歴代19名の台湾総督のうち、台湾の人々からもっとも慕われた一人が後藤新平を民政長
官に第4代台湾総督をつとめた児玉源太郎(1852年〜1906年)だった。江ノ島の児玉神社(
山本白鳥宮司、大正7年創建)などを取材して日露戦争時の活躍を放映。
児玉神社はそのほとんどが台湾の人々からの浄財によって造られ、社殿は阿里山檜、大
鳥居は李登輝前総統もよく登られた観音山の石を用いている。狛犬も台湾人名工の作によ
る。いずれも台湾から献納されたものだ。 (編集部)
■放 映 日 平成17年11月16日(水)21:15〜21:58 総合
■タイトル 秘められたメディア〜児玉源太郎 日露戦争のシナリオ〜
■ゲ ス ト 稲葉千晴氏(名城大学教授)
■そ の 時 明治38(1905)3月11日
■番組内容
日露戦争最大の戦い「奉天会戦」で日本がロシアを破ったニュースが世界に流れる。
『日本奉天占領 もはやロシアに望みはない。ロシア軍は最大の危機に陥った。』(明
治38年3月11日タイムズ誌)
日露・奉天会戦の翌日、日本を激賞した記事が世界を駆けめぐった。国力、兵力ともに
圧倒的な不利の中、大国ロシアを破った日本は、この報道で、一躍世界の檜舞台に躍り
出た。
このメディア戦略を仕組んだのが、参謀本部次長・児玉源太郎だった。開国以後、不平
等条約の締結など欧米列強との格差が深刻化していた日本。児玉源太郎は、世界で初め
て戦場の様子がすぐさま報道される日露決戦を、日本アピールの最大のチャンスと捉え
ていた。その最高の舞台として迎えられたのが当時世界最大の陸戦となった奉天会戦。
ロシア軍32万に対し、日本軍25万。児玉の見事な陽動作戦で相手を退却に追い込み
、日露決戦を決定づけるとともに世界における日本の立場を大きく変え、歴史を動かし
たのだ。
番組では、ロシアに勝利することで国際社会の一員として躍進を遂げようと賭けにでた
児玉と、それを阻もうとするロシア軍。双方のメディア戦略を追いながら『メディアと
戦争』のあり方について考える。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html