【追思】宗像隆幸先生のご逝去を悼む

【追思】宗像隆幸先生のご逝去を悼む
【追思】宗像隆幸先生のご逝去を悼む 

                                    台湾独立建国聯盟日本本部

                                       委員長 王 明理

台湾独立建国聯盟日本本部の顧問であり、台湾独立運動の大先輩である宗像隆幸氏(筆名・宋重陽)が7月6日12時14分亡くなられた。6月初めに転倒してから体調を崩され、瑞江夫人の看護の甲斐もなく旅立たれた。

訃報は即刻台湾にも伝えられ、台湾の大恩人の死を悼む声が多く寄せられている。

宗像氏が台湾独立運動に関わるようになったのは、今から59年前、若干25歳の時だ。鹿児島生まれの生粋の日本人でありながら、全くの義侠心から台湾人の自由と尊厳を取り戻す活動に参加し、以来、一生をかけて台湾の為に生きてこられた。今、多くの日本の方々が台湾の置かれた立場を理解し、わがことのように心配して応援して下さっているが、宗像氏はその草分け的な存在であり、応援団というより、まさにどっぷりと台湾人以上に台湾の為に生きてこられた。

なかでも、大きな仕事は、台湾青年社(台湾独立建国聯盟の前身)の機関誌『台湾青年』の編集で、1961年の第9号から2002年の500号まで41年の長きに亘って毎月欠かさず発行する重責を担われた。

さらに、歴史に名を遺す仕事として忘れてならないのは、1970年、「台湾自救宣言」を書いたかどで逮捕され軟禁されていた彭明敏博士を台湾から海外へ脱出させることに成功したことである。この計画を宗像氏は一人熟考し、9か月間準備して実行し、成功させた。国民党の警察や特務の厳しい監視下から彭明敏博士を救い出したことは、その当時の独立運動者をどれほど勇気づけたことだろう。この奇跡的なミッションインポシブルを成し遂げた時も、宗像氏は特に自慢もせずに飄々としていた。そういう男気のある素敵な人だった。

昨年12月の世界人権デーは台湾の民主化運動の幕開けとなった「美麗島事件」から40年目であった。この節目に台湾政府は、宗像氏の功績を讃えるため宗像夫妻を台湾に招待し、彭明敏博士との再会の場を設えた。これが、氏の最後の台湾訪問となってしまった。

宗像氏が台湾独立運動に参加したきっかけは、たまたま下宿先が台湾から留学に来ていた許世楷氏と同じだったことによる。許世楷氏が台湾の実情を宗像氏に話し、機関誌『台湾青年』の編集を頼んだところ、快諾し、この道に入ったのであった。

その時の経緯を『台湾青年』300号(王育徳博士追悼号)にこう書いている。

――私がはじめて王先生にお会いしたのは、1961年7月のことだったと思う。同年8月発行の『台湾青年』第九号を編集するためだったからである。それまで編集していた人が急にやめてしまい、困っているので手伝ってほしい、と許世楷に頼まれて、一緒に王先生のお宅にうかがった。原稿の束を前において、よろしくお願いします、と王先生はあの頃もう晩年と同じように禿げあがっていた頭を深ふかと下げられた。あまりにも鄭重だったので、私の方がアワを食ったのを覚えている。

 この出会いが私の人生を決定した。いまだに私は本誌を編集している。この第三百号が王先生の追悼号になろうとは!

 宋重陽(そうじゅうよう)というのはペンネームで私が日本人であることを知って独立運動をやっていることをふしぎがる人がいる。「お母さんが台湾の方だったのですか」と聞かれたことも一再ではない。もともと私と台湾の間には、つながりといえるようなものはなにもなかった。1959年に留学生として日本へきたばかりの許世楷と会ったのが、台湾人と知りあった最初である。

「日本はアメリカに占領されて幸運だった。台湾は中国軍に占領されてひどい目に会っている」と、そのとき彼はいった。台湾のことをなにも知らなかった私は、おどろいてワケをたずねた。台湾人が解放軍と思いこんで迎えた中国軍の蛮行、圧制と略奪にたまりかねて台湾人が蜂起した二・二八事件など、このときはじめて私は知った。「そんな政府はぶっつぶしてしまえばいいじゃないか」というようなことを、私は許世楷にいった。――

更に、2002年6月発行の『台湾青年』500号(停刊号)では、独立運動に生きる自分の人生をこのように振り返っている。

―― ほんのちょっとしたことが、人間の生き方を決定することがある。一人の台湾人留学生(許世楷)と友達になったことが、私の人生を決定した。これを幸運だった、と私は思っている。人生を賭ける価値のある生き方ができたし、数多くのすばらし仲間や友人、知己に出会えたからである。

 今もそうであるが、若い頃から私は、自由を人間にとっての最高価値と信じ、自由のために超大国ペルシアとさえ戦った古代ギリシア人の思想や生き方に深く共感していた。だから、国民党独裁政権と闘うために台湾青年社が結成されて、その手伝いを頼まれたとき、私は喜んでこの革命に身を投じた。――

 実は宗像氏が我が家(当時、父王育徳は自宅を台湾青年社の事務所にしていた)に出入りし始めた時のことを私はよく憶えている。日夜、家に出入りしている台湾人のお兄さん達とは違う日本人で格好いい青年が、こんな運動に入ってしまっていいのだろうか、と、私は子供心に心配したのだ。だから後になって、御本人が「これを幸運だった」と述べているのを読んだときは本当に嬉しかった。

宗像氏は台湾の民主化と台湾人の自由を求めることだけを生き甲斐にして、無私の人生を全うされた。まさに台湾の恩人であると同時に、その潔い生き方も私たちに尊いものを教えて下さったと思う。

宗像さん、本当に長い間、有難うございました。ご冥福を心からお祈りします。

(尚、『台湾青年』バックナンバーは、台湾独立建国聯盟日本本部のホームページから全てご覧になれます。)

宗像隆幸(むなかた・たかゆき)

1936年(昭和11年)9月9日、鹿児島県生まれ。明治大学経営学部卒。

出版社「自由社」勤務を経て、1961年8月から『台湾青年』の編集に従事。

1970年1月、台北市内に軟禁されていた彭明敏博士を救出し、スウェーデンに亡命させる。

1970年、アムネスティー・インターナショナル日本支部立ち上げに尽力。

台湾独立建国聯盟日本本部中央委員、顧問

台湾人元日本兵の補償問題を考える会幹事

台湾安保協会幹事

日本李登輝友の会理事

著書

『ロシア革命の神話』(自由社、1987年)

『新しい台湾─独立への歴史と未来図』(王育徳と共著)(弘文堂、1990年)。

『台湾独立運動私記』(文藝春秋、1996年)

『存亡の危機に瀕した台湾』(自由社、2006年)

『台湾建国─台湾人と共に歩いた47年』(まどか出版、2008年)

台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂』(自由社、2013年)など。王育徳氏との共著に


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