ゅう・いてん)さんが今年の慰霊祭のその日、9月21日に亡くなられたことを本誌でもお伝
えしました。
李登輝学校卒業生の室佳之(むろ・よしゆき)さんから、次のようなお便りをいただき
ました。
≪今朝のメールマガジンを拝読しました。小生は廣枝さんも劉さんの行事等も一切参加し
たことはありませんが、常々メールマガジンにて、皆様がご尽力されていることに感銘を
受けておりました。ご高齢でありながらお一人で慰霊祭を執り行われていた劉さんが、慰
霊祭当日にご逝去されたのも何か見えないところで、廣枝さんとの絆があるのではないか
と感じざるを得ません。友の会宛てではありますが、ご冥福をお祈りいたしますととも
に、慰霊祭が末永く続くことを願っております。≫
本会の「片倉佳史さんと行く台湾200%満喫の旅」などでもおなじみのノンフィクション
ライターの片倉佳史(かたくら・よしふみ)さんも、本日発行の「片倉佳史の台湾便り」
の中で劉維添さんの逝去を悼んでいます。
なお、廣枝音右衛門のご長男の廣枝晃比古(ひろえだ・てるひこ)さんは茨城県内にお
住まいで、渡邊崇之(わたなべ・たかゆき)さんから慰霊祭前に第一報をお伝えしている
そうですが、その後、本会からも10月3日に劉さんのご自宅で葬儀が行われることなどをお
伝えしています。
電話を受けられた晃比古夫人は、劉さんとは40年ほどのお付き合いで、日本に来られた
際はいつも仏間に泊まり、靖国神社や利根川のほとりに出掛けられたこと、つい最近まで2
週間に1度くらい電話で話されていたことなどをお聞かせただきました。また、晃比古さん
が弔文を台湾へ送られたこともお聞きしました。改めて劉維添さんのご冥福をお祈りします。
台湾人青年を救った廣枝警部の慰霊祭、そして劉維添氏の訃報
【片倉佳史の台湾便り:2013年9月26日】
http://katakura.net/
戦時下のマニラで多くの台湾人青年を救った日本人。廣枝音右衛門警部の慰霊祭に行っ
てきました。台湾道教の聖地・獅頭山には廣枝氏の位牌が置かれ、長年にわたって慰霊祭
が執り行なわれています。
◆渡邊崇之氏「第6回 マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン」
http://linkbiz.tw/2010-08-04-05-58-19/2010-11-30-06-04-29/6-
しかし、台湾に帰還した青年たちも高齢化が進み、4年前からは南庄郷在住の劉維添さん
ただ一人となっていました。それでも数年前からは台北在住の渡邊崇之さんのご尽力でバ
スツアーが催され、慰霊祭の存在を知る日本人は徐々に増えてきました。
◆廣枝音右衛門氏の慰霊祭【2010年9月26日】
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=656
本年、私は慰霊祭に参加するべく、帰国を早め、台北に戻りました。劉さんにお会いす
るのは約1年ぶりだったので、とても楽しみにしていたのですが、この日、劉さんの訃報を
知ることになりました。午前1時20分、病院で息をひきとったとのことでした。
◆渡邊崇之氏「第7回 遵法主義を超えた博愛精神(マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン 続編)
http://linkbiz.tw/2010-08-04-05-58-19/2010-11-30-06-04-29/7–
劉さん、そして廣枝さんについては渡邊さんのほか、ノンフィクション作家の門田隆将
さん、メールマガジン『台灣通信』の発行人・傳田晴久さんが文章を寄せています。私も
先日関わった映画『台湾アイデンティティ』で劉さんを推していたのですが、最終的にか
なわず、残念に思っていました。
今後は渡邊さんが劉さんの意思を受け継ぎ、慰霊祭を続けていくそうです。来年も慰霊
祭は実施されます。ぜひ多くの方に触れていただきたい日台の歴史秘話です。劉さん、ど
うぞ安らかにお休みください。合掌。