李登輝前総統「日本の教育と私(2)−新知識が儒家の呪縛を解いた」

【9月15日付 産経新聞】

 台湾総督府が1895年4月に開庁されましたが、その年の7月には今の士林という所に「
国語学校」が開校されました。植民地統治を教育から始めたことは世界にも例のないこと
です。
 日本による新しい教育を台湾に導入したことによって、伝統的な書房や私塾は次々と没
落し、台湾人は公学校を通して新しい知識である博物・数学・歴史・地理・社会・物理・
化学・体育・音楽等を吸収し、徐々に儒家や科挙の束縛から抜け出すことができました。
そして世界の新知識や思潮を知るようになり、近代的国民意識が養成されました。
 1925年には台北高等学校が成立し、台北帝国大学は28年に創立され、台湾人は大学に入
る機会を得ました。直接内地である日本に赴き、大学に進学した人もいました。こうした
エリート教育の機構整備以前に、既に医学校・農業専門学校・商業・工業の職業学校が数
多く設立されており、これによって台湾のエリートはますます増え、台湾社会の変化は日
を追って速くなりました。
 教育によって近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を守る、金融貨幣・衛生
・新しい経営観念が徐々に「新台湾人」を作り上げていきました。近代化社会に於ける近
代化観念の影響の下、台湾人は新しい教育を受け、徐々に世界の新思潮と新観念が分かる
ようになりました。
 20年頃になると、台湾人は西側の新思潮の影響を受け、各種各様の社会団体を作り、議
会民主、政党政治、社会主義、共産主義、地方自治、選挙、自決独立など、様々な主張を
し、『日本は台湾人に当然の権利を与えるべきである!』と要求しました。
 そして台湾は日本の教育の下に、民主化の要求として、政治運動の拠点となる「文化協
会」が台湾人の手によって初めて組織されたのは23年のことでした。
 この年に私は台北の北部にあたる淡水郡の三芝庄に生まれました。日本の教育が私に与
えた影響は、台湾の上述した様な環境と時代的意義があったと思います。(題字は李登輝
氏)



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