日祝賀レセプション」(略称:天皇誕生日レセプション)が開かれる。
世界のどの国も、その国にとってもっとも記念すべき大切な日として「ナショナルデ
ー」を定めている。アメリカなら独立記念日の7月4日、ドイツなら東西ドイツの統一記念
日の10月3日、フランスは革命記念日の7月14日、中華人民共和国は国慶節の10月1日という
ように、独立記念日や建国記念日が多い。日本は今上陛下のご生誕日の12月23日「天皇誕
生日」をナショナルデーとしている。
そこで、各国の在外公館は年に1度、その国の要人を招いてナショナルデーを祝う盛大な
式典を開催している。
国交のない台湾で「天皇陛下御誕生日祝賀レセプション」が再開されるようになったの
はそう遠いことではない。9年前の2003(平成15)年のことだ。当時の内田勝久(うちだ・
かつひさ)交流協会台北事務所代表(駐台湾大使に相当)が再開した。つまり、今年でち
ょうど節目の10回目となる。10回目の今年は、奇しくも再開した2003年と同じ12月12日と
なった。
もちろん、天皇誕生日レセプションは中国・北京の日本大使館でも開催する。日本は、
中国でも台湾でも開催している。
本誌では、再開された2003年からできるだけ詳しく「台湾の天皇誕生日レセプション」
についてお伝えしてきたが、再開の経緯については、内田大使の『大丈夫か、日台関係−
「台湾大使」の本音録』(産経新聞出版)を参照いただきたい。
それにしても、再開した当時、中国は猛反対し、中国の報道官が「絶対受け入れられな
い。即刻、中止すべきだ」と訴えていたことを思い出す。
日本が台湾で天皇誕生日レセプションを開くのは、台湾を国家として暗に承認すること
になり、台湾を「核心的利益」として位置づけ、その領土の一部と主張する中国にとって
受け入れられないのは当然かもしれないが、理不尽なで勝手な主張だ。
だから、内田大使は淡々と事を進め、2003年12月12日に天皇誕生日レセプションを開催
したのだった。2007年には外交部長(外務大臣に相当)が初めて祝辞を述べ、当時の池田
維(いけだ・ただし)代表を「大使」と呼んだこともあったし、李登輝元総統が出席され
たこともある。今や中国は何も言わなくなった。硬い土は掘りたくないのだろう。
実は、昨年11月に急逝された黄昭堂・台湾独立建国聯盟主席は毎年、「祝 天長節」と
書いた生花を贈り続け、それは必ず会場入口に飾られていた。
今年は、本会にも樽井澄夫(たるい・すみお)日本交流協会台北事務所代表からご招待
状をいただいた。そこで、黄昭堂先生の優雅な顰(ひそ)みに倣(なら)い、「祝 天長
節」と大書した生花を贈ることとした。