私が初めて台湾を訪れたのは、1992年12月、会社の報奨旅行だった。
いま思えば、1987年7月の戒厳令解除からわずか5年あまり、まだまだ世情不安な時代だったのかもしれない。当時の私は台湾に対する予備知識も全くなく、二二八事件や白色テロのことなど知る由もなかった。
2003年に李登輝閣下が書かれた『「武士道」解題』を読み、それ以来、李登輝閣下の熱烈な信奉者となった。今の日本で新渡戸稲造と武士道についてこれだけの本を書ける政治家がいるであろうか。
ただし、李登輝閣下の信奉者にはなったものの、台湾そのものに対する興味が湧いてくるには今しばらくの時間を要した。
その後、異業種交流会で知り合った台湾通の仕事仲間を通じて、少しずつではあるが台湾に対する理解も進んで行った。
その彼から、司馬遼太郎氏の『台湾紀行』と蔡焜燦先生の『台湾人と日本精神』を紹介された。この2冊は私のバイブルとなっていると同時に、台湾について興味を持つ人には必須の本としてお勧めしている。
2012年11月、数人の仕事仲間と旅行する機会を得た。前回の会社の旅行とは違い、さらに台湾への思いを深めるものとなった。
台湾への思いが決定的になったのが、2015年冬に日本で封切られた映画『KANO』であった。外国映画でかつて日本人がこれほど輝いて描かれたものがあったであろうか。この映画を観た直後から、次回は台湾南部に行こうと心に決めていた。
そんなある日、台湾通の仕事仲間から台南旅行の誘いを受けることとなり、渡りに船とばかりにそのお誘いに乗ることにした。
2015年3月、あこがれの台南の地へ。今回の最大の目玉は、八田與一氏が造った烏山頭ダムと飛虎将軍廟を見学することだ。
着いたその日の夜、台南の皆さんから大歓待を受ける。飲みすぎで前後不覚となり、翌日、二日酔いのまま烏山頭ダムへ向かう。地元の人々の愛溢れる庭内を散策し、八田氏の像の前に立った時、流れる涙を抑えられなかった。
その日の夕刻、これまた訪れたかった飛虎将軍廟へ。廟の中にはご神体、そして杉浦茂峯・海軍兵曹長にまつわる数々の展示物。なんと午前中の祝詞が「君が代」、午後の祝詞が「海行かば」だ。ここを訪れて感動しない日本人はいないであろう。
帰国後すぐに、念願であった日本李登輝友の会へ入会した。
その年の5月、これまた念願だった友の会の日本李登輝学校台湾研修団に初めて参加が叶った。同じく台南の地を踏み、飛虎将軍廟において研修団全員で「君が代」と「海行かば」を斉唱。異国の地で歌う「君が代」「海行かば」は格別の感慨であった。
研修団4日目の5月18日の夕刻、ついにその時はやってきた。哲人政治家・李登輝閣下にお会いできるのだ。この夜のことは一生忘れることがないであろう。
回を重ねること6回、李登輝学校研修団に参加する機会を得た。4回目にはなんと団長として参加し、李登輝閣下と同じテーブルで食事を共にする栄誉に浴した。
この先も、体が続く限り李登輝学校研修団に参加したいと考えている。
来年1月には総統選と立法委員選のダブル選挙が控えている。台湾はもとより、日本の安全保障にとっても重要な台湾の総統選だ。民進党の勝利を心から願う。
最後に、李登輝閣下のますますのご長寿、そして台湾の発展を祈ってこの稿を終える。台湾の人々に幸あれ。台湾万歳。