http://www.sankei.com/world/news/180322/wor1803220022-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/180322/wor1803220040-n1.html
以下参考
「中国ガン・台湾人医師の処方箋」(林 建良著)より
孔子の仮面を被ったガン細胞
詐欺師は必ず仮面を被っている
人間は外観で判断できないものである。知的な紳士に見える人が実は凶悪な犯罪者の場合もあれば、怖い顔をしているけれども本当は優しい人もいる。普通の人間なら怖い顔をしている相手を警戒するが、紳士的に振る舞う人間には警戒心もゆるんでしまう。
詐欺師はなぜうまく人を騙せるかというと、人に警戒されない仮面を被っているからであろう。
同じ悪人でも怖く見える方より、紳士的に見える方が悪質で、人に与える害も大きい。紳士と思われた悪人なら、より深く踏み込めるからだ。
病気も同様、警戒されやすい病原菌やガンは早期発見ができ、早期治療もできるので、大事に至らない場合が多い。まったく症状を出さない病原菌やガンの場合は、手遅れになるケースがほとんどである。
孔子の仮面を被っている中国ガンであれば、善意の存在とされ、世界の国々の深部まで入り込んでしまうのだ。その害は計り知れない。
中国人は「ペテン師」としての才能は一流の民族だから、雰囲気作りも演技もうまい。ところが、賢いはずの日本人は中国人の演技を見破ることができない。なぜなら、真面目な日本人は、疑うだけでも相手に失礼だと思っているからだ。
中国演技の集大成は「四千年の文化を持つ偉大な国」という演出なのであろう。中国はその虚像を維持するため、バカでかい建造物をあちこちに造り、仰々しい儀式で人を威嚇する。その威力は、畏まった面持ちで整列し、共産党独裁者との握手の順番を待つ日本の国会議員たちの姿でもわかる。
真実から目をそらし、威厳ある仮面に圧倒され、知的な仮面に傾倒するのが人間の常なのだ。
孔子学院の任務
その中国が世界のあちこちに新たに作った演出の道具が「孔子学院」である。
二〇〇四年から、韓国・ソウルを皮切りに、中国の国策で作る孔子学院が世界中に雨後の筍のようにできた。今や世界百五ヵ国に三五八ヵ所の孔子学院があり、それ以外にも五〇〇ヵ所の孔子学堂がある。
世界中の孔子学院を統制する本部が北京にあり、中国政府の国家漢語国際推広領導小組弁公室(略称・漢弁)が管轄する。日本でも十七ヵ所の孔子学院が各大学に設けられている。
いまや中国語人材の需要が世界中に高まり、孔子学院の構想が中国語ブームに合致した国策と言えよう。しかし、孔子学院は中国語教育と中国文化宣揚の機関だけではない。孔子学院の任務は少なくとも三つある。一つは中国語教育を通じての国策宣伝。一つは頭脳機能を持つ世界各大学での思想や言論コントロール。一つはスパイ活動拠点としての情報収集。
その戦略的狙いがあるからこそ、中国が巨額の資金を出して孔子学院を作り続けるのだ。中国政府は「中国語教育プログラム用経費」という形で、孔子学院の修繕費や設備購入、広告宣伝などのために資金援助を行なっている。つまり、教材も教師も中国政府が提供し、場所だけを各国の大学や研究機関が提供するような形で推進されている。
教材もただで、教師の給料も要らないというおいしいプロジェクトだから、少子化で経営難に陥っている日本の大学も飛びつくわけだ。
孔子学院は中国ガン細胞の拡散基地
このような小利を貪ろうとしている心理を中国にうまく利用され、日本の大学はガン細胞の拡散基地を提供しているのだ。欲望大国である中国は、その貪欲の心理を誰よりも知っていることを忘れてはいけない。
李登輝氏はかつて、中国の一番悪いところは人間の悪の部分を呼び起こして、利用することだと指摘した。中国人は人間の悪を呼び起こして堕落させ、欲望の奴隷にするのだ。それはまさにガン細胞的思考そのものなのだ。
そのような思想だから、奉仕の精神で孔子学院を運営することはまずありえない。孔子学院はあくまでもソフトパワー戦略の一環だ。戦わずにして相手を屈服させる孫子兵法の本家である中国なら、ソフトパワーに力を入れないはずがない。
中国の狙いは、心を許してくれるカモを操り、持ち物を根こそぎむしり取ったうえ、下僕として働かせることだ。この最高の詐欺師の技を中国が孔子学院を道具としてやっているのだ。
