李登輝元総統ご逝去満2年に想う  浅野 和生(平成国際大学副学長)

【世界日報「Viewpoint」:2022年8月11日】https://vpoint.jp/opnion/viewpoint/221014.html

 来る9月29日、日中国交正常化の半面として日本が台湾との公式の国交を失ってから50年の節目を迎える。

 去る7月24日、日本李登輝友の会が「日台関係の50年─何を失い何を得たのか─」と題するシンポジウムを開催したが、開会冒頭の祝辞において台湾の謝長廷駐日代表は、今年はいわゆる「日中国交正常化50年」だが、台湾においては、日台関係「百周年」の祝賀式典が開催されていると紹介した。

 例えば、昨年5月8日には八田與一の烏山頭ダムと嘉南大[土川](かなんたいしゅう)完成100年の、そして今年7月23日には、台湾最南端の屏東に鳥居信平が建設した二峰[土川](にほうしゅう)の竣工100年の記念式典が行われた。さらに10月には台南の水道開業100年、成功高校(元・台北州立第二中学校)や新竹高校(元・新竹州立新竹中学校)の開校100周年行事が予定されている。

◆「まさかの友は真の友」

 つまり台湾は、日本が50年にわたる台湾統治の間に残した各種の施設について、植民地支配の忌むべき遺物として抹消するのではなく、台湾100年の歴史の賀すべき成果としているのである。

 ところで、1999年9月21日の台湾・集集大地震、2011年3月11日の東日本大震災、そして16年2月の台南地震とそのすぐ後、4月の熊本大地震に際して、日本から台湾へ、あるいは台湾から日本へ、即座に救援・支援の人々と支援物資、支援金が送られた。さらに20年、新型コロナウイルス感染拡大の最中、医療・衛生機器等が不足した日本に、台湾はマスクばかりでなく酸素濃縮器1000台とパルスオキシメーター1万台などを提供した。すると21年、ワクチンの入手に困難を来した台湾に、日本は、計340万回分を超えるワクチンを供与した。このように、「まさかの友は真の友」を自然のうちに演じているのが今日の日台関係である。

 そこには確かに、1895年から1945年まで50年間の歴史を共有した事実、100年を超えて行き交う人と人の縁、そして恩義と報恩の連鎖という、日台ならではの温かい繋(つな)がりがある。

 しかし、45年以後、蒋介石と蒋経国時代の台湾は、今日と同じ台湾ではなかった。当時の台湾は、中国から台湾に移転した国民党による一党支配、中華民国権威主義体制下にあった。

 蒋介石の国民党政府は、外交上は日本との友好関係を尊重して、岸信介首相が57年3月に訪台した際には、岸・蒋介石会談で良好な関係を演出した。しかし、台湾の内部では、日本映画の上映が禁じられ、学校では反日教育が行われていた。これは中華民国=中国を自任していた国民党一党支配下で、自国の歴史として5000年の中国史を、自国の地理として中国地理を教育して、台湾の歴史や地理が軽視されていたことと軌を一にしている。

 しかし88年1月に李登輝政権がスタートして、90年代になると中華民国は中国であることを辞め、台湾であることを受け容(い)れるようになった。92年末には、立法院(国会に相当)に蟠踞(ばんきょ)していた、48年に中国各地で選出され改選されずに老齢化した立法委員が一掃され、台湾での総選挙で選出された議員に置き換えられた。さらに96年以後、総統も台湾住民のみによる直接選挙で選出されるようになった。また、その選挙には国民党以外の多くの政党が参入して、賑(にぎ)やかな選挙戦が展開されたが、これ以後、定期的に改選されている。さらに90年代半ばから、台湾の学校教育は「台湾化」され、反日教育もなくなった。

◆台湾を取り戻した総統

 つまり今日、日台100年の関係を寿(ことほ)ぐことができるのは、李登輝総統が、「中華民国=中国」という虚構を取り去って、「台湾を取り戻す」ことに成功したからである。先に列挙した日台相互の支援関係は、これ以後のことである。

 本欄4月12日に記したごとく、本来なら7月30日の李登輝総統の3回目の命日に、安倍元首相に訪台、墓参していただき、日本が台湾と手を携えて東アジアの平和と安定の礎になることを誓っていただきたかった。しかし、今は叶(かな)わぬ夢となり果てた。二人の冥福を祈るとともに、日台双方において、二人の卓越した指導者の遺志を継ぐ政治家が簇生(そうせい)せんことを願う。

<<(あさの・かずお)>>

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