【中国人の本質】恐ろしい「医食同源」信仰

【中国人の本質】恐ろしい「医食同源」信仰

(転載自由)
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以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。

 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)

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■ 中国人が猿の脳味噌を食べるのに理由がある

 中国の料理がおいしいというのは、今やほぼ世界共通の評価になっている。とことんおいしい料理を追及するという面もさることながら、中国の食文化にはもうひとつの思想が入っていて、その中に中国人独特の哲学がある。それはなにかというと、「医食同源」という考え方である。

 この「医食同源」という言葉は日本でも以前から使われていて、プラスの価値観を伴って使われている。しかし、日本で使われる「医食同源」と、中国で使われている「医食同源」とはまったく違った考えに基づいている。

 日本人は栄養学的な観点から「医食同源」を考えている。口から入れるものは体にとって大切なもので、病気も、食べるものによって引き起こされたり、治すこともできると考えられている。つまり、病気を治すのも食事をするのも本質は同じで、生命を養う栄養学的な面から医食同源を捉えている。しかし、中国人が考えている医食同源とは、日本人が考えていることと次元が違うのである。

 私も台湾の医学部時代、中国の漢方薬や漢方医学について勉強させられたことがある。というのも、私の出身大学ではこの漢方薬や漢方医学は必修科目であって、どうしても勉強しなければならなかったからである。

 私たち学生に漢方について教えていたのは中国からやってきた先生で、彼らが強調する漢方医学の概念は、科学よりも哲学ということだった。この哲学の概念で人を治したり、薬を処方したりする。陰と陽、実と虚の概念を使うが、この薬の組成は金に属するか、土に属するか、水に属するかなど、陰陽五行の概念でものごとを判断する。

 これはこれでいいのだが、恐ろしいことに漢方医学には、例えば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」「心臓を食べると心臓にいい」という考え方が厳然としてある。どうしてもそのようなものが手に入れられなければ、似たような形のものを食べると体にいいと教える。科学的な根拠はないが、中国人は実際そう信じているのである。

 そこで、中国の市場をのぞいて見たことのある人にはお分かりだろうが、よく売られているのは精力剤としての「狗鞭」で、犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くと信じられているのが虎のペニスで「虎鞭」である。犬よりも虎が強いという発想からだ。

 このような概念に基づけば、根本的な医食同源とは、その臓器を食べるということになる。それも、できるだけ人間に近い方がよいとされ、また新鮮なものほどよいとされている。例えば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べるという食習慣がある。では、どのようにして猿の脳を食べるかというと、真ん中に丸い穴が開いているテーブルの下に生きた猿を縛りつけ、頭の部分だけを穴から出す。そこで、金槌でその頭を割り、脳味噌をスプーンですくって食べるのである。

 中国人は平気でこのような残酷な食べ方をする。私には猿の脳がおいしいかどうか知る由もないが、単においしいというばかりでなく、脳にいいということで食べているのである。
 実は、私も高校のときよく筋緊張性頭痛に悩まされたため、豚の脳を薬として飲まされたことがある。この時は台北のある中国人の漢方医にかかり、ある処方をされた。処方には条件があって、漢方薬は必ず豚の脳と一緒に煎じなければならないというのだ。そのため、高校三年間、週に一回のペースでその豚の脳と漢方薬を服用させられた。頭痛なら豚の脳だという発想に基づいた処方のようだが、今もって苦々しい思い出である。

 これが実は、中国人の医食同源の発想なのである。つまり、人間に近ければ近いほど、その臓器に近ければ近いほど、体にいいと考えているのである。だから中国人は、好んで犬や虎のペニスを食べ、猿の脳味噌を食べるのである。

 では、究極的な医食同源とはどういうものかといえば、もう読者はお分かりだろう。そう、人間の臓器そのものを食べることなのだ。だから、中国では胎児を食べたりすることもあるのである。

 このように、中国人は体にいいという理由だけで、大自然にあるもの、命のあるものをすべて食材や「健康食品」にしてしまう。これが中国における医食同源の基本的な発想なのである。この発想の下では、医学よりも科学よりも一つの哲学が大事にされる。中国人の哲学として大事にされる。その哲学とは、人間の体をも部品としてみなし、それを食べるという考え方なのである。

■ 饅頭を持って処刑場に集まる中国人

 中国の漢方医学の中でもっとも権威のある書物は、明時代の一五七八年に李時珍が執筆した『本草綱目』である。本草とは基本的に薬用になる植物を指すが、薬物として役に立つ動植物や鉱物の総称でもある。

 この『本草綱目』では、綱目別に、金石部、草部、火部、木部、虫部、鱗部、獣部と分けてあり、その下に処方した漢方薬を説明している。
なんとその最後の部が「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っているのである。そこでは細かく、人間の髪の毛、尿、唾、汗、骨、生殖器、肝臓などが何々に効くということが書いてあり、さらにその処方についても次のようい細かく書いてある。「再三、連年にわたる瘧(おこり、マラリア)、食にむせんで飲み込めないとき。生の人肝一個、もち米を十分に用意し、麝香を少々入れ、陰干しする。人肝の青い半分は瘧を治す。黒い半分は、むせる病を治す」。
生の人肝をどうやって手に入れるのかを考えるだけでぞっとする。しかし、その処方は中国人にしてみれば、四千年間積み重ねた経験による賜物のようだ。
 
 要は、手に入れられるものは何でも使って人の病気を治すということなのだが、しかし、中国人は病気になる前に食べてしまう。だから、これが体にいいと知れば、手に入るものはすべて食べてしまう。それでよく中国人は「四本足で食べないのは机だけ」とも揶揄されるのである。だが、揶揄ではない。これが中国人の本当の姿であり、医食同源の本当の意味なのである。

