台湾ではこの9月から「台湾語」という呼称が消え去り「びん(門構えの中に虫)南語」
に改名される。
毎日新聞がそのことを取り上げ、この改名は「大陸(びん南)が台湾を併合することに
なる。台湾独立を許さない国民党・馬英九政権のイデオロギーだ」「台湾語という名称を
消すのも「台湾人」帰属意識が広まるのを嫌うからだろう」と指摘し、馬英九政権下での
中華化の動きを批判的に伝えている。下記にご紹介したい。
実は、馬英九の中国国民党政権下ではさまざまな中華化がはかられ、例えば、論語、孟
子、大学、中庸の四書を中心とした教材は「中国文化基本教材」という名称の選択科目だ
ったが、来年度からは「中華文化基本教材」と改名し、高校1年の必須選択科目にされる。
教育部(文部科学省に相当)が6月16日に公表した「中華文化基本教材の課程要綱」によ
ると、生徒に中華文化基本教材を学習させる目標は、良好な品格をはぐくみ、生活の中で
実践させることにあるとし、2012年度の高校1年生から中華文化基本教材を必須選択科目と
し、1学期1単位、1年で2単位履修することになるという。
李登輝元総統が90年代から進めてきた民主化は「台湾化」でもあったが、中国国民党の
馬英九政権では、「台湾語」が「びん南語」、「中国文化基本教材」が「中華文化基本教
材」と改名されるように、さまざまなところで「中華化」が推し進められている。昨年末
には「国家文化総会」も「中華文化総会」に改名されている。
これが台湾の現在だ。台湾正名運動の逆流化現象と言ってよい。だが、このような台湾
の姿はほとんど日本に伝えられていない。
昨年末のいささか古いニュースだが、日本では報じられなかった「国家文化総会」が
「中華文化総会」に改名されたことを伝える台湾のニュースを次に紹介しておきたい。
台湾語を消す台湾 金子 秀敏(毎日新聞専門編集委員)
【毎日新聞:2011年6月23日「木語(moku-go)」】
台湾の教育当局が9月から「台湾語」授業を「〓南(びんなん)語」に改名する。「〓南」
は中国大陸の福建省南部を指すから、大陸(〓南)が台湾を併合することになる。台湾独
立を許さない国民党・馬英九政権のイデオロギーだ。
国民党の幹部はよく中国陝西省にある黄帝廟(びょう)に参拝する。中国神話の最初の
皇帝を拝むことで「中国人」という帰属意識を確認するのである。台湾語という名称を消
すのも「台湾人」帰属意識が広まるのを嫌うからだろう。
ウィキペディアに台湾の集合的記憶の例がでている。そのひとつに紅葉小学校少年野球
チームの物語がある。
台湾南部台東県の山村にある紅葉国民小学校は、原住民プヌン族の通う小さな学校だ。
1960年代初め、課外活動に野球チーム「紅葉少棒隊」を作った。子供たちは野球に熱中し
た。早朝も放課後も練習を重ね、1年後には県大会で優勝、3年後には台湾大会で優勝する。
5年後の68年、日本から関西地区選抜チームが親善試合にやってきた。日本は米国で開か
れるリトルリーグ・ワールドシリーズで優勝していた。第1試合を制した日本は翌日、紅葉
少棒隊と対戦。台北市立球場はわいた。紅葉の投手は14三振を奪い二塁を踏ませない。打
っては本塁打2本を含む5安打。7対0で台湾の圧勝だった。
実は、台湾の少年野球は軟式ボールで、硬式の日本チームにはハンディがあったという
裏の事情があったが、台湾社会は衝撃を受けた。強豪日本チームを台湾の小学生が破った
のだ。「台湾」という共通の意識が高まった。
これがきっかけで翌年から台湾少年野球界はリトルリーグ・ワールドシリーズに参加
し、実力を高めた。
だが、台湾意識のほうはまもなく埋もれていく。1960年代はまだ国民党の戒厳独裁時代
だった。学校や官庁では台湾語を使うことも禁じられていた。
紅葉チームの年齢偽装が発覚した。6年生の人数が少なく、進学できずに村にいた卒業生
を加えてしまったのだが、コーチらは文書偽造で刑事罰を受けた。選手たちは不遇のうち
に消えていった。
70年代以降、独裁政治に反対する民主化運動や台湾独立運動が台頭し、90年代から民進
党が勢力を伸ばし政権交代した。紅葉村に少棒隊の記念館ができたのは92年である。
国民党は2008年、政権を奪い返した。来年はまた総統選がある。国民党の政権が続けば、
台湾語の名称のように、紅葉少棒隊の集合的記憶も消えゆく運命にあるだろう。
(専門編集委員)