で夜叉が菩薩に変じたように、慈悲深い態度をとったというのは信じられる話ではな
かろう。
台湾独立建国聯盟ホームページより転載
http://www.wufi.org.tw/jpninitl.htm
蒋介石神話の創造
(2002年9月21日)
アジア安保フォーラム幹事・本会理事 宗像隆幸
一九四五年八月十四日、日本は御前会議でポツダム宣言の受諾を決定し、ただちに連合
国に通告した。世界大戦が終わったのである。
日本軍の包囲下にあった重慶も、勝利の喜びでわきかえった。国民党の宣伝機関はさっ
そく、軍事的天才・蒋介石総統の「日本とアメリカを戦わせる戦略が功を奏したのだ」と
、蒋を持ち上げた。
しかし、蒋介石としては、喜んでばかりはおれなかった。中国にいた日本軍の将校たち
の間では、「降伏反対、断固戦い抜く」という声が圧倒的だったからである。太平洋で米
軍と戦った部隊と違い、中国軍と戦って勝ち続けてきた彼らには、敗戦の実感がなかった
のだ。
「百万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍に無条件降伏するがごときは、いかなる場合にも、
絶対に承服しえざるところなり」と、岡村寧次支那派遣軍総司令官は述べた。まさか支那
派遣軍だけで戦争をつづけるつもりではなかったであろうが、激昂している部下をなだめ
るために、岡村大将はそう言わざるをえなかったのであろう。
八月八日、日本に宣戦したソ連は、怒涛の勢いで満州になだれこんでいた。早く日本軍
に重慶の包囲を解かさなければ、中国共産党軍がソ連の助けを借りて支配領域を拡大する
のを、指をくわえて見ていなければならないことになる。
蒋介石は、八月十五日重慶放送を通じて日本軍に降伏を呼びかけた。このとき彼の吐い
た名セリフが、「徳を以て怨に報いる」というもので、後に「以徳報怨」演説として広く
知られることになる。
まさかこの演説が、日本人の間で蒋介石の「聖人伝説」をつくり出すことになろうとは
、本人さえ夢にも思わなかったことであろう。一刻も早く日本軍が降伏して武器を引き渡
し、中国から引き上げて欲しい、という一念から出たセリフだったに違いない。また、蒋
介石の演説で日本軍がおとなしく降伏したわけでもない。
同じ八月十五日、天皇の詔勅が放送された。それまで数多く出されてきた天皇の名によ
る命令と違い、天皇自らが放送で日本人に降伏を命じたのである。天皇の軍隊が、この命
令に背けるはずがない。全日本軍はただちに降伏を受け入れたのである。
しかし、蒋介石神話の方は一人歩きした。ソ連が降伏した日本人六十万人を抑留して使
役し、七万人も死なせたからである。「残酷なスターリンと寛大な蒋介石」という対比が
、日本人の間で蒋介石の聖人伝説を生み出したのだ。
それに気をよくした国民党の宣伝機関は、さらに三つの蒋介石神話を作り出そうとした。
一つは、天皇が戦犯となるところを、蒋介石が救ったという神話である。
ちょっと調べれば、それが嘘であることはすぐにわかることだ。蒋介石の軍令部が作成
した戦犯リストのトップに、「日皇 裕仁」と書かれている。蒋介石大元師の許可なしに
、軍令部がこの戦犯リストをつくれるわけがない。
天皇の名の上には、「暫刪」(当分削除)と書かれている。米国の要求で蒋介石は天皇
の戦犯要求を保留したのである。
米国は戦争中に、戦後の日本統治に天皇を利用する方針を決定していた。だからトルー
マン大統領は、「天皇を含む日本の政治機構を利用して間接統治せよ」と、マッカーサー
元師に命じたのである。
もう一つは、蒋介石がソ連による日本の分割占領を阻止したという神話である。
一九四五年八月十六日、スターリンはトルーマンに電報を送り、ソ連軍が北海道の北半
分と千島列島を占領するという意思を伝えた。二日後、トルーマンはスターリンに次のよ
うに回答した。
「ソ連が全千島列島を占領することには同意する。しかし、北海道と本州、四国、九州は
マッカーサー元師が占領する」
スターリンは北海道占領のための部隊を乗せた艦隊をすでに発進させていたが、やむな
く艦隊に引き返すように命じたのだ。蒋介石が介入する余地などまったくなかったのであ
る。
スターリンは降伏した日本人を帰国させる予定でいたが、北海道北半の占領を拒否され
た腹いせに、日本人を抑留したのだと言われている。だとすれば、日本人六十万人の抑留
と七万人の死という大きな犠牲を払って、日本は分割占領を免れたことになる。
さらにもう一つは、蒋介石は日本に対する賠償請求権を放棄したという神話である。
これも、蒋介石は賠償要求を出そうとしたが、強欲すぎる、とアメリカが拒否したとい
うのが真相のようだ。
蒋介石は満州をはじめとする大陸の膨大な日本資産と台湾を接収した。日本がインフラ
や重工業を建設したために、東北(旧満州)は中国で最大の重工業地帯となったのであり
、台湾は文字どおり宝島であった。
しかも、蒋政権幹部は接収した日本資産のかなりの部分を私腹したのである。
日華平和条約(一九五二年締結)では、日本人が台湾に残してきた財産と台湾人の日本
に対する請求権の問題は、特別取極で解決することになっていた。そのために日本政府は
、蒋政権に対して、特別取極の交渉を三度申し入れたが、蒋政権は反応を見せず放置した。
日本が賠償を支払うことになれば、日本の残置財産のリストをつくり、その評価額を定
めて、賠償金に算入しなければならない。そうなると。蒋政権幹部が私腹した日本資産が
暴露されることになる。だから蒋政権は、日本の交渉要求に応じられなかったのである。
そしてもっぱら「日本への賠償要求を放棄した」と宣伝したのだ。
だいたい、蒋介石の聖人伝説ほど矛盾に満ちた話はない。あれほど同胞の中国人や台湾
人を殺戮した蒋介石が、日本に対するときだけは、まるで夜叉が菩薩に変じたように、慈
悲深い態度をとったというのは信じられる話ではなかろう。