鄭春河大人を偲ぶ [草開 省三]

台湾から『嗚呼 大東亜戦争』などの冊子を次々と日本に送り出し、平成10年(1998年)には『台湾人元志願兵と大東亜戦争』を出版された台湾の鄭春河氏は昨年12月22日、入院
先の台南病院にて逝去された。

 生前のご功績を偲び、本会の機関誌『日台共栄』2月号では「鄭春河先生を偲ぶ」と題し
、ご縁深い本会理事の名越二荒之助氏(なごし ふたらのすけ 前高千穂大学教授)、草
開省三氏(くさびらき しょうぞう 日台交流教育会専務理事)、鎌田告人氏(かまだ 
のりひと 比布神社宮司・北海道李登輝友の会支部長)の追悼文を掲載した。

 その際、草開理事からいただいた追悼文はスペースの都合で割愛せざるを得なかったの
で、ここに全文を紹介したい。

 なお、日台交流教育会(古田島洋介会長)は日本と台湾が断交した直後の昭和47年(19
72年)12月から、学校の先生方を中心として台湾との教育交流を続けている団体で、毎年
、交互に「日台教育研究会」を開催し、今年は12月26日から訪台して台湾で開催する。27
日には、李登輝前総統の特別講演が予定されている。           (編集部)

鄭春河先生
1920年、台湾・台南州北門郡佳里生まれ。39年、早稲田大学中学部(校外生)卒業後、台
南神社にて神職教育を受け、北門郡雇員(公務員)及び北門神社奉仕を兼務。43年、特別
志願により陸軍第一補充兵編入。翌年、台湾第四部隊に入営し、チモール島にて終戦。46
年に復員して帰台。戦後、日本人容疑で検挙されるも無罪判決により政治大学課程を履修
。製油会社等の要職を歴任。2005年12月22日、台南にて逝去。享年87。


鄭春河大人を偲ぶ

                       日台交流教育会専務理事 草開 省三

■初めてお会いして

 省みれば鄭春河先生と初めてお会いしたのは、平成6年(1994年)12月27日、28日に台南
で開かれた第21回日台教育研究会(台南教育研究大会)におけるレセプションの席上だっ
た。

 「ただ今から、南星会(大東亜戦争台湾歩兵第二連隊によってつくられた戦友会)の皆
様による『台湾軍』の軍歌を紹介します」

 みれば70歳代数人の台湾人の方数人です。挙手の敬礼から始まり、一席、そして歌へ、
それが何とも名状しがたい威風堂々たる姿勢で、歌詞、歌調がまた一段とよい。四番まで
あるが、むすびに繰り返される「護りは我等台湾軍 嗚呼厳として台湾軍」の声の調べに
、我ら訪台教師団48名は完全に感激の坩堝と化し、別天地の世界へ導かれていった。

 その数人の先頭に立って、つねに微笑をたたえた上品な方が鄭春河先生だった。その時
の尊厳あふれる姿が今もはっきりと眼前に浮かぶのです。

■今も読み継がれている『台湾と日本・交流秘話』

 平成8年(1996年)春、許国雄先生が監修し、名越二荒之助先生と私が編者となり『台湾
と日本・交流秘話』(展転社刊)を出版した。

 その資料集めを平成7年4月8日から約10日間余り台湾で行い、今でも「義愛公」として台
湾の人々から慕われている森川清治郎巡査を祀る嘉義の富安宮や広枝音右衛門警部を祀る
苗栗の獅頭山勧化堂など、交通事情や宿泊などの悪条件をいとわず、自ら立案企画してご
案内して下さったのも鄭春河先生でありました。

 聞くところによると、この本が発刊して10年経った今でも売れつづけているとのことで
すが、それは鄭春河先生の台湾に対する愛情の深さが執念になったと信じます。

 鄭春河先生はこの頃すでに台湾の戦友会の機関紙への執筆をはじめとして、自ら十数種
のパンフレットを作り、有志同憂の方々宛に送っておられました。中でも『嗚呼 大東亜
戦争』は大変な反響を呼び、資料収集をお手伝いいただいたその年の7月頃には、すでに
47,500部が日本で頒布されていました。

■あの日が最後だった

 平成14年(2002年)正月中旬だったように思うが定かではない。台湾の教育界の至宝と
いわれた許国雄博士から突然「今、うちの大学に鄭春河さんがみえているよ」と電話があ
りました。

 鄭先生の言うに、「許先生は私より2、3歳若いし、お元気だ。それに比べ、私はすでに
病気も重く、大手術も覚悟せねばならない。そこでお願いですが、私の日本関係の資料と
その他の賞品類を全部さし上げますから、どうかあとよろしく頼みます」とのことだった
そうです。

 そこで許国雄博士が鄭春河先生に「今、新しい大学の設立許可が下りました。噂されて
いる新幹線の台南駅は、新大学本館の真前になり、本館に並んで図書館ABC棟を併設の
予定です。特にA棟は日本語の本を中心に考えている。それも最低10万冊は集める予定で
す。その中に必ず鄭春河コーナーを設置するから安心して下さい。なお、B棟は漢書、C
棟は横文字の図書館を設置するつもりです」と話したところ、「鄭春河さんは大変よろこ
んでいるよ!」との電話でありました。

 ところが、運命はあまりにも苛酷で残酷であります。許国雄博士は、その年、即ち、平
成14年5月20日に突然逝去され、6月8日の葬儀には日本からは30余名の方が馳せ参じたので
した。私も駆けつけて弔辞を供えさせていただきましたが、いろいろと思い起こし万感胸
に迫ってほとんど言葉になりませんでした。

 その時、葬儀式場を何げなく見ると1人の老人が2人の男性の肩をかりてようやく式場
を歩いておられる。私は思わず「鄭春河先生!!」と叫んで駆け寄った。あとは2人とも言
葉になりませんでした。この時の鄭春河先生の余りにも寂しい悲しいお顔、残念そうなお
顔が今でも忘れられません。

 あれから3ヶ年余り、よく頑張られました。何回かの大手術を行われましたが、先生は
常に「最後の一兵になっても台湾を護る」という信念に忠実に生きておられました。

 ここに鄭春河先生の御冥福を心よりお祈り申し上げ、今年度、台湾で実施されます第31
回日台教育研究会の折には、必ず先生の墓前に額付くことを誓います。



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