李登輝前総統の愛知県支部台湾研修団への講話−日本がアジアのリーダーに

日本がアジアのリーダーに

                                  李登輝前総統

 台湾の近代歴史は3つの時代に分けられる。1つは1895年から1945年まで。2つ目は1945
年から1990年まで。3つ目が1990年以降。

 第1の時代は、近代社会に邁進する時代。全身全霊で取り組んだ。1908年には鉄道建設、
嘉南大[土州]の大農業地帯をつくり上げたのもこのとき。台湾製糖等の産業育成、司
法制度の確立もなされた。1897年には総督府国防学校建設。文学・美術・音楽などにお
いて華僑の文化束縛から抜け出した時代である。教育大改革の時代、それまでは科挙の
制度。これでは数学も音楽も学ばず、近代化についていけない。

 この時代は華僑文化から離れ、台湾人に台湾意識が芽生えたとき。理念が力となって
いく時代だった。この時代を見直そうと、後藤新平の見直しが近年なされている。

 先日、日本で後藤新平賞が設けられ、その第1回受賞者に私が選ばれ、非常に嬉しく思
っている。

 第2の時代は、中国人の観点から国民を支配しようとした時代。日本語の取り締まり、
反日政策、日本を知らなくする政策が徹底してとられた。勤勉さや責任感などといった
価値観が崩され、日本を知らない時代となった。

 数万人の犠牲者を出した二二八事件やその後の五〇年代の白色テロ。政治に口を突っ
込む勇気を奪い去った。口が開けない、堂々と意見を言えない、いつなん時会話を聞か
れているかわからない。そんな国民党のワンマン独裁政治が徹底してなされた。

 戒厳令が38年間も敷かれた。こんな例は世界のどこにもない。司馬遼太郎先生との出
会いの中で「台湾人に生まれた悲哀」としてあらわされた世界だった。

 第3の時代は、万年国会から人民による総統直接選挙がなされ、民主的な一つの主権国
家が築き上げられた時代。台湾支庁はないし、憲法は変わった。まだ第4条の領土の規定
が残ってはいるが…。

 大陸を台湾の領土として国民に教えるのは現実的ではない。しかし、大陸の一省とし
ての存在ではない。終身国会議員などは不適切。「正名運動」を通して、台湾人として
自らを意識する国民が60%を超えるところまで来たが、まだまだ。これを80%、90%に
引き上げなければならない。台湾人としてのアイデンティティをつくり上げなくてはな
らない。

 しかし、わざわざ独立を言う必要はない。中国とは国と国との関係。名前は台湾か台
湾共和国か呼び名は別にして、実態は主権ある国家として存在している。「屈してもな
おやまず」の台湾精神を持って、台湾の時代を変えていかねばならない。

 日本文化の特徴は武士や大和魂を基にした高い精神性にある。公に忠誠をつくす。危
機にあってはおのれの身を捧げることをいとわない高貴な精神である。「板垣死すとも
自由は死せず」あの板垣退助が遊説中の岐阜で凶変に遭った時、後藤新平はすぐに駆け
つけた。医者であったから。正しきことの実現には生死すら問わない。この精神の高さ
こそ目本文化である。志のみならず、知恵を絞ってやる気を出させながらのみごとな統
治。

 さらに1つは、自然の中で育まれた情緒の豊かさだろう。人の生活全てに、人としての
道を見出す。口であげつろうのではなく、生活にそのまま反映させる。華道も茶道も日々
の立ち居振る舞いを芸術の世界にまで高めている。

 旅にせよ、感動を詠みつづり行く芭蕉の「奥の細道」の世界は情緒豊かな芸術の世界。
今回の訪日も「奥の細道」をめぐって、芭蕉の求めた風雅の道をたどってみたい。

 アジアはそんな日本が指導権を握らねばならない。2007年以降は、世界情勢は大いに
動くだろう。そのときこそ、新しいりリーダーシップが必要である。日本の存在がいよ
いよ重要になってくる。
                   【平成19年5月14日 文責:愛知李登輝友の会】



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