る国民政府は武力による領土奪還、すなわち「大陸反攻」を目指していたからだった。その前年の
1948年5月10日には、憲法を停止して動員戡乱(かんらん)時期臨時条款を施行していた。この動
員戡乱時期臨時条款を基に戒厳令を布いたのだった。
38年間も続けられた戒厳令が解除されたのは、1987年7月15日午前零時。当時の総統だった蒋経
国が総統令をもって解除した。戒厳令解除の翌年には政党結成や新聞社設立が解禁されている。
今年は台湾の戒厳令が解除されてから30年という節目の年。台湾外交部(外務省に相当)が発行
する「Taiwan Today」は「戒厳令解除から30年、台湾の活力を物語る様々な数値」と題し、どのよ
うに出版社や新聞社などが増えたかを紹介している。
ごく最近の統計数字として「今年6月時点で台湾におけるラジオ放送局は170社、テレビ放送局は
99社」「政党の数は今年6月の時点で319」「GDP(国内総生産)は戒厳令解除前の769億米ドルか
ら、2016年には5,299億米ドルへと増加」「ビザ免除(ランディングビザ)措置を実施する国・地
域は2008年の54カ国・地域から今年は166カ国・地域へと3倍に増えた」などと紹介していて、現在
の台湾が見えてくる。下記にご紹介したい。
ただし、不思議なことに、戒厳令が布かれていた38年間は、多くの無辜の民が犯してもいない罪
を着せられて「政治犯」に仕立てられて投獄され、台湾の人々の人権が不当に弾圧された「白色テ
ロ」時代だったことには一切触れていない。
すでに総統府直属の機関である國史館の館長だった張炎憲氏は2006年、1947年に起きた2・28事
件の最大責任は国民党政権最高権力者だった蒋介石にあったと指摘している。
蒋介石を継いだ蒋経国は、共産党スパイや反政府活動家などを摘発する特務組織を牛耳ってい
た。住民に共産党スパイを密告して摘発する義務を負わせるという恐怖政治を敷いたこの白色テロ
時代の最高指導者だった。1人の共産党スパイを捕まえるなら100人が犠牲になってもよいとする考
え方で行われたこの白色テロでは、4万人もの人々が逮捕され、その95%は冤罪だったと指摘され
ている。
「Taiwan Today」の記事は、あたかも蒋経国が台湾の民主化を切り開いたかのような印象を与え
るように書かれている。しかし、蒋経国はなぜ戒厳令を解除しなければならなかったのか、その背
景にあった美麗島事件など、台湾の人々が民主化に向けて声を挙げ始めた動きには一切触れていない。
戒厳令解除30年後のいまの台湾の活力を伝えるのは結構だが、戒厳令下において蒋介石や蒋経国
が行った恐怖政治について一言も触れない姿勢はいただけない。注意して読んでいただきたい。
戒厳令解除から30年、台湾の活力を物語る様々な数値
【Taiwan Today:2017年7月21日】
http://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=190&post=118822
1986年10月7日、当時の蒋経国総統は米ワシントンポスト紙の発行人、キャサリン・グラハム
(Katherine Graham)女史によるインタビューに対し、近々戒厳令を解除する考えを示した。当
時、蒋経国総統の英語通訳を務めていたのは後に総統となる馬英九氏だった。
グラハム女史が、「貴国が近々戒厳令を解除し、政党の結成を解禁するというのは本当か」とた
ずねたのに対し、蒋経国総統は落ち着いた口ぶりで、関連の国家安全法令制定後、戒厳令を解除
し、政党の結成を解禁すると回答した。馬英九前総統は当時を振り返り、蒋経国総統の述べた「国
家安全法制定後に戒厳令を終わらせる」、「政党の合法的な登記を開放する」といった重要な言葉
を英訳しながら、「体に電流が走ったように感じた」、「我々は今まさに歴史を書き換えていると
自分に言い聞かせた」と話した。
この会談後、中華民国政府は1987年7月15日に、台湾本島と離島・澎湖を対象に、38年間続いた
戒厳令を解除すると宣言。同年11月2日には中国大陸への里帰りを解禁し、1988年1月1日には台湾
における新聞社設立の制限を解除した。
蒋経国総統は実は、大変早くから戒厳令解除と国会改革の問題を考えていたという。馬前総統
は、ある日、蒋経国総統から「戒厳(マーシャルロー)」の意義について聞かれ、ブリタニカ百科
事典など様々な参考資料をまとめて蒋総統に「戒厳」の意義を文字として説明した。すると蒋経国
総統は大変驚いた様子で、「(夜間の外出禁止や軍隊の街頭での駐屯など)多くのことを我々は
行っていないではないか」と聞き返したという。
1987年7月14日、当時の蒋経国総統が、翌15日0時に戒厳令を解除すると宣言、台湾は自由で開放
された民主のムードへと歩みだし、政治、経済、文化のいずれもが多元的な発展へと向かえるよう
になった。
