李登輝前総統と西郷南洲 [日本文化チャンネル桜代表 水島 総]

西郷南洲を尊敬している日本人は数多いが、私もその一人である。衛星放送「日本文
化チャンネル桜」の社是も南洲翁の「敬天愛人」と吉田松陰の「草莽崛起(そうもうく
っき)」である。

 私は学生時代ドイツ文学を学び、作家のトーマスマンを通して西欧近代主義批判を研
究課題にした。その結果として、日本文化の底知れない深さや大らかさ、独自性に気づ
き、「日本回帰」を果たした人間である。

 日本が近代化をはじめる明治維新を考えたとき、大久保利通の富国強兵の近代国家路
線は必然的なものではあったとは思う。しかし、私は西郷南洲の体現した「日本」を「
主語」として、この近代化路線を推進すべきだったと考える。日本の伝統や魂を体現し
ていた南洲翁の存在が失われたとき、日本という主語を失った我が国の「近代化路線」
がはじまったのだと思う。そして、大東亜戦争の敗北、戦後日本の惨状を生み出した大
きな遠因になっているように思うのである。

 そんな日本の歴史を踏まえて、私は台湾を考える。台湾の近代化、民主化を考えると
き、台湾を「主語」として考え、それを基にして政治を推進した李登輝前総統の存在を
忘れることは出来ない。

 李登輝総統の下で台湾は、独自の国家としての歩みを開始した。それは台湾という独
自の主権国家の歩みだった。日本の明治維新に相当するような歴史が開始されたように
思われ、私は大いに喜んだ。

 というのは、李登輝総統の台湾精神は、南洲翁の日本精神に近いものではないかと思
ったからである。明治維新の精神を全て失い、主語(日本)を失い、無国籍な物質主義
の蔓延する戦後日本の現状を見るとき、日本の再生へのきっかけになるかも知れないと
考えたのである。

 西郷南洲は、哲人の武士でもあったが、したたかな現実政治家でもあった。李登輝と
いうアジアの大政治家に西郷南洲の系譜を感ずるのは私だけだろうか。

 ただ、現在の台湾の状態は、李登輝総統の掲げた台湾を主語とする主権国家としての
道からずれつつあるように見える。むしろ、戦後日本の辿った道を進みつつあるように
見えるのである。しかし、台湾の現在を生み出したのは、我が日本であったという痛苦
な思いが、私にはある。

 日本は台湾を助けなかった。日本は李登輝路線を支持せず、自らも日本を主語とした
主権国家の道を歩まず、米国に、あるいは中国の顔色を窺いながら、金儲けだけを考え
る国に成り下がったままだったからである。責任あるアジアの大国として日本さえしっ
かりしておれば、現在の台湾はなかったように思う。

 さて、自ら西郷南洲の弟子と称する人物の一人に頭山満翁がいる。彼が弟子たちに残
した有名な言葉がある。

「ひとりでも淋しいと思わぬ男になれ」

 この言葉は、日本人としての優しく繊細な人情と、雄々しい益荒男ぶりがよく示され
た私の大好きな言葉である。何かを成し遂げようとするときは、こういう日本魂が必要
だと思うからだ。

 そして、この言葉を思い出すたびに、心に浮かぶのは「台湾」であり、李登輝という
人物である。台湾こそ、国際社会の中でこの言葉通りの国家として、孤軍奮闘、弱みを
見せず歩んできたのではないか。

 特に李登輝総統時代の台湾は、まことに天晴れな誇り高き国家としての道を堂々と歩
んでいた。その道を学び考えることは、戦後日本再生への道でもある。

          【日本李登輝友の会機関誌『日台共栄』5月号「台湾と私」より】



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