う)氏は、最近でこそ朝日新聞に吉田調書記事を全面撤回させて謝罪させたことで名を馳せたよう
な印象が強いかもしれないが、実は台湾や日台関係をテーマとした作品も発表されている。
それが『この命、義に捧ぐ━台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』『康子十九歳 戦渦の日記』
『慟哭の海峡』の3作品だ。
本誌1月31日号で、訪台中に門田氏がブログにアップした「『日本』と『台湾』の切っても切れ
ない縁」をご紹介した。台湾から帰国した門田氏は、今回の訪台記ともいうべき「日本は『台湾』
を支えることができるのか」をまたブログに発表している。下記にその全文をご紹介したい。
今回、門田氏が突き付けた問いは重い。今後、台湾が中国に立ち向かうとき、「日本が台湾にど
う手を差し伸べ、どう根底から支えるのか」と問う。そして「覚悟と友情を持って、日本は台湾を
支えるべきだ」とつづる。
だからこそ、本会はこれまで「政策提言」として、2012年には「集団的自衛権に関する現行憲法
解釈を修正せよ」と「台湾との自由貿易協定(FTA)を早期に締結せよ」を発表、2013年には「『日
台関係基本法』を早急に制定せよ」を発表したのである。
日本が台湾を支えるという観点も重要かもしれない。ただ、日台は運命共同体の関係にあり、台
湾のためでもあるが日本のためでもあるという観点から、解決すべき喫緊の課題として具体的に提
案した次第だ。
実は、本年も重要な「政策提言」を3月に発表する予定で、現在、本会の「日米台の安全保障等
に関する研究会」が案を練っているところだ。これもまた、門田氏の問いかけに対し具体的に応え
得る内容となっている。
日本は「台湾」を支えることができるのか
【門田隆将ブログ夏炉冬扇:2015年2月5日】
http://www.kadotaryusho.com/blog/2015/02/post_778.html
台湾の霧社(南投県仁愛郷)で「桜の植樹祭」を終えたあと、私は台南と高雄で「二二八事件」
の取材をおこない、昨夜遅く台北から日本に帰ってきた。
後藤健二さんがISによって殺害されたという痛ましいニュースに接したのは、霧社でのこと
だった。台湾でもニュースが流れ、衝撃を受けた。同じジャーナリストの一人として、後藤さんに
心より哀悼を表したい。
さらに、昨日は、台北の松山空港で、金門島行きの復興(トランスアジア)航空の飛行機が墜落
した。ちょうどその時間、私は基隆河にかかる大直橋をタクシーで通っていた。墜落現場は、そこ
から数キロ東の基隆河であり、おまけに「タクシーが巻き添えになった」と聞き、ひやりとした。
金門島行きの航空便は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川
文庫)の金門島取材の時にいつも利用していたものだ。乗り慣れた国内便だけに、ニュースを聞き
ながら、他人事ではない気がした。
さて、霧社の桜の植樹祭は、2月1日に滞りなく終わった。私自身も、桜を1本、植樹した。前夜
には、霧社の近くの廬山温泉に集まった参列者たちを前に、短い講演もさせてもらった。「歴史と
は“無念”の思いの積み重ねである」という話である。
霧社には、蜂起したセデック族に惨殺された女性や子供を含む約140人の日本人の無念が、今も
こもっている。日本軍と警察による合同の鎮圧部隊によって800人を超えるセデック族など原住民
が討伐され、彼らの無念も、霧社には漂っている気がした。
1930(昭和5)年の事件以来、すでに85年が経過した。霧社ほど、その歳月の経過を感じさせて
くれる地も珍しいだろう。その間に、山岳地帯にあるこの霧社が、大きな「変化」を遂げたから
だ。
日本の敗戦で入ってきた国民党によって、事件の首謀者モーナ・ルダオは、一転、「抗日英雄」
となった。霧社の中心部には、抗日英雄紀念公園があり、そこには、モーナ・ルダオを讃える「紀
念碑」と「像」と「墓」があった。
一方、日本人犠牲者の殉難碑は、長い年月の間に完全に“消されて”いた。かつて日本人殉難碑
の下には、日本人犠牲者の遺骨が眠っていた。殉難碑そのものが「墓地」でもあったのだ。
その日本人殉難碑は、やがて壊され、その上に今は白い建物が建っている。案内してくれた地元
の人によれば、「殉難碑が壊された後、掘り返したら大量の骨が出てきた。それを埋め直して、上
に建物をつくったのだ」と説明してくれた。
無惨というほかない。セデック族の蜂起によって、小学校の運動会の場で、集まった日本人は女
子供の区別なく首を狩られた。そして、その遺体は一か所に集められ、葬られたのである。
しかし、1945(昭和20)年、戦争に負けた日本は台湾を去った。すると、前述のようにセデック
族の頭目モーナ・ルダオが「抗日英雄」とされ、逆に日本人犠牲者の墓が「消された」のだ。私た
ちが植えた桜が満開の花を咲かせる時、無残に消された日本人犠牲者の遺骨は、それをどう眺める
のだろうか。
私は、そんな思いを抱きながら、霧社から下りた。そのまま私は、台南に向かった。台南で、
1947年(昭和22)年に起こった「二二八事件」のある犠牲者のことを取材するためである。
そこには、日本人として死んだ、たった一人の「二二八事件」の犠牲者がいる。私は、その一家
の5代にわたる日本への思いと絆を描きたいと思っている。
国民党独裁政権の下で、戦後の台湾人は、「価値観」も、「アイデンティティ」も、また「言
語」さえも、完全に“分断”された。そして「留日」と呼ばれた日本で学んだ台湾人エリートたち
は、徹底した弾圧を受けた。
今も拭えない「外省人」と「本省人」の深い溝は、そこに起因する。それでも、必死で生きよう
とする台湾人は、代を越えて、やっと自分たちの「価値観」と「アイデンティティ」を確立しよう
としている。
しかし、それは同時に「中国との距離」が開くことを表わしている。外省人を支持基盤にする国
民党が急速に中国共産党と接近をはかり、それを台湾人が阻止しようとする図式は、今後も続くだ
ろう。
その意味で、来年の総統選は、今まで以上の激戦となり、さらに言えば、「台湾の運命」を決す
るものになるに違いない。
いま台湾は、観光地という観光地が中国人によって占められている。その光景が示すように、経
済的に台湾は中国への依存度を年を追うことに強めている。もし、民進党候補者が総統になれば、
たちまち中国は露骨な干渉に出てくるだろう。
台湾への観光客をストップさせるのか、あるいは台湾からの商品について関税をいじるのか。中
国が台湾に嫌がらせをする手段はいくらでもある。中国が仕掛けてくる、そんな経済戦争に、いっ
たい台湾はどう立ち向かうのだろうか。
その時、ポイントになるのは、「日本」である。すなわち日本が台湾にどう手を差し伸べ、どう
根底から支えるのか。
安全保障上も、お互いが最も重要な地位にあることを、口にこそ出さないものの、お互いがよく
わかっている。覚悟と友情を持って、日本は台湾を支えるべきだと、私は思う。
日本と台湾との“絆”を表わす、ある一家の「5代」にわたる日本への思い――「二二八事件」
で無惨な最期を遂げた人物を軸に、ある「一家」の物語を、いつかノンフィクション作品として完
成させたい。そんな思いが離れることがなかった台湾の旅だった。