政党の結成禁止、新聞社設立の禁止が解除されたことで、メディアは「百家争鳴」(自由に議論
を戦わせること)となり、文字媒体とラジオ、テレビ放送は戦国時代に突入した。登録された出版
社は戒厳令解除前には3,000社だったが、出版法など関連の法令が廃止され、文化審査・検査も過
去のものとなったことで、メディアは登録が不要になった。出版社は2007年には9,388社に増え、
新聞社も戒厳令解除前の31社から2007年には2,325社へと激増。雑誌社は5,178社に達した。しか
し、近年ネットメディアが大きなシェアを占めるようになり、伝統のメディアは大きな影響を受け
た。財政部(日本の財務省に相当)による2017年4月時点での資料によれば、新聞社は218社に減
少、雑誌の出版社は1,212社に、書籍出版社は1,747社へといずれも減っている。
1993年にラジオ放送の周波数とケーブルテレビの設置申請を解禁すると、台湾のラジオとテレビ
の放送メディアは急速な発展を見せた。2001年にはケーブルテレビ64社が放送をスタート。2007年
位は124社に増え、中国廣播公司と従来からの地上波テレビ放送局3社の優位性は失われた。国家通
信伝播委員会(NCC)の資料によれば、今年6月時点で台湾におけるラジオ放送局は170社、テレビ
放送局は99社となっている。テレビ放送局は地上デジタル放送、衛星放送、ケーブルテレビ業者、
MOD(中華電信・チャイナテレコムのインターネット回線を使用した放送)、ケーブルテレビデジ
タルチャンネル、インターネットテレビの六大業種に分けられる。
また、1987年の戒厳令解除後、内政部(日本の省レベルに相当)の統計によれば、1989年にすで
に40の政治団体が登録されていたが、翌年には19団体増加。そして2000年、初の政権交代が起きた
年には合計93の政党が存在していた。その後、2008年の二度目の政権交代の際には144団体に。そ
して2016年には三度目の政権交代が実現。政党の数は今年6月の時点で319となっている。
全国的な社会団体は昨年末で1万5,539団体。1987年の戒厳令解除時には734団体のみだった。
2008年には8,542団体に増えていたが、昨年末にはさらに1万5,539団体と、2008年に比べてほぼ倍
増している。
政治の自由化は経済の自由化ももたらした。外貨、並びに華僑と外国資金に対する管制が緩和さ
れたのである。国家発展委員会(省レベルに相当)の統計によれば、1980年代における台湾の対外
投資は14億米ドルにすぎず、華僑や外国人による台湾向け投資は30億米ドルにも及ばなかった。し
かし、2016年末の時点で台湾の対外投資は120億米ドル、華僑や外国人による台湾向け投資も110億
米ドルを超えた。
一方、資金の流れに対する制限が解除され、台湾の企業が世界各地に進出するようになった。年
間売上が4兆3,000億台湾元(約15兆6,300億日本円)に達するホンハイ精密工業株式会社は20年
前、資本金わずか3億台湾元(約11億日本円)の企業だった。しかし、ホンハイをはじめとする台
湾の製造業上位2,000社の2016年の売上は26兆台湾元(約94兆5,400億日本円)を上回り、台湾の経
済規模は世界で23位(GDP5,230億米ドル)となっている。
経済の活発な発展により、一人当たり国民所得も1987年の3,144米ドルから2016年には1万9,626
米ドルに増加。GDP(国内総生産)は戒厳令解除前の769億米ドルから、2016年には5,299億米ドル
へと増加した。これはそれまでの30年間で、台湾の人々が生み出した労働価値が6.9倍になったこ
とを意味する。
台北株式市場の時価総額も、1987年の上場企業140社、時価総額1兆3,800億台湾元(約5兆180億
日本円)から2016年には、上場企業892社、時価総額27兆2,000億米ドル(約98兆9,000億日本円)
へと成長した。外貨準備高も1987年はじめの約490億米ドルから今年6月には4,419億米ドルに増
加。過去最高を更新した。
30年前、中華民国(台湾)の出国者数は年間で延べ48万人だったが、2016年には延べ1,458万人
を突破。中華民国にビザ免除(ランディングビザ)措置を実施する国・地域は2008年の54カ国・地
域から今年は166カ国・地域へと3倍に増えた。
台湾の人々は戒厳令解除後、世界が目を見張る政治の民主化、人権と自由の保障、経済発展の奇
跡を成し遂げ、民間には活力が満ちている。文化部(日本の省レベルに相当)による今年1月から2
月の文化クリエイティブ産業統計では、映画関連企業が1,752社、音楽及び舞台芸術関連の企業が
3,442社、デジタルコンテンツ関連の企業が4,777社、広告関連企業が1万3,642社に達している。こ
れらの数字からは文化クリエイティブ産業の盛んな発展ぶりがうかがえ、台湾の社会は今後、より
多元的かつ開放的な発展に向かっていくことだろう。