明治、大正、昭和と36年間も地元民の医療に貢献してきた日本人医師がいました。福島の会津若松出身の佐藤乾医師です。
日清戦争後下関条約で日本が台湾を統治することになり、軍艦で台湾に派遣され、その後、澎湖諸島のなかの、孤島である望安島を管轄する公医に任命され、1940年に当地で死去するまで、地元民の医療に生涯を捧げました。
この佐藤医師の診療所跡(かなり荒れ果ててはいます)と、現地で亡くなった奥様と息子の墓も、海が見える、しかも本土に向いた丘に残っています。地元の人が丁寧に手入れをしてくれています。お孫さんは日本に戻ったということですが、その後の消息はわかっていません。
望安島のお世話になった地元民の子孫らが、その佐藤医師の貢献を歴史に刻みたいとのことで、記念碑を建てるなどの企画をしています。ついては、佐藤医師の遺族と連絡を取りたがっています。もし、なんらかの手がかりがあるようでしたら、どうか、ご連絡ください。
佐藤乾医師:福島県会津範若松の士族公医
1895年の日清戦争に日本兵の軍医として澎湖島に上陸し、その後は望安島で、36年間勤めました(亡くなるまでに)。
昭和15年没
佐藤先生夫人:高井氏
明治6年11月3日生まれ
昭和11年10月28日没
佐藤先生長男:佐藤晋
行年38歳
大正15年6月20日没
お孫さんは 佐藤 守氏
連絡先:錦古里(ニシコリ)090-9780-7272
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