蔡総統の「バトル・オブ・タイワン」演説  浅野 和生(平成国際大学教授)

【世界日報「View point」:2020年11月10日】https://www.worldtimes.co.jp/world/asia/109107.html

 10月10日、例年のごとく、台湾の蔡英文総統は中華民国の双十国慶節で国民にメッセージを発したが、今年の蔡英文演説は、「バトル・オブ・タイワン(Battle of Taiwan)」の呼び掛けとして歴史に刻まれるかもしれない。

 今から80年前、第2次大戦の幕開け、ポーランド侵攻で勝利したドイツ軍が、ベルギーに侵入すると、イギリスでは対独宥和(ゆうわ)政策のチェンバレン首相が辞任し、対独強硬派のチャーチルが代わって首相に就任した。

◆「心理戦」仕掛ける中国

 1940年5月下旬、ドイツ軍によってダンケルクに追い詰められた英仏軍は、軍用船に加えてヨットや漁船まで動員し、イギリスに向けた必死の撤退作戦を決行した。撤退終了の6月3日、チャーチルは「ヨーロッパの大部分の領土と歴史ある名高い国々が、嫌悪すべきナチのゲシュタポの手に落ちても、我々は怯(ひる)まず、最後まで戦い続ける」と宣言し、「万一、英本国の大部分が征服され餓えることになっても、海の彼方の帝国は、いつか新大陸がその軍事力をもって旧大陸の救出と解放に乗り出す時まで、わが艦隊を武器に戦い続けるのだ」と訴えた。

 さらにドイツ軍のパリ入城後の6月18日、チャーチルは下院で「フランスの戦いは終わった。イギリスの戦い(Battle of Britain)が今や始まろうとしている」「キリスト教文明の存続、われわれイギリスの生命、諸制度、わが帝国の歴史はこの戦いに懸かっている」と述べ、「心を引き締めて各人の義務を果たそう。もしイギリス帝国が1000年後まで続いたら、その時の人々が『これこそ彼らのもっとも輝かしい時であった』と言わしめようではないか」と国民に呼び掛けた。

 さて、去る6月30日、香港の国家安全維持法が発効し、香港の自由と民主、法の支配は終焉(しゅうえん)を告げた。香港の戦いは終わった。そもそもマルクス・レーニン主義と「習近平の中国の特色ある社会主義」をもって世界の覇者になろうとする中国共産党は、「超限戦」として、通常戦に加えて「世論戦、心理戦、法律戦」の「三戦」を戦っている。弾の飛び交わない「法律戦」では、北京政権の思い通りに法律一本制定することで勝敗を決することができるのだ。

 そして今や連日、中国軍機が台湾上空に迫っている。10月7日に台湾の厳徳発国防部長(国防相に相当)は、今年に入ってから中国の軍用機1710機、軍艦1029隻が台湾の防空識別圏(ADIZ)に侵入し、うち217機は太平洋側にまで回り込んで台湾南西のADIZに入ったと発表した。9月以後、中国軍機の台湾に対する敵対的行動がにわかに活発化しているが、これは軍事的脅威であるだけでなく、中国が仕掛けた「心理戦」でもある。香港の戦いが終わった今、台湾の戦いが始まったのだ。

 さらに中国は、10月26日からの5中総会で「15年計画」を示し、習近平長期政権の布石を打った。また、2027年に向けて「強軍思想」の徹底と、最新の科学技術を用いた軍の現代化を急ぐ方針を明示したが、ここからは今世紀半ばまでに「世界一流の軍隊」を実現し、覇権に手をかけようとする習近平国家主席の意図が明らかである。

 これに対して蔡英文総統は冒頭の演説では、新型コロナウイルスとの闘いでの台湾の勝利を祝し、自主防衛力の強化を謳(うた)った後、次の言葉で締めくくった。すなわち「20年後の台湾人が2020年を振り返ったとき、あの年、私たちが時代の転機をつかみ、変化の中で勇敢に前進し、課題を克服し、足枷(あしかせ)から脱したからこそ、自分たちは自らの意思で未来を選択する機会を持てるのだ、と思われるようにしようではないか」と。

◆「今が正念場」との訴え

 80年前、チャーチルは1000年後のイギリス人の目を意識したが、蔡英文総統に1000年後を語るゆとりはない。しかし、台湾がBattle of Taiwanに勝利すれば、20年後の台湾人は「2020年の台湾の決断」を祝うことになるだろう。「新大陸が救出に乗り出してくれる」ことが必須だが、そのためには台湾自身が戦いに備え、自ら戦わなければならない。だから、チャーチルの故事に倣って、蔡英文総統は「今が正念場だ」と台湾人に呼び掛けたのである。

 日本はこの危機感を共有できているだろうか。

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