孔子学院は作る方も受ける方も動機が不純だから、問題が生じやすいのも当然のことであろう。この中国ガン細胞の脳内転移にいち早く警鐘を鳴らしているのは、アメリカのメディアだ。アメリカのメディアは、孔子学院に中国共産党思想の拡散を目的に教師として入り込んだ中国スパイの存在を指摘し、アメリカ政府に注意を促している。
アメリカの中国研究の学者たちからも疑問が呈されている。マサチューセス州にあるアメリカの最も古い大学の一つで、最難関の一つとも言われるマウント・ホリヨーク大学のジョナサン・リプマン中国歴史教授は「金欲しさで中国政府の干渉を許してしまっている」と孔子学院を受け入れているアメリカの大学を批判している。
また、カリフォルニア州共和党連邦下院議員のダナ・ローラバーカー氏も「孔子学院がアメリカの公共教育を通じて中国の宣伝をしている」と指摘している。
これらの批判について、中国はまったく意に介していない。意に介するどころか、中央政治局委員で宣伝担当の李長春氏は、孔子学院を「中国対外宣伝構造の重要部分」と公言しているほどだ。
日米の脳内に転移した中国ガン
しかし、こうした批判が多発していても、孔子学院はガン細胞の脳内移転の任務を達成しつつある。日本とアメリカにおける成功例を紹介しよう。
上海外国語大学と孔子学院の運営を提携している大阪産業大学は二〇〇九年四月、経営合理化のため孔子学院に大学所有ビルへの移転を提案した。これに対して孔子学院は「上海外大や中国政府との協議が必要」と難色を示したため、大阪産業大学は翌年、孔子学院廃止の意向を通知した。
ところが、慶応大学教授から同大の経営学部教授に転じ、後に常務理事と事務局長を兼任する重里俊行氏が大阪産業大の教職員組合と大学側の団体交渉の席で「孔子学院は中国政府のソフト的な拡張主義」「漢弁は文化スパイ機関」などと発言したため、学内の中国人留学生たちが抗議し謝罪を要求した。
連携先の上海外大の王静副学長も来日し、大学当局に説明を求める形で圧力をかけた。結局、大阪産業大学が中国の圧力に屈して謝罪し、重里事務局長を辞任に追い込んだ。重里氏は後に別件で懲戒解雇を受け、経営学部の教授職も失った。
この経緯を中国共産党の機関紙である人民日報の人民網が重里氏のプライベートの部分も含めてまるで芸能誌のように細かく報道した。一大学教授の懲戒解雇をなぜそこまで報道しなければならないのか、理由は簡単だ。これが中国の国策の成功例だからだ。洗脳政策と思想統制の前進基地としてできた孔子学院が早くも成果を出してくれたのだ。
ところが、こうした中国ガンによる脳内転移は、実は日本よりもアメリカの方が深刻なのだ。
問題だらけの孔子学院に対し、アメリカ国務院はようやく重い腰を上げた。二〇一二年五月十七日、孔子学院に所属する研究員が小中学校レベルの教育指導の仕事に就くのは米国のビザ関連法に背くという理由で、中国人教師たちに六月三十日まで国外退去する旨の告示を発表したのだ。
しかし、この告示に対して中国側は「文化交流を阻害するものだ」と強く抗議し、アメリカ国内に孔子学院を設置している八一大学と連携してこの命令の撤回を求めた。すると、なんとわずか一週間後、アメリカ政府があっさりと中国の要求通りに告示を撤回したのだ。
このように、孔子学院の威力はいかんなく発揮され、中国の狙い通りに機能している。超大国のアメリカも中国ガンの脳内移転には適わないのだ。
中国人の面子には一文の価値もない
そもそも中国では、一億人の文盲が存在すると言われている。小学校も予算不足で、子供たちの学校建設費用を募金する「希望工程」と称する寄付金を日本や台湾にも求めているぐらいなのである。鳩山由紀夫が中国の指導者ならともかく、自分の子供の教育費を削ってまで他人に教育を施すほど中国は友愛の国なのか。
膨張し続ける中国の軍事予算と国内治安対策と同じ観点からのソフトパワー拡充は、教育の位置づけではなく、戦略の位置づけなのだ。膨張し続け、拡充し続けることが至上命令となるガン細胞にとって、国民教育の優先順位は一番低いのだ。
毛沢東はかつて「只要核子、不要褲子」(核は欲しいがパンツは要らない)と言った。この言葉は、実は中国ガンの思想を如実に表している。つまり、大量殺戮兵器さえ手に入るなら、どんなに恥ずかしい目にさらされても構わないということだ。中国人はこのぐらい実利的な民族なのだ。
日本人はよく、中国が面子を重んじる国だと勘違いをしている。中国は面子を重んじると思わせるだけで、日本を思い通りに操れるのだ。これがなんのコストも要らない最高の外交手法であろう。核さえ手に入れれば、パンツを穿かなくてもいい中国人の一体どこが面子を重んじているのか!
