【2月23日 台湾週報】
1947年2月、ヤミたばこ販売取締りをめぐって警官が発砲して流血事件となったことに
端を発し、翌2月28日から巻き起こった市民の抗議行動が当時の政権による武力鎮圧事件
に発展した「二二八事件」は、数万人の死者を出したと言われ、台湾の歴史上大きな傷跡
を残した。
今年は「二二八事件」発生から60周年にあたり、2月28日、台北市内に「二二八国家紀
念館」がプレオープンする。
「二二八国家紀念館」の建物は、日本統治時代の1930(昭和5)年に「台湾教育会館」と
して建てられたもので、日本時代は美術館として使われていた。
1945年8月、中華民国政府が台湾を接収後、この建物は「台湾省参議会」となった。「台
湾省参議会」では当時の台湾人エリートが当選して参議員となって政治参加していた。し
かし、二二八事件の後、「二二八事件処理委員会」に参加し、当時の陳儀・行政長官に台
湾の自治を盛り込んだ善処策を迫った王添灯・参議員などは、捕らえられて命を落とし、
ほかの多くの参議員も政壇を追われたという歴史がある。
中国大陸で国共内戦に敗れた中華民国政府が台湾に遷った1949年からは「台湾省教育会」
として使われ、1959年からは「米国駐台新聞処」となり、台湾が欧米の情報を得る重要な
役割を担った。中華民国と米国の断交後、「米国文化センター」と改称され、1993年に行
政院はこの建築物を三級古蹟に指定した。
「米国文化センター」が移転後、2006年に「二二八国家紀念館」設立プロジェクト計画
が進められ、「台湾省参議会」があったこの建物が紀念館の場所に選ばれた。今後「二二
八国家紀念館」は財団法人二二八基金会の委託経営で運営される。
「二二八国家紀念館」では、二二八事件の史実記録が保存、展示され、歴史の教訓を次
の代へ伝えてゆくほか、台湾主権発展史を国際社会に向けてアピールする。「二二八国家
紀念館」の正式オープンは来年の予定であり、4月までは「二二八事件60周年特別展」が
開かれることになっている。