宮崎繁樹先生の御逝去を悼む

宮崎繁樹先生の御逝去を悼む
                            台湾独立建国聯盟日本本部
                            王 明理

明治大学元総長、宮崎繁樹先生が4月10日に亡くなられた。享年90歳。
宮崎先生は国際法の権威であり、また人権活動家としても活躍された方で、特に台湾人の人権に真摯に取り組んで下さった大恩人であった。

宮崎先生が台湾人の人権を守る活動に取り組むようになったきっかけは、1967年8月の林啓旭・張栄魁強制送還未遂事件であった。台湾独立建国聯盟(当時の名称は台湾青年独立聯盟)の盟員、林と張は、特別在留許可(実質上の亡命措置)を延長する手続きのために入国管理事務所に出頭したところ、いきなり収容され、台湾へ強制送還されることになった。当時、独立運動者が戒厳令下の台湾に帰国すれば、極刑に処せられることは明らかであった。

林啓旭が明治大学大学院の教え子だった関係で、宮崎先生は特に義憤を感じられ、すぐに、日本政府の非人道的措置に抗議し、強制送還を阻止するために行動を開始された。作家の平林たい子氏、阿川弘之氏、水野清議員等47名からなる「張栄魁・林啓旭両君を守る会」を結成し、宮崎先生は自らマイクを持って街頭演説するなど奔走され、結局、二人は台湾への送還を免れることができた。
その翌年、盟員の柳文卿が同じように入管で捉えられ、翌朝、強制送還が実行されるとい

う事件が起きた。「張栄魁・林啓旭両君を守る会」は会合を開き、「在日台湾人の人権を守る会」として新たに活動することを決め、宮崎先生が代表に就任された。この事件はマスコミにも大きく取り上げられ、これ以降、台湾人留学生の強制送還は発生していない。 

台湾で人権を奪われた上に、日本においても人権を保障されない台湾人留学生とって、宮崎先生はまさに、命の恩人であった。

1974年12月に旧日本兵中村輝夫氏がモロタイ島で発見されたことをきっかけに、1975年、王育徳が「台湾人元日本兵の補償問題を考える会」を作った際、代表世話人を宮崎先生に依頼すると快く引き受けて下さり、以後、12年間、大変な重責を背負って下さった。 台湾人元日本兵はすでに日本国籍を持たず、日本と外交関係のない台湾に居住しているため、補償を実現するのは非常な難題であった。しかし、努力の結果、国会の立法措置により、台湾人元日本兵とその遺族2万人に一律200万円の弔慰金が支給された。この運動を遂行し、解決できたのも、宮崎先生の誠実で熱心な尽力があったお蔭である。

蒋経国政権下にあった台湾人は、誰の努力のお蔭で、総額560億円もの金が元日本兵に配られるようになったかほとんど知らないままであるが、「台湾人元日本兵の補償問題を考える会」の地道な無償の努力があったことを忘れてはならないだろう。

宮崎先生のお父上は、日本陸軍でこの人ありと謳われた名将宮崎繁三郎中将である。苛酷な行軍、撤退で知られインパール作戦において、的確な指揮をとり、人道的な行動を完徹したことで、英軍司令官からも称賛された人物である。

宮崎先生御自身も、陸軍士官学校を卒業した陸軍将校で、戦後になって、改めて大学で法律を学ばれ、司法試験に合格された。そのせいか、先生にお会いすると、学者らしい温厚な人柄と不正を許さない凛とした姿勢の両方が融和して感じられた。
人には本当に優しく、いつも静かな口調でお話になり、時々少年のようにはにかんだ笑顔を見せられた。

大切な方を亡くし悲しみに耐えないが、真摯に人生を全うされた先生の御苦労を労い、心からの感謝の気持ちで御冥福をお祈りしたいと思う。

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