 日本人は「医食同源」は中国の素晴らしい文化だと、中国人を美化しているが、自らの体のためには、人間を含む他の生命を平然と犠牲にする中国人の哲学はいたって恐ろしいものなのである。
 
 この医食同源の概念は中国の医学分野に止まらず、一般庶民の生活にも浸透している。例えば、日本でも有名な魯迅の『薬』の中にも、実は医食同源を表した描写がある。
 
この作品の中に、公開処刑の場面が出てくる。これは実際に行われた女性革命家、秋瑾の処刑の情景をモデルにしたものだ。作中では、処刑場の周りに人垣ができているが、その人々は手に手にお饅頭を持っている。なぜ人々は処刑場にお饅頭を持っていっているのか。実は処刑された瞬間に血が噴出するが、その血をお饅頭に染み込ませるためである。なぜそんなことをするのかというと、新鮮な人間の血は体にいいという発想があるからだ。

 人々には処刑者に対する同情心も恐怖感もない。ただただ自分の体にいいからということで、手に饅頭を持って処刑場に走り、我先にと飛び散る血を待っているのである。この『薬』には、人肉を漢方薬として売っている場面も出てくるのである。

■ 親孝行として人肉を奨励する中国人

 また、中国には昔から『二十四孝』という子供の教材がある。二十四の親孝行の例を著した本で、そのひとつに「割股療親」がある。つまり、自分の太腿をえぐって病気の親に食べさせて病気を治すことを親孝行として奨めているのだ。中国ではこのようなことを平気で子供に教えているのである。

 さらに、中国の南宋時代の有名な将軍である岳飛がつくった「満江紅」という漢詩がある。この中に「壮志飢餐胡虜肉」、つまり、お腹が空いたら胡人の俘虜の肉を食え、「笑談渇飲匈奴血」、談笑して喉が渇いたら匈奴の血を飲め、というフレーズがある。中国ではこの漢詩に曲を付け、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている。

 このように中国では、子供の教育の中でも、人の肉を食えとか人の血を飲めと奨め、親孝行として人肉を食べさせることを、教材として子供たちに教えているのである。

■人間の皮膚から作った化粧品を最高とする中国人

 二〇〇五年九月十三日付のイギリスの「ガーディアン」という新聞に、次のような記事が掲載された。中国の化粧品会社が処刑された死刑囚の皮膚を利用して化粧品を開発し、ヨーロッパに向けて輸出しているという内容だった。

 これもまさに皮膚なら肌にいいという考え方をする「医食同源」から出た商売で、人間の皮膚から作った化粧品なら最高最善とする考え方に基づいて作られたものだ。このように、死んだ人間の皮膚まで商品化してしまうのが中国人の考え方なのである。

 恐らく日本人にはショッキングな内容の記事かと思われる。しかし、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。日本人には見たくないものから目をそむける国民性があり、信じたくないものを信じないようにする傾向があるので、非常にショッキングな記事にもかかわらず報道されなかったのかもしれない。

 因みに、中国での死刑数は明らかにされていないが、二〇〇四年に世界で執行された死刑数は約五千五百件であり、その中の少なくとも三千四百件は中国だ。非公開で処刑されるケースもあるから、実際にはもっと多いかもしれない。

 中国ではなぜこんなに死刑数が多いのかというと、実は死刑囚の人体は役人の収入源だからである。役人の収入源とはどういうことかというと、死刑囚の人体は商品であり、臓器売買が行われているということだ。

■中国人医師が語った恐ろしい話

中国ではまた、子供の誘拐も頻繁にある。その中の一部は商品として臓器の売買が行われている。その数こそ定かではないが、かなりの件数に上るものとみられている。それを証言する話を実際に中国人から聞いたことがある。

 十九年前、日本に来て東大で研究していたとき、たまたま同じ第三内科に中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授が留学にきていた。彼の日本語はあまり通じないので、日本人の医師たちとうまくコミュニケーションをとれず、そのためか北京語のできる私とよく雑談をしていた。その雑談のなかでのことである。

 当時は骨髄移植がはじまって数年しか経っていない時期で、白血病や骨髄の癌に冒された患者さんはわざわざ放射線で骨髄を破壊して、他人の骨髄を移植する。当時としては最先端の医療技術だった。しかし、なぜか蘭州大学のその教授は日本で行われた骨髄移植手術を軽蔑していた。彼は私に「このようなことは、中国ではとっくにやっている」と言うのだ。

しかし、骨髄移植というのは、日本ならまず骨髄バンクをつくり、そこに集めた骨髄の中から患者さんと遺伝子的に合っているようなタイプを探し、マッチングしたものしか使えないので、骨髄バンクを持たない中国がそのような最先端の医療技術を持つ日本よりも優れているとはとても考えられなかった。

 そこで彼に「中国ではすでにこのような移植をやっているのか」と聞くと、彼は、胎児の肝臓を使うのだと答えた。確かに肝臓というのは血液の再生能力がある臓器で、骨髄と似たような機能を持っている。

 そこで、「どうやって胎児の肝臓を患者さんの体に入れるのか」と問うと、彼は「胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」と強調するのだった。「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか」と聞くと、彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い放ったのである。

 その時に私は、さすが中国は世界一人口の多い国だから、胎児を手に入れることはたやすいことなのかもしれないが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。その教授が「いくらでも手に入る」といったときの乾いた笑い声は、未だ耳朶から離れない。

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参考

中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%AC%E3%83%B3-%E6%9E%97-%E5%BB%BA%E8%89%AF/dp/4890633006/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1356076869&sr=8-2


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