2月28日、ドキュメンタリー映画「湯徳章─私は誰なのか─」が東京公開

湯徳章(日本名:酒井徳章)は、日本人の父と台湾人の母との間に生を享け、後に超難関の高等文官司法科試験(司法試験)と高等文官行政科試験(国家公務員総合職試験)の両方に合格する。

その後、台南へ帰り、弁護士として台湾人の人権確立のために活動する。

しかし、国民党政府による2・28事件弾圧から台南市民を救うために奔走するも、無実の罪により処刑される。

1947年3月13日、台南中心部の公園に設けられた処刑場で、湯徳章は台湾語で「私には大和魂の血が流れている」と叫び、最後に日本語で「台湾人、万歳!」と発し、従容として死に就いた。

台南市は1998年2月、この公園を「湯徳章紀念公園」と命名して銅像を建立、2014年3月にはその命日を「正義と勇気の日」に制定して遺徳を顕彰し、いまに至っている。

台湾で2・28事件が起こった2月28日より、湯徳章の生涯を描いたドキュメンタリー映画「湯徳章─私は誰なのか─」が東京・ユーロスペースなど全国で順次公開されるという。

配給は太秦。

すでに、湯徳章に関しては2016年12月、ノンフィクション作家の門田隆将氏が『汝、ふたつの故国に殉ず─台湾で「英雄」となったある日本人の物語』(2016年12月、日台同時発売)を出版している。

ぜひ本書に目を通してからこの映画を観ていただきたい。


1人の弁護士から台湾の記憶をたどるドキュメンタリー映画「湯徳章─私は誰なのか─」公開【映画ナタリー編集部:2025年12月8日】https://natalie.mu/eiga/news/651240

戦後に起きた二二八事件の渦中で多くの市民を救った台湾の弁護士・湯徳章(トゥン・テッチョン)のドキュメンタリー映画「湯徳章─私は誰なのか─」が、2月28日より東京・ユーロスペースほか全国で順次公開。

太秦が配給する。

1907年、日本統治時代の台湾で、日本人の父と台湾人の母のもとに生まれた湯徳章。

警察官として社会に身を置くが、その後、日本にわたって司法を学び、弁護士資格を取得した。

台南に戻ってからは弁護士として人々のため尽力し、二二八事件が勃発した1947年には身を挺して混乱の収拾にあたり、多くの市民を守った。

しかし、湯徳章は軍に逮捕され拷問を受け、町中を引き回されたうえ民生緑園(現・湯徳章記念公園)で公開処刑された。

40歳という若さだった。

台南には湯徳章の名を冠した旧居や道路が残されているが、長きにわたる言論弾圧で事件にまつわる人や物事を語ることが禁じられた結果、多くの台湾人、さらには台南の地元住民でさえ、彼の人物像を知る者は少ないという。

映画は湯徳章の養子や姪、果物屋の店主、ジャーナリスト、歴史家、作家、当時の新聞記事など、彼と関わりのあった人々の証言や記録を紐解く。

そして湯徳章の人物像や人生の輪郭を浮かび上がらせ、さらには台湾の記憶をもたどっていく。

台湾で生まれ育った日本人たちの望郷の思いを記録したドキュメンタリー映画「湾生回家」を手がけた黄銘正(ホァン・ミンチェン)が、連[木貞]惠(リェン・チェンフイ)とともに監督を務めた。

湯徳章の人柄や生涯を時代の変化とともに発見していくような構成で描き出す。

当時を再現するシーンでは、「親愛なる君へ」「太陽の子」の監督で俳優としても活躍する鄭有傑(チェン・ヨウジエ)が湯徳章を演じた。

日本公開に向けて、黄銘正は「台湾と日本のあいだの不思議な絆や親しさに、興味や驚きを抱く方も多いでしょう。

もしその理由を知りたければ、湯徳章の人生に隠されたさまざまな手がかりが、観客である『あなた』に見つけてもらえるのを待っています」とコメント。

連[木貞]惠は「彼が抱えていたアイデンティティへの不安は、まさに現在の台湾社会が抱く集団的な迷いと重なっているようにも思えます。

もうすぐ日本で公開されるこの映画を、日本の皆さんがどのように受け止めてくださるのか、とても楽しみにしています」と語っている。


※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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