陳儀深・國史館館長が李登輝元総統年譜作成や関係者への聞き取り意向を表明

 昨年7月30日に李登輝元総統が亡くなられてから、その事績を紹介する単行本が次々と出版されました。いずれも読み応えがありましたが、不満だったのは年表(年譜)です。

 例えば、台北高等学校から京都帝国大学農学部農林経済学科に入学し、陸軍に入隊されるまでの年代が、ある本では下記のように記されていました。

・1943年8月 台北高等学校を繰り上げ卒業・1943年10月 京都帝国大学農学部農林経済学科に入学・1943年12月 旧日本陸軍に入隊、高射砲部隊に配属

 これですと、京大で学んだ期間は1943年の10月から12月の3ヵ月足らずです。李登輝元総統は『台湾の主張』において1年2ヵ月ほど京大で学んだと書かれていて、この記述と合いません。

 事実、ある本では「1944年2月、学徒兵として日本陸軍に入隊」と記しています。かつて台湾の國史館が出版した『李登輝総統照片集』では「陸軍入隊」と記しているものの、その年月日は記されていませんでした。

 実は、上坂冬子さんが20年前の2001年4月に出された『虎口の総統 李登輝とその妻』の年表には下記のように記されていて、この本を読んだころからモヤモヤ感が消えずにいました。

・1942年 李登輝、京都帝国大学に入学(10・1)・1943年 李登輝、学徒出陣で入隊(12月)

 そこで、本会なりに多くの文献に当たって年譜をまとめていたものの、亡くなられて以降の本ならと期待していたのですが、結局、モヤモヤ感は残ったままとなりました。

 また、キリスト教に入信した年は、どの本も1961年でそろっているのですが、何月何日に洗礼を受けたのか、ある本では4月になっていて、月まで入れているある本では月を抜かして入れていないという状況です。

 1961年とは李元総統38歳、台湾大学助教授のときですが、この年の6月に来日し、16日に台湾独立運動を日本ではじめていた王育徳氏を訪ねてお会いして意見を交換し、30日には王育徳氏が李元総統が泊まっていた宿に訪ねて改めて意見交換していました。戒厳令下の台湾から訪日した李元総統にとっては命を賭しての密会であり、力を与えたのは信仰の力だったのではないかと推測されることから、4月の何日にどの教会で受洗されたかは非常に重要になってくるのではないかと思われました。

 しかし、ほとんどの本が「1961年4月、キリスト教に入信」という記述で、日付が分からず、教会名も記していないのです。

 8月28日、李登輝元総統と台湾の民主化をテーマにしたシンポジウムが台北市内の國史館で開かれ、中央通信社が伝えるところによりますと、陳儀深館長は、同館が李氏に関する展示を行う中で「総統在任中の多くの公文書を収集・整理しなければならないばかりか、憲法改正の経緯や対米・対中関係についてまとめられていない記録がまだある」ことに気がつき、「李氏が総統退任後に李登輝基金会の前身である群策会や李登輝学校、台湾団結連盟(台聯党)、李登輝友の会などの設立に携わり、『台湾派』のグループと密な交流をしたことに触れ、インタビューや文献の整理をしなければならないと強調」し「2年以内に李氏の年譜や親しい関係者へのインタビューをまとめたいとの考えを示した」そうです。

 台湾では2002年6月に「李登輝之友会」すなわち「李登輝友の会」が設立され、記事中の「李登輝友の会」は台湾の「李登輝友の会」を指しているのかもしれませんが、もし「日本李登輝友の会」、つまり本会のことを指しているとするなら、李元総統の詳細かつ正確な事績を明らかにするための必要文献などの提供はもちろん、インタビューにも快く応じたいと思います。

—————————————————————————————–国史館館長「李登輝氏の年譜や関係者の取材録まとめたい」【中央通信社:2021年8月29日】https://japan.cna.com.tw/news/asoc/202108280006.aspx

 (台北中央社)李登輝(りとうき)元総統と台湾の民主化をテーマにしたシンポジウムが28日、台北市内の歴史研究機関、国史館で開かれた。陳儀深館長はあいさつの中で、2年以内に李氏の年譜や親しい関係者へのインタビューをまとめたいとの考えを示した。研究者に資料として提供するほか、国家のために記録を残したいと語っている。

 陳館長は、同館が李氏に関する展示を行う中で、同氏に対する認識が極めて不足していたことに気付いたという。総統在任中の多くの公文書を収集・整理しなければならないばかりか、憲法改正の経緯や対米・対中関係についてまとめられていない記録がまだあると述べた。

 さらに、李氏が総統退任後に李登輝基金会の前身である群策会や李登輝学校、台湾団結連盟(台聯党)、李登輝友の会などの設立に携わり、「台湾派」のグループと密な交流をしたことに触れ、インタビューや文献の整理をしなければならないと強調した。

 シンポジウムには東京外国語大学の小笠原欣幸教授もリモートで参加。1996年に実現した総統直接選挙に関して、台湾の政治体制が民主化する里程標になったほか、民主的な政治の始まりになったと意義を語った。

(温貴香/編集:齊藤啓介)

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