李登輝前総統「日本の教育と私(6)−生活の中の普遍的な美学」

【9月19日付 産経新聞】

 日本文化の優れた面は、かかる高い精神性に代表される、即ち武士道精神に代表される
日本人の生活にある哲学であると信じます。心底からこみ上げる強い意志と抑制力を持っ
て個人が公のために心を尽くす以外に、また日本人の生活にある美を尚(たっと)ぶ私的
な面があることも忘れてはいけません。
 藤原正彦先生は「国家の品格」の書物の中で、日本人の生活内容を「情緒と形の文明」
と強調しています。日本人の生活は、自然への感受性と調和であり、もののあわれ、さび
とわびを生活の中に見つけ出す、日本人独特の、また、人間として普遍的になくてはなら
ない美学があるのです。
 昔、中国で老子は「道可道 非常道」と、道は口で言えるものでなく、口で言えるもの
は永遠に道ではないと言っています。日本人は生活において花を生けるには花道を、お茶
を飲めば茶道と言う様に、生活におけるあらゆる行為が道となっています。それが俳句や
和歌という様な形で表現されて、自然との間に共生的関係を持っています。
 これは世界の人々にはなかなか分かるものではありません。私が「『武士道』解題」を
出版し、そして更に奥の細道を歩きたい気持ちは、日本文化の優れた精神性と美学的日本
人の情緒を、何とか外国人や今の若い日本の人々に伝えようと考えたからです。
 直感的に、私は芭蕉の著作「奥の細道」は、この様な日本文化の美を丁度よくまとめた
ものであると思っています。
 奥の細道で平泉に到着した芭蕉と曽良が見たのは金鶏山でした。そして昔を偲(しの)
びつつ、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くして詠んだのが「夏草や兵どもが夢の跡」でした。
時間を越えて華やかな過去がすべて一つの草むらにしか過ぎません。山寺を訪れては、蝉
の声の潮と周囲の静けさの中で「閑さや岩にしみ入蝉の声」を詠みました。自然との調和、
心にしみこんで何の説明もいりません。
 芭蕉は旅情のほてりが醒(さ)めやらず、最後の気力をふるい起こし、海岸沿いに越後
の国に入ります。出雲崎に泊まった時に詠まれた「荒海や佐渡によこたふ天河」は、壮大
な景観と佐渡への思い入れの入った句でした。
 以上の3句は、時間と空間、存在している景観を十分に情緒と形で表した日本人らしさ
の代表的なものでしょう。(題字は李登輝氏)



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