孔子学院もこのような実利の観点から推進している国策だから、大金を叩いて世界中に作りながらも、自国の小学校建設費用を日本や台湾に寄付を募っているのだ。これが面子を重んじる国のやることはとても思えない。
孔子は「至聖先師」の名に値する人物なのか
それにしても、「至聖先師」と祭りあげられている孔子だが、本当にその名に値するほどの人物なのだろうか。
蒋介石政権下で中国人化教育を受けた私は、中学から大学まで「春秋」や「論語」などを勉強させられた。高校、大学の入学試験も公務員試験も国費留学試験も不可欠だから、いまでも論語は暗誦できるぐらいだ。
私は中国の古典が好きで、高校時代に「唐詩三百首」と「古文観止」を繰り返して何回も読んだ。しかし、説教調の「論語」はどうしても好きになれなかった。
「論語」を勉強すればするほど、孔子は果たして自分が言っている「礼義」と「仁愛」を持ち合わせているのかと疑いたくなる。官位につくチャンスがあればすぐに飛びつき、権力者に媚びを売る一方、庶民に傲慢な態度で説教している。
「君君、臣臣、父父、子子」は日本でもよく引用されるが、ポスト欲しさで孔子が主君の齊景公に迎合して持ち上げようとする言葉である。「父父、子子」はいいとしても「君君、臣臣」とはただ権力者の提灯持ちではないか。
その孔子が「刑不上大夫、礼不下庶人」(刑罰は貴族に及ばず、礼儀は庶民に及ばない)とも言っている。なんとも卑しい人なのだ。だから「論語」をそのまま鵜呑みにはできない。
中国の歴代の帝王が好んで儒教を顕学にするのも、愚民政策の道具として都合がいいからではないのか。
李登輝氏が孔子の「未知生、焉知死」(未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ生を知らん)という人生観を批判したことがある。キリスト教のような永遠の命という概念がないから、現世に執着するのだと批判した。
孔子はその一方で「敬鬼神而遠之、可謂知矣」(鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし)とも言っている。つまり「ご利益は欲しいが、祟られるのはごめんだ」という中国人らしい現実主義そのものなのだ。
当時の台湾は戒厳令が敷かれた時代だったので、儒教に対して懐疑的な態度をとることは許されることではなかった。だから、こうした疑問を解かしてくれる先生もいなかった。
一九八七年に日本に来てから台湾で禁書とされた書物を読み漁り、その中に中国の文学者、巴金の著書もあった。彼が書いた『孔老二罪悪的一生』が私の長年の疑問を解き明かしてくれた。
巴金の描いた孔子とは、悲嘆する日々を送っているへそ曲がりである。孔子は没落した貴族の末裔だが、プライドだけ高く、ひたすら官位を求め続けていた。「有教無類」とは名ばかりで、講学は勢力拡大と学生から金品を巻き上げる手段に過ぎないというのだ。つまり、孔子思想の結晶とされる「論語」とはしょせん彼の恨み言の集大成なのだ。
そもそも、儒教を中心とする中華文化とは、華麗な包装の中で腐臭が漂う汚物のような存在で、権力者が愚民政策に使う道具の一つに過ぎない。中国人自身も中華文化を「満嘴仁義道徳、一肚子男盗女娼」(口では仁義道徳、腹では男盗女娼)とけなしているぐらいだ。
その腐りきった中華文化の代表者が孔子であるなら、宣伝機関を「孔子学院」と名付けたことも頷ける。
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