前総統の陳水扁が突然、入院していた台北市の栄民総合病院から台中監獄に併設の培徳
病院に移監された。その2週間ほど前に栄民病院が、自宅療養か自宅に近くの精神科の総合
病院での治療、「保外就医」が適当と提言していた。培徳病院への移監はそれ無視するよ
うなもの。病院が自宅療養を提言したのは「自我了断」(自分で始末をつける=自殺)の
恐れがあるからだ。それを無視する決定は「死になさい」ということなのか。
◆土城看守所は健康的だったが
陳水扁には昔、2度、会ったことがある。最初はもう20年以上も前。立法委員の時代だ。
青島東路の「議員会館」の事務所だった。さすが若いだけに精力的に喋り続け、帰り際に
本やらビデオやら資料をたくさんくれた。ビデオの資料は珍しかったので、後で見たが、
立法院で防衛問題についての彼の質問を延々と撮ったもの。どうせPRするならもう少し
気の効いたものを作ればいいのに─と思ったことを覚えている。
2度目は2010年春。すでに逮捕され、新北市土城の台北看守所に収容されていた時、台湾
の知人といっしょに会いに行った。窓ガラス越しの面会で受話器を通して30分だけの会話
だった。詳しくは本誌2010年4月号に書いたが、監房での暮らしは意外に健康的な印象を受
けた。小型テレビもあるし、新聞も読める。山岡荘八の徳川家康を読んでいると言ってい
た。「泣くまで待とう─の心境か。頑張る覚悟だな」と思ったものだ。
◆台北監獄でなにがあったのか
その陳水扁が自殺の恐れとは! 同じ年の11月、収賄事件の判決が確定し、桃園の台北
監獄に収監されてからは、少し事情が違ってきたようだ。
時折、他の容疑の裁判で出廷する陳水扁の姿が報道されたが、精気の無い顔で車椅子に
坐っているのには、驚いた。「獄中で虐待されている」という声もあり、「獄中の待遇に
抗議してハンストをしている」という報道もあった。確かに台北監獄の独房は1・38坪。土
城看守所の独房とは大分違うようだ。陳水扁支持者の間では保外就医を求める署名運動も
起きた。
だが、虐待などの批判を「事実無根」と一蹴してきた法務部が昨年9月に栄民病院への移
送を決めたことで、法務部の発言に疑念が生じ始めた。陳水扁支援サイドからは「毒物を
飲まされている」「精神障害が出ている」「自殺未遂した」などの情報が流れ、病院は
「重度の躁鬱症」と発表し、法務部の説明がいよいよ怪しく思えてきた。
そして今年2月、蘋果日報が「扁已是廃人」(陳水扁はすでに廃人)と大見出しをつけ、
1面トップで陳水扁が真っ直ぐに歩けず、よろめく写真を掲載したのは、衝撃だった。続い
て4月初めの栄民病院の自殺の恐れありとしての「自宅療養」提言。収監中になにかがあっ
たのだろう。
◆「廃人になった」と新聞報道
独房生活で弱気になっていたとしても、ここまで変わり果てることはない。廃人は言い
過ぎとしても、社会復帰さえ危ぶまれる状態になっているのではないか。だからこそ医師
団は「自宅療養」を提言した。もう医者の手には負えない。医学では救えない。救えるの
は温かい家族の愛情だけ─と。
対する法務部は、陳水扁は受刑者で、自宅療養は法的根拠がないし、保外就医の条件に
も合わないと断定した。といって病人を台北監獄戻りにはしにくいから、培徳病院に移
監。「虐待批判」を恐れてか、独房は9・2坪で陳水扁はその周辺を含め、243坪を享受でき
ると宣伝している。これが法律の範囲内でできる「優遇」ということなのだろう。
確かに陳水扁の問題はもはや医学でも法律でも解決できない問題になっている。最後に
解決できるのは、それは政治だ。総統、馬英九はこの問題ではいつも「司法の判断を尊重
する」と逃げるが、いまや解決できるのは政治しかないのだ。
2008年11月、事件が発覚し、逮捕され、台北地方法院に移送された際の陳水扁が背広姿
のまま手錠をかけられた両手を掲げて「政治迫害だ!」と報道陣に向かって叫んでいたの
を思い出す。その陳水扁は、移監を通告され、自殺を図ったが、看守に発見され、未遂に
終わったという報道もある。政治的迫害で自殺に追いやられるところだったのである。
◆結末をつけるべきは政治
陳水扁の「犯罪」は司法が裁くが、健常な受刑者を廃人同様にしたなら、人権問題だ。
これは医学でも法律でもない政治の問題だ。台湾が戒厳令を解除して民主化に歩み始めて
もう26年になる。人間でいえばもう十分な大人。その大人の民主国家が国家指導者だった
人物に政治迫害を加え、自我了断を迫るというのは民主政治といえるのか。結末をつけな
くてはいけないのは陳水扁ではなく、最高権力者である馬英九のほうではないか。政治的
結末を。